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Nuk-P@RailStarのブログ一覧

2013年02月28日 イイね!

継続か、解散か。(2)

継続か、解散か。(2)'92年のモータースポーツ活動休止宣言以来、一向に復帰のアナウンスをしないマツダを憂えるファン達が集まり、一刻も早いワークスチーム復活を願って結成したWW2。

そんなWW2がいつか「区切りの日」を迎えるとしたら・・・

その答えはあらためて語るまでもなく、前回のブログの文脈からも明らかですね。
「いつか再び、マツダワークスチームの勇姿を追いかけたい」
私達のこの想いが実現するその日に他なりません。

では現実的に、今から二十数年前に私達が満喫した「パラダイス」は再現するのか。
何といってもそこに横たわるのは、オギャアと産声を上げた赤ちゃんが立派な大人に成長するくらい長い沈黙期間です。話はそう単純でないばかりか、ことごとくその実現を阻むような客観的事実のオンパレードであることに気付かされます。

あれから21年が経過しても未だに復活宣言をしないマツダ本体はさておき、世界の最前線に挑み続けた実戦部隊にして、私たちファンの羨望の眼差しと注目を一心に集めた憧れの「マツダスピード」。
何より、魔の’92年以降も独自にモータースポーツ活動を続け、私たちファンを絶望の縁から救ってくれた誇るべきプロ集団、「マツダスピード」。
今あらためて振り返ってみると、私が現在のような盲目的な(笑)マツダスピード信者となったのは、マツダスピードがワークス部隊として世界で活躍していた'92年までよりも、マツダの後ろ盾を失った'93年以降のマツダスピードの単独活動(JTCCレース参戦、マツダスピードクラブイベント開催、アフターパーツ販売等)を通じ、その絆が強まっていった結果のような気がします・・・。
そのマツダスピードが今から14年も前に解散し、実体として存在しないなんて、一体誰が予想できたでしょうか・・・。

そして、POLE POSITION誌が創刊した1980年の時点で、すでにマツダワークスのTOPに君臨していた憧れのヒーロー・片山義美氏、従野孝司氏、寺田陽次郎氏も、時折りイベントで元気な姿を見せてくれるものの、すでに第一線を退き、モータースポーツ界における立場も一変。しかし、彼らの残した偉大な足跡を現代に引継ぐ次世代のワークスドライバーは、誰一人として存在しないのです。
さらには、私達がいつも到着を心待ちにした「POLE POSITION」誌自体も、”魔の”1992年を最後に発行が途絶え、制作元のアドインターナショナルも消滅しています。

そう、「一時休止」のコトバがまだ耳に残る’90年代半ばであれば、元の枠組み・元のメンバーのまま完全復活を果たす可能性も残されていたかもしれませんが、無情にも時は流れ、もはやふた昔も前の思い出話になってしまいました。

日進月歩のモータースポーツの世界。
立ち止まることは即ち後退を意味するとはよく耳にする言葉ですが、今やそれを通り越し、「え?マツダって昔レースをしてたの?」と驚かれても不思議でない現状を見るにつけ、私たちの描いたパラダイスを復元しようにも、人材・資金・組織・技術・そしてマインド・・・不可欠な構成要素がことごとく「無に帰してしまった」といっても過言ではないかもしれません。
「飽くなき挑戦」・・・強い意志を持ち、逆境にもめげずチャレンジし続けることの大切さ、尊さは、他でもないマツダ自身がかの「POLE POSITION誌」で何度も繰り返し説き、また、自ら実証してきたことではありませんか。

だいたい、冊子の存在だって、この20年ですっかり一変しましたよね。
新聞や雑誌などの紙媒体が主役の座を電子媒体に奪われてからすでに久しく、その電子媒体も家置きのPCから個人の携帯タブレット端末へと、日々進化を続けているわけです(私はまだ縁がありませんが 笑)。

「かつてのパラダイスの再現を夢見ることなんて、どう考えても無意味なことなのさ・・・」

厳しい現実を前に、さしもの私もいよいよ夢の実現を諦め、WW2の看板を下ろす時がやって来たのか・・・そんなネガティブ思考が私の脳裏を過ぎり始めていた頃、
「決して諦めるのではなく、今の時代に合ったパラダイスを再定義すりゃイイのさ」
という、至極真っ当なポジティブ思考に私を行き着かせる契機となった、ある出来事があったのです。

