制作途上の駆逐艦、ようやく部品が揃い完成にこぎつけました。
大東亜戦争緒戦から数多の死線と多くの仲間の死を乗り越え生き残った、幸運の駆逐艦または奇跡の駆逐艦とも呼ばれる、
「雪風は沈みません!沈むわけにはいきません!」
陽炎型駆逐艦8番艦雪風

(艦隊これくしょんより。パンツが透けているが気にしない!我が鎮守府でのイベントにおける主力艦の1隻)
の再制作です。以前制作したものは弟にあげました。ちなみに、このセリフは寺内艦長の実際のセリフから。映画「男たちの大和」で、
戦艦大和轟沈後救助に来た駆逐艦こそ雪風です。
奇跡の駆逐艦と呼ばれるのはほとんどすべての大きな海戦に参加し、目立った被弾することもなく、さらにはただの1人の死者も出さずに生き延びたことによるものでしょう。
そして、幸運ではあったものの、戦時中は決して幸福の駆逐艦ではなかったのです。数多の修羅場を潜り抜けてきただけに、戦艦大和をはじめ、空母
赤城、空母
信濃など数多の仲間の最期を看取り、最後の出撃である天一号作戦における「坊の岬沖海戦」では、ずっと一緒に行動を共にしてきた姉妹艦の
浜風の最期を目の当たりにし、空襲によって航行不能になった
磯風を処分するため自らの手にかけました。磯風の乗組員の悔しい思いもしかり、姉妹艦それもずっと苦楽を共にしてきた磯風を手にかけた時の雪風の思いたるや、小説「高瀬舟」を思わせます。誰が何と言おうと、クルマにもフネにも感情はあると思っています。それを計り知る手段がないだけで。でなきゃ、擬人化できるはずがないのです。特にそれを感じるのは、同じく坊の岬沖海戦に参加し、満身創痍ながら後進で息も絶え絶えにようやく帰還した
駆逐艦涼月の話です。
自分だけが生き残った海戦もあり、「雪風がいたら全滅する」だの「死神」だの「自分は戦わず逃げ回ってばかりいたから生き残れた」だの痛烈な非難を浴びたエピソードもあり、幸運=幸福とは決して言えず、幸運の駆逐艦であると同時に哀しみの駆逐艦でもありました。しかし寺内艦長をはじめ乗組員たちは雪風を大事な仲間として大事に扱い、戦後台湾に賠償艦として引き渡された際には新造艦かと思えるほどきれいな状態だったと言われています。また殺した敵の数より、救助した数のほうが圧倒的に多いのは、姉妹の磯風や浜風も同様です。
戦後まもなくは復員輸送船として活躍し、台湾に引き渡された後は駆逐艦丹陽に改名し、台湾海軍旗艦として、台風によって喪失するまで大事に扱われながらも活躍しました。その台湾では「
Battleship Girl -鋼鉄少女-」という漫画において擬人化された雪風が主人公となっており、台湾では人気者だったのが窺い知れます。
過去に雪風だけではなく姉妹艦の浜風、磯風、不知火も制作しており、駆逐艦としてもすでに30隻近く、陽炎型としては通算5隻目なので作り慣れており、制作時間は5時間ほどでした。
艦首側から

1隻目の雪風にあった艦首旗竿の日章旗と、識別表示の煙突のハチマキは省きました。
艦尾側から

1隻目は艦橋近辺しか再現していなかった単装機銃の防弾板を艦尾側でも再現しました。
呉の雪風&佐世保の時雨再び

幸運艦として名高い2者ですが、その生い立ちは決して平穏ではなく凄絶なものでした。
駆逐艦雪風、その名は現在嘗ての姉妹艦だった浜風と共に海上保安庁のすずかぜ型巡視艇それぞれ「ゆきかぜ」「はまかぜ」(いずれも現役)として生まれ変わり、我が国の海を守り続けてくれています。磯風も「巡視艇いそかぜ」として2016年まで我が国の海を守ってくれました。
雪風が背負った哀しみ、決して繰り返してはいけない。そして戦争は二度と起こしてはいけない(注:戦争の原因を作るなという意味であって、してはいけないとは言っていない。憲法9条は改正すべき。日本は日本人自身が護らねば。我が国の交戦権は、日本国の防衛並びに集団的自衛権の行使を目的とする場合に認めるべき)、そう思います。
そしてやっぱり、駆逐艦は最高です。もうロリコンでいいや(諦
補足:制作途上の空母ですが、都合上次回完成とはならない可能性があります。
ブログ一覧 | 趣味
Posted at
2019/03/03 22:34:01