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埴方祐守治のブログ一覧

2019年03月26日 イイね!

「シーマ現象」を生み出したバブルの落とし胤 日産Y31型シーマ

某艦隊アプリゲームで、1940年代既に艦齢20年を超え時代遅れとなっていた英国の重巡洋艦ホーキンスを米国出身の作戦参謀が「ずいぶんとくたびれた艦」と言ったことに対し、英国出身の艦隊参謀が「齢を重ねてもなお魅力的な淑女に向かってくたびれたとは失礼な言い草だな」と反論するシーンがあります。「最新の兵器は最強の兵器」が古今東西の常識なので、合理主義の米国的な作戦参謀の発言は一理あります。しかし、クルマにそれはむしろ艦隊参謀の発言にこそ理があります。

私の愛車もとっくの昔に旧型化してはいますが、齢を重ねてもなお魅力的な淑女と言えましょう。むしろ現行型は若返りどころかお転婆が過ぎるくらいですね。
今回制作したクルマ模型も齢を重ねてもなお魅力的な淑女と言える1台です。
昭和が終わりを告げようとしていた1988年、時代はバブル経済の盛りで丁度昨今とは真逆の高級車が飛ぶように売れ、銀座から六本木までタクシーを使えば1万円札を出してお釣りをもらわないのが普通のイカれた時代でした。E30型BMW3シリーズなんて、「六本木カローラ」などと揶揄されていました。
その空前絶後の高級車ブームに火をつけ、「シーマ現象」なる言葉の由来となった高級車こそがまさにその名を持つ

Y31型日産シーマ

でした。一時期その母体であるY31型セドリックが仕事の相棒だったことがありました。セドリックグロリアの上級車種として登場したため、当初はセドリック・シーマもしくはグロリア・シーマと言う名前でしたが、2代目にフルモデルチェンジした際にシーマと言う独立した車名になりました。

おぎやはぎの愛車遍歴」に登場し、女優の伊藤かずえさんが新車で購入して以来ずっと所有されているモデルでもあり、初期モデルですでに車齢30年になりますが、未だに色褪せず魅力を放ち続けている姿に、

古くなれば重税で冷遇し、クルマを使い捨てにする今の日本の在り方はクソだな!!

と、つい言葉を荒げてしまいます。世界的に見ても史上例を見ない悪制度です。それこそ欧米の先進諸国ではモノを大事にするのが常識であり、古いクルマに長く乗っていれば逆にリスペクトを受けます。古くても良いものは良い、新しいからって良いとは限らないのです。
旧車への重課税、断固反対!!むしろ減税しろ!!!これからの選挙、みんな投票に行ってこんなクソ税制定めた連中への票は絶対入れないようにしましょう!!!!

旧型ですって?バカね、クルマの実力はスペックじゃないのよ!!

燃費だけが取り柄の産廃に用はねぇ!!!エコエコ言うなら自動車に乗らず自転車に乗ってればどうよ?
エンジンは255馬力V6ツインカムターボのVG30DETで、車重は1600kg台と、当時としては十分高性能であり、お尻を沈めながら加速していく姿は迫力がありました。そして内装も当時の贅を尽くしたものとなっており、今でも十分走る応接間たりえるでしょう。

さて、今回結構念を入れました。製作期間こそ4日ほどですが、「使えるものは何でも使え」を地で行きました。
模型店では売っていないものもちらほらと。今回使用したのは、

ゼブラのマッキー極細は小学校時代からお世話になっています。ガンプラの墨入れなどで今でこそ墨入れペンなるものが売られてますが、マッキーの方がおなじみって方も少なくないのでは?
瞬間接着剤はタミヤセメントではくっつけづらい部品や部分でバチっとくっつけたい場合に。
ゴムボンドはタミヤセメントではくっつけづらい部品や部分で仮固定したい場合またはゴムボンドで事足りる場合や、接着後も多少可動状態にしたい場合などに。特に艦船模型の主砲や空中線の接着に使ってます。
そして表面仕上げに使ったのが青色容器のプロスタッフの「磨き塾」シリーズの「擦り傷コンパウンド」です。これでばっちりつやつやボディに。

