
前回、前々回と、今年のル・マン24時間レース中継を振り返りつつ、LMP2クラスでNISSANのV8エンジンが最大勢力の15台を占め、かつてのジャッドやコスワースといった名機のごとく、伝統のレースを底辺から支える重要な役割を担っていることにあらためて気付いた私。
そういえば昨年、LMP2クラスへの参入で「ル・マン復帰」を表明したのがマツダだったよなぁ・・・と我に返り、急にその後の動向が気になってきました。
ご存知の通り、今年のル・マン24時間レースは90周年の特別大会でした。
レース前には記念セレモニーが行われ、‘90年代のル・マンのベストマシンに選出されたマツダ787B(#55)が、寺田陽次郎選手のドライブで2年ぶりのデモランを披露するという大きな話題がありましたが、本戦のエントリーリストには、残念ながら「Mazda」の文字はなかったのです。
昨年お披露目されたスカイブルーのローラ・LMP2マシンの登場を期待していたマツダファンにとっては、思いっ切り肩透かしを喰らわされた気分だったかもしれません。
あのル・マン復帰プロジェクトは一体どうなってしまったのか・・・
もちろん、現代版「POLE POSITION誌」であるMZRacingサイトが私達に届けてくれる最新情報のおかげで、マツダの再挑戦プロジェクトの核となるSKYACTIV-Dクリーンディーゼルエンジンの現状は、完全に闇の中というわけでは必ずしもありません。
曰く、北米GRAND-AMシリーズでクラス三連勝中のMazda6(新型アテンザ) に搭載して引き続きレーシングユニットとしての熟成を進め、基本性能に一定の目途が付いたところでLMP2マシン搭載に向けた開発をスタートする、というのが現在のステータス。
そういう意味で、今週末に開催されるGRAND-AMのワトキンスグレン6時間レースでいかにMazda6 GXが戦闘力を見せるかは、今年のGXクラス制覇に向けた展望のみならず、その先に控えるル・マン復帰プロジェクトの今後を占う上でも、非常に大きな注目が集まるわけです。
ところで、今年のル・マンのLMP2クラスを見る限り、まずは15台という圧倒的シェアを誇るNISSANエンジンの大きな壁が存在し、追ってJuddエンジンが4台、Pragaエンジンが3台、Hondaエンジンが1台と、まさに群雄割拠。一口にクラス制覇といっても、一筋縄ではいかないことは火を見るよりも明らかです。
ここで、過去のマツダのル・マンにおけるクラス順位を振り返ってみましょう。
“マツダのチャレンジ”と定義されている全14回の最上位マシンは以下となります。
‘74年 シグマMC74マツダ (S 3.0クラス) --位(周回数不足)
‘79年 マツダRX-7・252i (IMSAクラス) --位(予選不通過)
‘81年 マツダRX-7・253 (IMSA-GTOクラス) --位/全4台中 (リタイヤ)
‘82年 マツダRX—7・254 (IMSA-GTOクラス) 6位/全11台中
‘83年 マツダ717C (Gr.Cジュニア)
1位/全5台中
‘84年 マツダ727C (グループC2) 4位/全13台中
‘85年 マツダ737C (グループC2) 3位/全16台中
‘86年 マツダ757 (IMSA-GTPクラス) --位/全4台中 (リタイア)
‘87年 マツダ757 (IMSA-GTPクラス)
1位/全3台中
‘88年 マツダ767/757 (IMSA-GTPクラス)
1位/全3台中
‘89年 マツダ767B (IMSA-GTPクラス)
1位/全3台中
’90年 マツダ787/767B (IMSA-GTPクラス)
1位/全3台中
‘91年 マツダ787B/787 (カテゴリー2)
1位/全29台中 (※総合優勝)
‘92年 マツダMX-R01 (カテゴリー1) 4位/全16台中
14回のうち、クラスもしくはカテゴリーで1位となったのは、’83年と’87年~’91年にかけての全6回。