それは、残暑厳しい2009年の秋。
奇しくも、私達WW2が長年サポートしてきたS耐マシン「#78・WW2 RX-7」が、通算12戦目となる「岡山400kmレース」にて、ST3クラスで堂々の予選ポールポジションを獲得、決勝ではTOPとハナ差のクラス2位でフィニッシュし、夢にまで見たチーム初表彰台をGetした「あの9月」のことでした。

(つづく)
Posted at 2013/02/28 21:12:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年02月27日 イイね!

継続か、解散か。(1)

継続か、解散か。(1)仰々しいタイトルですみません(^_^;)。
今回はマツダのモータースポーツの話です。

今年の1月、「Mazda6 GX」による”初めて”の、そして「SKYACTIV-D クリーンディーゼル」による”画期的な”、デイトナ24時間レースへの参戦が実現しました。
マツダファンの大きな期待とレース関係者の注目を浴びた緒戦、レースの神様がマツダに与えた試練はあまりにも手厳しく、デビュー戦となった3台のMazda6 GXは、開始早々から様々な初期トラブルに見舞われ、レース中盤で全滅という残念なリザルトに終わりました。

早いものでそれからもう1ヶ月。
大きな敗北感を味わったチームもすでに気持ちを切り替え、次戦に向けて急ピッチでマシンに改良を加えていることでしょうね。
北米のGRAND-AMシリーズ初登場という歴史的な参戦を果たしたディーゼルマシン。今後どんなリベンジを果たしてくれるのか、楽しみでもあります。

ところで、私がこのように最新のマツダレースカーの動向に一喜一憂している傍で、常に自問自答に陥ってしまうのが、「これはマツダのワークス活動なのか?」という疑問。

今から14年も前のことになりますが、私が1999年に立ち上げた”WW2”というクラブは、1992年秋の突然のモータースポーツ活動休止宣言以来、一向に復帰のアナウンスが聞こえてこないマツダのモータースポーツ活動を憂えるファン達が集まり、一刻も早いワークスチーム復活を願って結成したものでした。
「いつか再び、マツダワークスチームの勇姿を追いかけたい・・・」そんな想いを胸に、私たちは活動の一環として、様々なカテゴリーで頑張っているマツダのレーシングカーとプライベーター勢に熱い視線を送り続けました。
最も身近なところでは、縁あってRX-7でスーパー耐久レースに参戦する広島のプライベートチームとジョイントする機会に恵まれ、2001年から2009年まで9年間、岡山ラウンドを中心にスポット参戦を続けるチームの活動のサポートを行ってきました。
2001年の緒戦はマシンもチームも満身創痍の状態で、予選通過と決勝完走を果たすだけで精一杯でしたが、私たちの”WW2”を公式マシン名に組み入れてもらえた時の感激と、身の引き締まるような思いは、今でも忘れることができません。

さて、“WW2”という一見物騒な?クラブ名の「2つのW」の由来となったのが、“The WILL for WIN”
かつてマツダが発行していたモータースポーツ誌「POLE POSITION」上にしばしば登場していたキャッチフレーズです。

'80年代初頭から'92年にかけて、マツダが挑んできた各種のモータースポーツフィールド(プロトタイプカー耐久/ツーリングカーレース/ラリーなど)にフォーカスしたレース専門の情報誌が「POLE POSITION」。世界の舞台から発信される迫真のレースレポートが、マツダワークスチームの生々しい息遣いをファンの元に届けていました。
中でも特徴的だったのは、マツダ固有の技術であるロータリーエンジンを核にして、コース上で直接相対するライバル勢は当然のこと、時に理不尽なレギュレーションとも間接的に戦いながらも、「勝利への意志」を胸に秘めて世界の頂点を目指し続けるという、執念にも近い”飽くなき挑戦”。
これが読者に大きな感動と強い共感をもたらし、常に厳しい競争が繰り広げられるモータースポーツの偉大さと、そこに潜む無限の魅力を伝えてくれたものです。

