
'92年のモータースポーツ活動休止宣言以来、一向に復帰のアナウンスをしないマツダを憂えるファン達が集まり、一刻も早いワークスチーム復活を願って結成したWW2。
そんなWW2がいつか「区切りの日」を迎えるとしたら・・・
その答えはあらためて語るまでもなく、前回のブログの文脈からも明らかですね。
「いつか再び、マツダワークスチームの勇姿を追いかけたい」
私達のこの想いが実現するその日に他なりません。
では現実的に、今から二十数年前に私達が満喫した「パラダイス」は再現するのか。
何といってもそこに横たわるのは、オギャアと産声を上げた赤ちゃんが立派な大人に成長するくらい長い沈黙期間です。話はそう単純でないばかりか、ことごとくその実現を阻むような客観的事実のオンパレードであることに気付かされます。
あれから21年が経過しても未だに復活宣言をしないマツダ本体はさておき、世界の最前線に挑み続けた実戦部隊にして、私たちファンの羨望の眼差しと注目を一心に集めた憧れの「マツダスピード」。
何より、魔の’92年以降も独自にモータースポーツ活動を続け、私たちファンを絶望の縁から救ってくれた誇るべきプロ集団、「マツダスピード」。
今あらためて振り返ってみると、私が現在のような盲目的な(笑)マツダスピード信者となったのは、マツダスピードがワークス部隊として世界で活躍していた'92年までよりも、マツダの後ろ盾を失った'93年以降のマツダスピードの単独活動(JTCCレース参戦、マツダスピードクラブイベント開催、アフターパーツ販売等)を通じ、その絆が強まっていった結果のような気がします・・・。
そのマツダスピードが今から14年も前に解散し、実体として存在しないなんて、一体誰が予想できたでしょうか・・・。
そして、POLE POSITION誌が創刊した1980年の時点で、すでにマツダワークスのTOPに君臨していた憧れのヒーロー・片山義美氏、従野孝司氏、寺田陽次郎氏も、時折りイベントで元気な姿を見せてくれるものの、すでに第一線を退き、モータースポーツ界における立場も一変。しかし、彼らの残した偉大な足跡を現代に引継ぐ次世代のワークスドライバーは、誰一人として存在しないのです。
さらには、私達がいつも到着を心待ちにした「POLE POSITION」誌自体も、”魔の”1992年を最後に発行が途絶え、制作元のアドインターナショナルも消滅しています。
そう、「一時休止」のコトバがまだ耳に残る’90年代半ばであれば、元の枠組み・元のメンバーのまま完全復活を果たす可能性も残されていたかもしれませんが、無情にも時は流れ、もはやふた昔も前の思い出話になってしまいました。
日進月歩のモータースポーツの世界。
立ち止まることは即ち後退を意味するとはよく耳にする言葉ですが、今やそれを通り越し、「え?マツダって昔レースをしてたの?」と驚かれても不思議でない現状を見るにつけ、私たちの描いたパラダイスを復元しようにも、人材・資金・組織・技術・そしてマインド・・・不可欠な構成要素がことごとく「無に帰してしまった」といっても過言ではないかもしれません。
「飽くなき挑戦」・・・強い意志を持ち、逆境にもめげずチャレンジし続けることの大切さ、尊さは、他でもないマツダ自身がかの「POLE POSITION誌」で何度も繰り返し説き、また、自ら実証してきたことではありませんか。
だいたい、冊子の存在だって、この20年ですっかり一変しましたよね。
新聞や雑誌などの紙媒体が主役の座を電子媒体に奪われてからすでに久しく、その電子媒体も家置きのPCから個人の携帯タブレット端末へと、日々進化を続けているわけです(私はまだ縁がありませんが 笑)。
「かつてのパラダイスの再現を夢見ることなんて、どう考えても無意味なことなのさ・・・」
厳しい現実を前に、さしもの私もいよいよ夢の実現を諦め、WW2の看板を下ろす時がやって来たのか・・・そんなネガティブ思考が私の脳裏を過ぎり始めていた頃、
「決して諦めるのではなく、今の時代に合ったパラダイスを再定義すりゃイイのさ」
という、至極真っ当なポジティブ思考に私を行き着かせる契機となった、ある出来事があったのです。
それは、残暑厳しい2009年の秋。
奇しくも、私達WW2が長年サポートしてきたS耐マシン「#78・WW2 RX-7」が、通算12戦目となる「岡山400kmレース」にて、ST3クラスで堂々の予選ポールポジションを獲得、決勝ではTOPとハナ差のクラス2位でフィニッシュし、夢にまで見たチーム初表彰台をGetした「あの9月」のことでした。
(つづく)
Posted at 2013/02/28 21:12:59 | |
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隠れ家発のWW2 | 日記