そのうち、’88年から’90年の「3回」は、マツダ車以外に同クラス参加マシンがいない独占状態で、完走すればクラス1位が確約されていたもの。’83年と’87年も、総勢3~5台での小規模なクラス優勝争いでした。(※'87年はGTXマシンが1台編入した結果の全3台)
唯一、総合優勝を果たした’91年だけが「全29台中」と、桁違いの台数に見えますが、これは新規定の3.5L自然吸気マシン以外の全ての「旧来型Gr.Cマシン」がカテゴリー2に集約されてしまったためであり、あくまで表面的な数字。
実際には29台のマシンの中でも、ポルシェやマツダ、旧規定の3.5L自然吸気マシンの最低重量は他のターボ勢とは別枠で設けられていたので、使用燃料制限と併せ、実質的にはカテゴリー2内に複数クラスが混在していたようなもの。つまり、あの栄光の’91年ですら、マツダは「RE搭載マシン」3台だけの単独クラスでル・マンに臨んでいたという見方もできるのです(^^)。
こうしてみると、伝統的にマツダは、同一クラス内で数多くのマシンが覇権を争うようなケースでは概ね苦戦続きで、それほど芳しい戦績を挙げていない事実が浮き彫りになります・・・。
もちろんその裏には、ロータリーエンジンという唯一無二の独自技術で、多数派のレシプロエンジン勢と対峙しなければならない客観的事情が大きく影響しているわけですが、ふと考えてみれば、NISSAN(V8-4.5L)、JUDD/PRAGA(V8-3.6L)、Honda(V6-2.8Lターボ)といったガソリンエンジンユニットが乱立する現在のLMP2クラスに、独自のディーゼルターボエンジンで斬り込んでいく姿も、構図としては似たようなもの。
但し、近代ル・マンにおけるディーゼルエンジン搭載車(Audi、Peugeot)の活躍により、ディーゼルとガソリンとの性能調整が進み、熟成の域に達してしまっていることは、新興ディーゼルエンジンにとって極端な有利/不利が生まれにくいことを意味し、マツダとしてもRE参戦時代ほどレギュレーションに対する言い訳は通用しないでしょう。
そう考えてみると、今ひとつファンとして捉え処がないように感じる「SKYACTIV-DエンジンによるLMP2挑戦」は・・・パワーユニットを4ローターREからレシプロV10にスイッチし、遂にライバルと同じ土俵に上がった「1992年」、そう、MX-R01によるルマンチャレンジと最も雰囲気が近いかもしれませんね。
・・・あ、そういうことか。
その、MX-R01でのレース活動を僅か1年で終了させることになった直接の引き金といえば、1992年の秋、マツダ自身が発表したあの忌まわしき「モータースポーツ活動休止宣言」でした。(ま、実際はFIAのカテゴリー1構想そのものも同時に終焉を迎えたのですが)
その1992年以来、未だに公式なワークス活動再開のアナウンスがないということは即ち、マツダワークスのル・マン挑戦史は1992年を最後に止まっているということ。
(※便宜上、㈱マツダスピードやAutoExeによるその後のル・マン参戦は除きます)
ここで時間軸を一気に縮め、その「1992年」のすぐ次に、やがてLMP2参戦が実現する”来たるべき”「201X年」を続けてみたらどうでしょう。
1991年、REによる総合優勝を果たし、全13回にも及ぶ執念のル・マン挑戦に一区切りを付けたマツダが、次の新たなチャレンジとして、翌年はガソリンV10、その翌年はディーゼルターボと、REに代わる新パワーユニットの可能性を探りながら、マツダらしいアプローチでのル・マン2勝目の実現に向け、虎視眈々とシナリオを構築しつつある・・・と、強引に解釈できなくもありません。
うーん、我ながら、なかなかの妙案が閃きましたね(笑)。
こうなったら私も、例のモータースポーツ活動休止宣言のショックがまだ冷めやらなかった1993年当時にタイムスリップした気持ちになって、次にマツダが見せる展開に大いに期待をしながら、マツダエンジンのLMP2参戦の日を待ちたいと思います(^_^.)。
(20年ものタイムスリップはキツイですが・・・社会人1年目の頃を思い出そう)