
実家のアクセラXDで私が感じた「あんなこと」「こんなこと」をユーザー目線で綴ってきたプチ報告シリーズ。
9月をもって一旦最終回宣言をしたのに、その舌の根も乾かないうちに続編の登場です(苦笑)。
●SCENE #37 サンバイザーの悲哀
現在も月に数回程度、母親の通院に付き添っている私。
行き先は隣町の総合病院なので、実家を出発した後はひたすら東方面に向けてクルマを走らせるわけですが、駐車場を出て幹線道に合流するまでの間、アクセラの鼻先は一時的に南側を向きます。その間、距離にしてざっと30m、時間にしたらせいぜい30秒くらいでしょうか。
しかし、そんな僅かな間にも、晴れた日には強烈な陽射しが容赦なくフロントガラスを覆ってしまうので、その時に助手席の母親がどんな行動に出るかといえば・・・ハイ、皆さんも想像の通り、眩しさのあまりに助手席のサンバイザーを下ろすわけです。
無論、これは当然の成り行きであり、別に母が間違ったことを仕出かしたわけではありません。
むしろ、サンバイザーの存在、その機能を十分理解してこその操作。当の母親だって、昔からクルマに乗ったら何の気なしにやってきたことであるはず。
でも、そこで母親がボソッと一言。
「お父さん、これ(サンバイザー)下げると、すごく怒るのよね・・・」
「あ~、なるほどね・・・」
私があまりにすっと受け流してしまったので、母はそれ以上言葉を続けませんでしたが、私には瞬時に状況が理解できました。
アクセラオーナーの方ならたぶんイメージできるかと思うのですが、端的にいって、助手席のサンバイザーはドライバーにとってひたすら「ジャマな存在」でしかないのです。
元々、魂動デザインの影響で、サイドウィンドウの天地幅が狭まっているところに、Aピラーがグンと後退してきたお陰で、お世辞にも斜め前方視界は良いとは言えないのがアクセラ。
よって、その僅かに開けた左斜めの視界にサンバイザーの陰が少しでも覆い被さってしまうと、余計に圧迫感が増したように感じてしまうのですね。
もっとも、自称・孝行息子の私は、たとえそう感じたとしてもグッと言葉を飲み込み、母親の行為を咎めることはしません。せいぜい目的地に着いてからそっとバイザーを元に戻しておくくらい。
しかし、長年連れ添った老夫婦ともなるとそんな遠慮もないので、父もズケズケと「ジャマだ!」と言い放ってしまうのでしょう。
「あぁ、コレねぇ、父さんの言うこともわかるんだけどね・・・」
そんな言葉を助手席の母に返しつつ、一方で私は少し安堵したのです。
なぜって、母の行動をイチイチ咎めるほど、父親が運転中の視界確保に対して敏感になっている、そう解釈できたからです。
世の中には、ルームミラーやドアミラーが明後日の方向を向いていても、リアガラスが埃だらけで何も見えなくても、一切お構いなしに運転しているドライバーもいます。
私は運悪くそんな前走車に出くわしたら、車線を変えるか、車間距離を大きく空けてなるべく関わらないように心掛けます。だって、後方を全く気にしないドライバーに追従していても、良い事は何も起こらないですからね。(もちろん、サイドウィンドウさえ遮っている輩は論外と言わざるを得ません・・・)
私が普段からそんな周到な危険予知や安全意識を持つに至ったのも、思い返せば、小さい頃から助手席の私に対し、
「運転は前だけ見ていてはダメだ、前と同じくらい後ろも見ないと」
「ウィンカーは他人のために出すもの、曲がる直前に出したって意味はない」
などと、運転の操作よりはむしろ、現実的な路上での作法について、何度も繰り返し教えてくれた父の影響があってこそ。
そんな父が、もし以前ほど安全確保に気を遣わなくなっていたとしたら、私の胸中には「父親も歳を取ったなぁ・・・」などと簡単に割り切れない複雑な思いが去来していたに違いありません。
人間というもの、加齢に伴って反射神経は勿論のこと、判断力や認知力が衰えていくのはある程度仕方のないことですが、そうした「能力の低下」と「安全意識の低下」は異質な話であり、次元が違う問題と考えていたからです。
ホント、そんな残念な展開にならなくてホッとしましたよ。
私が毎朝、どんなに忙しくても、嫁さんのデミオや父親のアクセラのウィンドウ清掃を欠かさないのは、こうした安全確認を少しでも万全の状態(視界)で確実に行ってもらいたいとの一心から。
折角、母親がサンバイザーを下げるのを咎めても、その先にあるサイドウィンドウが汚れていては全く意味がないですからね。
(いいぞ、オヤジ・・・)
そんなわけで、ここ数日、アクセラのウィンドウを拭き上げる私の手に一層力が入るようになったのは、言うまでもありません(^O^)。
Posted at 2015/10/19 22:20:15 | |
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隠れ家のアクセラ(プチ報告) | 日記