そんな「現在進行形」のマツダワークスの姿を、リアルタイムで追い続けたあの頃。
無論、見開きだとB2サイズほどになる大きなカラー冊子が読者の手元に届くまでには、「リアルタイム」とは言い難いほどのタイムラグが存在していたはずですが、プロのカメラマンが鋭く切り取ったダイナミックなShotの数々、そして、敏腕ライター諸氏がレース関係者の生の声も交えながら綴った迫真のレースレポートを前にすれば、時間差を意識させられることは全くなかったですね(^^)。

マツダワークスがチャレンジしていた世界の大舞台。
毎戦毎戦、TV中継されるような超メジャーレースでは、リアルな順位変動やマツダ車の動向に一喜一憂し、後でじっくりと読むレポートではその現場に潜んでいた技術的背景、戦略的背景の詳細解説に思わず惹き込まれる・・・そんなアツい日々の再来を願って、WW2を結成した私。
熱烈なレースファンたちが集い、それぞれが思い出の名シーンやお気に入りのマシンについて語り出したら止まらなくなるようなコアな集団の私達ですが、そんなWW2がいつか"区切りの日"を迎えるとしたら、それは・・・

首謀者の私には心に刻んだ思いがありました。

(つづく)
Posted at 2013/02/27 22:58:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年02月25日 イイね!

よ~く乾きました。

よ~く乾きました。画像は我が家のテラス・・・というとカッコ付け過ぎなので、物干し場(笑)。

先週末、実家のアテンザスポーツワゴンから外したグレー色の純正フロアマット。
ウッドデッキに全五枚を広げ、ブラシに水道ホースをつなげて力任せに水洗いをしたその直後は、干す傍からポタポタと水滴が滴り落ちる状態でしたが、その後一週間にも及ぶ入念な天日干しの甲斐あって、それはそれは気持ち良いくらいに乾き切ってくれました(^o^)。

それにしても、フロアマットの水切り作業というのは・・・なかなか素人の手に負えないもの。
手に持ってバサバサとぎこちなく振ったり、ウッドデッキの手すりに強引に横から叩き付けたりと、自分なりに試行錯誤を重ねてみたのですが、どれも全く要領を得ず。
洗って即、はどだい無理として、せめて一両日中くらいに再利用したいと願っても、実現は相当難しそう。
そういえば、GSなどではローラーに挟み付け、機械の力で強力に絞るんでしたっけね・・・(そりゃかなわんワ)。

そんなわけで、実家のアテンザはこのたび8年目にして初めて、グレー色のフロアマットをブラック色へ暫定交換しました。
実はまだ、今回の模様替えについて両親の反応は窺っていないのですが、真っ黒なフロアマットの土汚れがやや控え目なところを見ると、日々野良仕事に出掛ける父親が大なり小なり気を遣っていることが十分見てとれます(^^)。
父が我が家のビアンテに乗り込む時と同じように、ひとまず座面に腰を下ろし、靴裏の泥を叩いてから乗り込む様子が、まさに目に浮かぶようです(^_^;)。

ただ、フロアマットの汚れに気を遣うあまりに、そのうち腰でも痛められたらシャレにならないので、なるべく早い時期に元のグレー色マットを復帰させることにした次第です。

なると、先日発掘した「ズレ防止金具」を再び元のタイプに装着し直さないといけませんねぇ・・・。
あとは、完璧に乾き切ったそのグレー色のフロアマットから、これでもかとばかりに無数の細かい砂ボコリが出てくる’予想外の事態’をどう収拾させるかも大きな課題(爆)。

次週は、防塵マスクとゴーグルで完全武装して、ハタキ片手にスカッと叩きまくりますかね!(^_^)


(広島駅Wi-Fiスポットより3度目の投稿)
Posted at 2013/02/25 11:02:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家のアテンザ | 日記
2013年02月23日 イイね!

