
私がクルマの運転免許を取得したのは、19歳の秋。
東京は東久留米の自動車教習所に通い、所内教習4回→仮免許試験1回→路上教習4回→本免許試験1回という当時の最短コース(たぶん)で、子供の頃から待ち焦がれた「クルマの運転」を可能にする切符を、ついに手にしました。
大好きなジドウシャが、単なる「同乗」の対象から「運転」の対象にも広がった瞬間の感激は、今でも忘れることができません。
そんな教習所時代から新免時代を振り返ってみると、私の場合はクルマの運転に対する「不安」や「恐怖」は最初から皆無。何万点もの構成部品から成立する高度な工業製品を自らが直接御しながら、自らの意志通りに、手足のように使いこなせているという満足感、底知れぬ歓びを常に感じながら、毎回毎回、クルマの運転を心から楽しんでいました。
当然ながら、府中市の免許試験場での本免一発合格などから、自らの運転技術に対し少なからず自信も持っていたのですが、これが過信へと繋がりかけていた22歳の冬、幸運にも(?)、初のサーキット走行(筑波)で無残なクラッシュを喫し、それまでの自信もプライドも見事なまでに粉砕。自分の考えの浅はかさを素直に反省し、真の運転技術向上へ目覚めることができたのは、私のクルマ人生において大きな転機でした。
と同時に、自らの直接的な運転技術だけでなく、自分自身や同乗者はもちろん、歩行者や自転車・バイク、対向車から順走車、果ては路上の駐車車両まで、自分の周囲に現れる全ての交通要素に対して、より安全に振る舞うにはどうすべきか?・・・そんなことを常に考えながらクルマを運転するようになったのです。
そんな私が身近に直面していた問題が、都市交通を縫うように走り抜けるバイクの存在。
当時はちょうど”バイク便”なる機動性の高い宅配ビジネスが急伸していて、遅々として進まない都内の渋滞の車列の中を、ライダーさんたちが右へ左へ、まさに縦横無尽に駆け抜けていたのです。
そんな按配ですから、つい数秒前にミラーで確認したはずの後方の状況も、何処からともなく突如出現するバイクたちの存在で、全く無意味なものになってしまうのです。
交差点の右左折時や車線変更時にヒヤリとさせられた経験は、それこそ一度や二度ではありませんでした。
神出鬼没なバイクたちとの接触を回避するには一体どう対策すれば良いのだろう・・・当時の私が考えに考え抜いて至った結論は2つ。
① ハンドル操作の直前に、必ず切る方向のドアミラーを確認する
これは、後続車の行く手を遮る可能性のある側を必ず見ながら切りましょうということ。
もちろん、右左折や車線変更を意図したその瞬間から、周囲の状況確認はスタートしているわけですが、実際にハンドルを切る直前に、最後の仕上げとして該当する側の後方確認を挟んでやることで、突然の予期せぬ状況変化(バイク等の出現)があっても反射的に対応できるケースは確実に増えます。
このドアミラー確認が習慣付くと、ミラーを見ないでハンドルを切ることに大きな違和感を感じるようになるので、確認不足による接触防止にはこの上なく有効です(^^.)。
強いてデメリットがあるとすれば・・・子供とレースゲームで対戦した時、必要以上に周囲の安全確認をしてしまい勝機を逸することですかね(爆)。
② 窓を少し開けて走る
これは、ミラーや直視などの「視覚による確認」だけに頼るのではなく、ほんの数cm窓を開けることにより、走行音やエンジン音の「聴覚による確認」を加えましょうというもの。
これは実際、車列の隙間を狙いながらアクセルON/OFFを繰り返すバイク便の感知には極めて有効でした。実際にハンドルを切ろうとした時、突如迫り来た「ビィ~~ン」というバイクの音で何度思い止まったことか。
これは何も渋滞路だけではなく、狭い夜道の走行時に「キイィー」というブレーキ音が聞こえ、細い路地から近接していた無灯火の自転車を事前に把握できたことも。
音による危険予知の有効性はこうした実体験を通じても十分実証済みです。
ただ、これは一人でドライブしている時は良いものの、同乗者がいる場合には程度モノ。車内の会話や音楽、或いは車内温度の維持を優先せざるを得ないケースもあるので、状況に応じた配慮が必要ですね。
今から20年以上も前に、私が都内の走行体験から編み出した①、②の事故防止策。
私は現在でも①は必ず、②もできるだけ実施するように心掛けています。
この間、雨のサーキット走行で1回だけFDのフロントを小破させたことがありますが、一般道では完全停車中の物損事故にニ度見舞われただけで、自らの過失に起因する事故を起こしていないのは、少なからずこうした心掛けの効果があったものと自分では信じています(^_^.)。
Posted at 2013/01/31 21:27:58 | |
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