中学生の頃、オーディオに興味を持ち、サウンドレコパル誌やFMレコパル誌を購読していました。
今思えば音質についてよく分かっていないのに、それらを読んで分かった気になっていたのでしょう。
さて、当時秋田にはFM放送局がNHKの1局しかなく、初の民放FM秋田が出来るということで、色々なLPレコードを丸々一枚、次々とかける試験放送が毎日行われていた頃の話です。
ある日どちらかのレコパル誌で本機、ソニー・D-50が紹介されました。一般家庭にCDプレーヤーが普及する前で、据付タイプはまだ高嶺の花、中学生が買える値段ではありませんでした。
しかし本機は49,800円と、小遣いやお年玉をかき集めれば買える値段でした。
どうしても欲しくなった私は、なけなしの貯金を財布に入れ、片道約15kmのデンコードーという電器屋まで自転車を走らせました。
前かごを付けたブリヂストン・モンテカルロ号のバッタモノ自転車を漕ぐその勢いは、D-50の更に上を行く、D51形蒸気機関車、いわゆるデゴイチ並でした。
鼻穴から蒸気を出し、常軌を逸した勢いで、上気した顔で店に飛び込みました。
幸い在庫があったためすかさず購入し、自転車の前かごにそれを入れ、ルンルンで帰宅しました。
試聴のために用意したCDは、オフコースのThe Best Year Of My Lifeというアルバムです。確か3,500円でした。
既にレコードの同アルバムを所有していたのに、思わず購入してしまったこのCD、聴き比べという意図はなくもなかったですが、単純にファンだったので、今で言うお布施の感覚で買ったのだと思います。
そしてステレオに接続しCDを再生してみますと、音が無機質というか冷たいというか、レコードに針を載せなくてもいいという利便性と引き替えに、音の温もりがなくなったような気がしました。
それでもボタンを押すだけで音楽を聴けるのは楽ちんで、気に入って使用していました。レコードは音を出すまでの手順が面倒くさくなり、やがて聴かなくなりました…。
こうしてしばらく本機を使用しましたが、その後値段がこなれてきた据え置きプレーヤー購入に伴いお役御免となり、ずっと物置に放置されておりました。
そしてこのほど約30年ぶりに電源を入れてみたところ、液晶画面は表示されましたが、CDディスクを認識せず、音楽を聴くことは叶いませんでした。残念。
ということで、再び物置で永遠の眠りにつくことになりました。
おまけ:二十歳頃の自室の写真が出てきました。オーディオ機器は、ボーナスをもらうたびに単品を一つずつ買い足していきました。
レコードP:テクニクス
アンプ:マランツ
チューナー:テクニクス
CD:DENON
DAT:ソニー
スピーカー:DIATONE
このシステムで80年代HR/HM、ビートルズ、70年代邦楽フォークソングを良く聴いていました。
流行の邦楽は聴かなかったため、周囲の友人とは話が合いませんでした。
この後生活環境の変化ですべて処分、もったいないです。
それにしても、なぜ自室の壁に「自衛官募集」のポスターが貼ってあるのか?
これは確か当時上野駅で自衛隊の勧誘に遭ったとき、犬の写真が可愛かったので記念にもらったような気がしますが、定かではありません。
ついでに、当時の友人から今も借りっぱなしになっているCDが出てきました。決して借りパクではあり…ありあり?
後発の、テクニクスのCDerというポータブルプレーヤーの購入特典です。
ケースを開いてみますと、ジャケットに同機の写真がありました。本体がジャケットサイズというのが売りでした。
主な収録曲は「白い炎」(斉藤由貴)、「セーラー服を脱がさないで」(おニャン子クラブ)、「哀しい予感」(岡田有希子)などなど、当時のヒットナンバーです。
画像を拡大していただけますと、懐かしさで涙が出てくるかも。
当時は現在のようにサブスクが主流となり、CD自体が廃るとは夢にも思いませんでした。そんな哀しい予感は、全くありませんでした。
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Posted at
2023/05/30 05:58:11