トリプルヘッダー、今年初。

トリプルヘッダー、今年初。土曜は早朝から洗車三昧。

メインカーのRX-7こそ水洗いだけで済ませましたが、デミオとビアンテに関しては、MGボディーコーティングの定期メンテナンスも兼ねて、専用シャンプーを持ち出し、入念にボディ洗い。
おまけにホイールとタイヤもクリーニングしたものだから、全ての作業が完了したのはお昼過ぎでした(^_^;)。
ま、夏の時期の3台洗車と比べれば、体力的には遥かに楽チンでしたけどねぇ。

さて、我が家の梅はもう八分咲き
昨年は厳冬の影響もあって、3月に入ってから咲き始めるという異変ぶりでしたが、その点、今年は極めてノーマルな展開です。

その梅の木が面している市道の急坂。
(このShotもそこから見下ろして撮ったものです)
時折り、散歩中の人が足を止め、ちょっと手を伸ばせば届きそうな薄桃色の花をじっと眺め、春の訪れを感じていると思わしき姿も。

「良かったら伐っていかれませんか?」

玄関や部屋に梅の小枝を挿すだけでも雰囲気がパッと春めくでしょうし、そう声を掛けてあげたいのは山々なのですが・・・
向こうさんにしてみれば、剪定バサミを手にした見知らぬ男が近付いてくれば物騒に映るかなぁ・・・と、こればっかりは何年経っても未遂に終わっています(^_^;)。
Posted at 2013/02/24 10:27:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家の周辺 | 日記
2013年02月22日 イイね!

新型アテンザのふしぎ

新型アテンザのふしぎいや、あの・・・そんなタイトルの本が出版されたわけじゃないんです(笑)。

昨年11月に正式発売されて、このブログでも繰り返し試乗記を書いてきた新型アテンザ。
彼是十年近く初代アテンザと付き合い続けている私にとって、アテンザには並々ならぬ思い入れ・愛着があり、高い関心のあるクルマであることに加え、マツダ最新のSKYACTIV技術の粋を集めた”フラッグシップ”として鳴り物入りで登場したとあって、他のマツダ車には申し訳ないくらい、個人的にこの三代目アテンザに肩入れしてきたことは偽らざるところです(^_^;)。

そんな話題のアテンザも、早いもので発売からもう3ヶ月。
ここへきて購入ユーザーへのデリバリーも徐々に進んできたとみえ、遂にこちら周南市界隈でも、路上で新型アテンザに出くわす機会が増えてきました。

かし、いざ街中で遭遇してみると、私はこれまで経験したことのない、ある"異変"に戸惑っています。

それは何かというと・・・対向車線の遥か彼方にそれらしき姿を認めた・・・と思っても、どうしたことか、それがなかなか「アテンザだ!」とい強い確信につながらないのです(・_・;)。
これは、誰よりも”マツダ車センサー“を鋭く研ぎ澄ませていると自負している私にとっては異例の事態(苦笑)。
「アテンザかな?」と思ったまま・・・距離が近付いてきても一向に確信に至らず、擦れ違う直前にならないと結論が出せないのです。

コレ、同じような顔立ちの「CX-5」の場合だと、明らかにSUV然とした背格好のお陰で、わりと瞬時に識別が進むのですが、ロー&ワイドなシルエットで切れ長の眼をしたアテンザの場合、遠目で見た印象が、輸入車も含めたCDクラスセダン勢のイメージの中に埋没してしまい、どこか決定打に欠けるような気がするのです。
(これ見よがしのグリルもないですしね・・・笑)

これは一体、どうしたことか・・・
魂動デザインに対する私の"マツダ車センサー"のキャリブレーションがまだ不十分なのか、そもそもセンサー自体が老朽化してしまったのか(・_・;)。
そう言われてみればたしかに、若かりし頃は、たとえ夜間であってもヘッドライトの輪郭だけで対向車をほぼ正確に判別できていたというのに、最近は全然ダメですからねぇ・・・(苦笑)。

れはともかく、クルマ単体で見る限りにおいては、その堂々としたサイズと、ライバル車とは一線を画すオリジナリティ溢れるデザインに思わず目を奪われてしまう新型アテンザだけに、見慣れた街の景色の中に置いた瞬間、びっくりする程とけ込んでしまうというか、存在感の主張が希薄に感じてしまうことは、全く予想すらできなかった事態・・・。

ま、単なる慣れの問題かもしれませんが、マツダ好き・アテンザ好きの私のプライドにかけても、自らの”新型アテンザセンサー”を適切に機能させるべく、暫くは特訓に励みたいと思います(^_^;)。
Posted at 2013/02/23 09:44:09 | コメント(5) | トラックバック(0) | 隠れ家のアテンザ | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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