
入院中だった母が週初めに息を引き取りました。
5年前、自宅から救急搬送して6時間後に亡くなってしまった父と違い、前々から予断を許さない状況と告げられていた母。しかし、身構える時間がどんなにあろうと、最期の瞬間をいかに平然と迎えようと、葬送儀礼の慌ただしさや喪主にかかる重圧は何ら変わりなく、落ち着いた報告ができるまで相応の時間を要してしまいました。
呼吸器系の障害が悪化し、母の動ける範囲が極端に狭まってしまったのが晩秋の頃。以降の展開は私たちの予想以上に深刻かつ早く、年明けにはほぼ寝たきり状態に。それまでの生活支援レベルが一気に介護レベルへと移行し、私たち家族の負担が限界近くに達した春先に、病状の悪化で緊急入院。一旦は快方に向かったものの、結果的には二度と自宅に帰ることはありませんでした。
コロナ禍における宿命とはいえ、特例的に何度か面会を許されただけで、母の身の回りの世話が全くできなくなったこの2ヶ月半。入院の直前まで、ほぼ24時間体制で素人介護に明け暮れていただけに、両者のあまりに極端なGapにも心身をすり減らされる思いでした。このご時世、「入院」の二文字が、最愛の家族との間にここまで決定的な物理的・精神的途絶を生むことになるとは…全く想像できていなかったです。
その母の定位置といえば、アクセラXDの助手席。
納車の3ヶ月後に大手術を受けることになってしまった母。それから約8年、母の通院時に抜群の登板回数を誇ったのがこのクルマでした。
でも、私が病院の正面玄関前までクルマを回し、母が杖を頼りにして独力で入退場できていたのも、昨年の秋頃までのこと。それ以降は病院の車椅子を借りて乗降するようになり、今年に入ってからは、自宅の出入りにも車椅子のレンタルが必要に。最後の頃は酸素ボンベを装着したままの車椅子↔助手席間の移乗がホントに大変で、嫁さんと二人がかりで対応することもしばしば。そのまま載せられる車椅子送迎車がなんと羨ましかったことか…。
兎にも角にも、
父から私へとバトンを引き継ぎながら、助手席に乗る母を一度も危ない目に遭わせることなく、最後まで無事故でドライブし続けられたことには、あらためて安堵の思いを強くします。また、入院の直前に緊急通院を決行したことで、市内の満開の桜並木を母に見せることができたのは、本当に幸運な巡り合わせだったと思います。
残念ながら孫とのドライブは叶いませんでしたが、今夏に運転免許取得にチャレンジするという長男。ぜひ初盆までに路上デビューを間に合わせて、おばあちゃんの住み慣れた街をアクセラXDで一緒に走ってもらいたいものです^^。
Posted at 2022/06/16 21:55:01 | |
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隠れ家よりご挨拶 | 日記