
どうです?
2台のピカピカなFD3Sの贅沢な競演。
通称でいうところのⅠ型とⅥ型。しかもⅥ型は最後の限定車のスピリットRなので、初期型(1991年式)と最終型(2002年式)という11年違いの2台となります。
今を遡ること33年、1991(平成3)年に新しい販売チャネル名を冠し「アンフィニRX-7」としてデビューした3代目RX-7は、その後のマツダの国内チャネル戦略の見直しに伴い、1997年途中から「マツダRX-7」に改名されて2002年まで生産が続けられました。展示車の化粧プレートの違いがそれを物語っていますね。
私が1997年初頭に購入したシルバーのⅣ型はアンフィニ時代の末期。そしてその3年後に乗り換えた赤いⅤ型は当然ながらマツダ時代のもので、Ⅵ型が登場する直前の2000年式ともなれば、FD3Sの長いモデルライフの中ではかなり新しい部類に入るわけです(^^)。
残念ながら私の赤CHARGE号は外観がアブノーマルなため、このようなフォーマルな一画は甚だ場違いに感じてしまうのですが(チューニングカーや痛車のイベント向き)、スピリットR専用色のチタニウムグレーをまとうタイプAの個体は、思わず溜息が出るくらい極上の美観。ネオクラのスポーツカーが高騰しているこのご時世、そのプライスタグを想像するだけでクラクラしてしまいそうです^^;。
ただ、私の場合・・・
'90年代の後半、米国フォード傘下で存続の危機にあったマツダのロータリーエンジンを救いたいという一心で、愛車のランティスクーペを突然手放してまでRE搭載車の新車購入に走ったという経緯があるので、必ずしもこのFD3Sに強い興味を抱いていたわけではありません。極端な話、仮に当時、不格好で型遅れのタイプのRE搭載車しか販売されていなかったとしても、私はそのクルマを嬉々として新車購入していたに違いないのです。
ところが幸か不幸か(もちろん幸には違いない)、一途な私の目の前に当時唯一の選択肢として提示されたのは、類稀なる美しいデザインと一線級の運動性能を誇る"
REベストピュアスポーツカー"だったのです。
だから・・・
RX-7に心底惚れ込み、宝物のように大切にされている熱心なオーナーさんを前にすると、私はどことなく引け目を感じる部分があったりもします。もっとも、私が惚れ込んでいるのは、海のものとも山のものともつかないロータリーエンジンの開発に不退転の決意で挑み、苦難の末に実用化しただけでなく、発明元よりも遥かに熱意を持って自らの固有技術として育て上げたマツダの矜持とそのプロセスなので、その代表的な語り部でもある歴代RX-7を愛するピュアなファンの方々と共感し合える部分も決して少なくないと信じています。
以上、RX-7をテーマにした特別講演が開催された、マツダミュージアム土曜開館の様子でございました。
Posted at 2024/07/14 02:10:25 | |
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