
またも1ヶ月近く、みんカラブログにブランクを作ってしまいましたね・・・
この間、給油記録や整備手帳は細々とアップしていたので、かろうじて生存報告代わりにはなっていたと思いますが、兎にも角にも、私にとって間違いなくこの3月上旬は、これまでの人生で経験したことがないほど多忙な10日間でした。
そもそもは月初めに、人生初の社外講演を引き受けていたのが、終わりなき多忙の連鎖の始まり。
これがゼロベースの準備を強いられる内容だったため、2月後半は定常業務そっちのけで資料づくりに忙殺されたし、悪いことにその次の週末に提出する書類もあったので、講演へ向かう新幹線の車中ではそちらの作業に掛かりっ切り。
広島から東京まで、のぞみ号の4時間があっという間に感じたのも、人生初の貴重な体験でしたよ(苦笑)。
ではその間、せめてプライベートは平穏だったかといえば、さにあらず。
講演の数日後、高齢の母の様子がおかしいとの父の電話を受けて夜明け前に実家へ駆け付け、胸の苦しさを訴える母をそのまま救急搬送(-_-)。
なんと、昨年11月の父に次いで、人生2度目の救急車搭乗が不意に実現してしまったのです。
偶々その夜はほぼ同時に複数の救急搬送が集中して、母よりも遥かに重篤な患者さんが多数担ぎ込まれたので、意識もハッキリして命に別状がなかった私たちは、救急外来診察室前の廊下に置き去りにされ、3時間も検査結果待ちをするハメに。
幸いにも、その待ち時間中に母の体調が急回復したので入院は不要となり、午後には無事帰宅することができたのですが、明け方から暫くは、実家に残してきた父の今後の身の回りの世話について真剣に思案を繰り返すという、結構シビレる時間を過ごしました。
(あと数週間もすれば実家の目の前に住めるというのに、どうしてこのタイミングで・・・なんてね)
そして、運よく事なきを得たその翌日には、父の週次通院のため再び朝から同じ病院へ足を運ぶことになった私ですが、そこであらためて感じたのは、母の救急搬送が他のイベント日と重ならなくて良かったということ。
奇跡的に出張や通院の合間を縫って母の体調が悪化してくれたわけで、これこそ、不幸中の幸いというほかありません。
そんな、盆と正月が一緒にやってきたかのような
タフな10日間。
せめてもの救いは・・・私自身がこの修羅場?を元気に乗り切れたことでしょうか。
無論、これは家族の支えや同僚の理解があってのことでして、自分ひとりが頑張っても土台無理だったことでしょう。
ホント、こればっかりは周りにいくら感謝してもし切れませんm(__)m。
さて、上旬だけで史上最大級の忙しさを経験した3月。
しかし、なおも引き続いて、中旬から下旬にかけては、これまた史上最大級(苦笑)の住宅ローン契約をはじめとして、竣工確認や引越しなどの新宅関連のイベントが目白押し。しかも、この期に及んで、工期のズレ込みや仕様の不具合でハウスメーカーさんとはタフなやりとりを継続中ときています(T_T)。
さらには仕事の方も、勝手に棚上げしていた定常業務のフォローに全力疾走しなければなりません。
下手をすると・・・この1ヶ月だけで裕に1年分老け込んだりして(-_-;)。
あ、でもその一方で、良い出来事もあったんですよ。
波乱の上旬を終え中旬に入ったその初日、地元某所でみん友さんのエイト・テスタロッサさんご夫妻にバッタリ。
駐車場内での僅かな時間でしたけど、トゥルーレッドのデミオのウィンドウ越しにお話ができて、随分と心のリフレッシュになりました。
この調子でなんとか残り3分の2を乗り切り、晴れやかな気持ちで次回のブログを認めたいものです。
(あ、また暫く放置するって暗に言ってる 笑)
Posted at 2017/03/13 23:44:24 | |
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