そしていつもは露出調整してますが、まったく無調整状態で撮ってみました。

ばっちり鏡面仕上げができたかと。ちゃんと左手指が映ってますよね。ってことで、ここまでの手間暇を考えると今回結構急ぎ足で制作したのがお分かりかと。


前面側から

ベースはインパル731Sですが、ノーマルにリップスポイラーとリアアンダースカートを履かせただけにしました。伊藤かずえさんのもそうですがやっぱり白のシーマってなんかいいですね。
この優しそうな顔がまたギスギスヒスを起こしたような面構えが多い今時のクルマにはないもので魅力的です。中途半端に塗り残しができてしまったエアインテークのフィンですが、塗り残しが八重歯っぽくなって可愛い面構えになってしまいました。
ホイールも当時物のインチアップしていないBBSというのがいいですね。正直普通に乗る分にはこのサイズで十分ですよ。

後ろ側から

流石に古さは否めませんが、この横長のテールも間延びしたリア回りもたくましさとゆとりを感じます。

右正横から

VIPカーブームの時は脳の涼しい連中にゴテゴテして汚らしい下品なドレスアップを施された個体が多く存在しましたが、これ以上何を求めるの?って疑問を抱くくらいまとまった美しい車体だと思います。フロントバンパーのコーナリングランプに時代を感じますね。
内装色は、タミヤのダークシーグレイとロイヤルライトグレイの英独軍艦コンボとしました。

Y33型シーマなら過去に制作したことがありますが、初代シーマは今回が初めてです。当時日産が本気で作った1台に変わりはなく、今でも十分一級を保っているクルマだと思います。そしていいものは長持ちするってはっきりわかるんですよね。

次回は何から作りましょうかね。いいものができた時の達成感はえも言えぬものがあります。
Posted at 2019/03/26 15:26:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2019年03月21日 イイね!

昨年末以来のクルマ模型着手

なんかSNSって空虚ですね。いくら話題性のある発信をしても、ちょっとでも更新間隔が長くなるとすぐ飽きられてしまうので、一定数のアクセス数を維持できている人って尊敬すると共に、どんな社会人生活を送ってるのか気になるところです。ってことで、今回もあくまで中間報告です。

艦船模型は戦艦榛名から始まってついに通算90隻に迫ろうとしています。しかも艦船模型復帰第一号の榛名も制作時からだいぶ修正して完成度を高めました。今度フジミの艦NEXTシリーズからレイテ沖海戦時の榛名のフルハルモデルが登場したので、そう遠くないうちに制作しようと思います。

艦船模型は組み立てこそ難しいけど、戦車や航空機同様塗装が手軽なので内容の割には短期間で完成していますが、クルマ模型はボディ塗装にこぎつけるまでに手間暇かかるのでどうしても月に1台作るのがやっとです。本気出せば週刊クルマ模型は可能かとは思いますけどね。

そして昨年末以来、実に3カ月ぶりにクルマ模型に着手しました。前回の記事の有言実行ですね。
予定していても都合で変わる(例えばクルマ模型の場合屋外塗装のために雨で塗装中止してその間艦船模型を作るなど)ことなどよくあることなので。
まず、作りたいモデルほど生産終了していることと、その作りたいモデルの殆どが20世紀のモデルであることが足枷となってます。
今回もその20世紀を代表する歴史的なモデルの一つとなります。

とりあえず、車台の組み立ては完了、車体も表面処理を終えてこれから塗装の段階まで進捗しました。表面処理自体は一日で終えてますが、短期集中で4時間ぐらいかけてます。パーティングラインが少量で変形やバリもなかったために楽にできました。

alt

なんか懐かしいシルエットですよね。そこそこクルマの知識のある人ならこの段階で何のクルマを作ってるのかまるわかりですが、あえて車種名は伏せておきます。日本車史にその名を刻んだ一台です。
一応予定ではこの後内装を作って、土曜日か日曜日に車体塗装。土曜日に塗装ができれば日曜日仕上げ、日曜日に塗装したなら火曜日に仕上げるつもりです。
多分、塗装自体は一発成功するでしょう。
このクルマの後はまた艦船模型1隻作って、またクルマ模型の予定です。もちろん予定変更の可能性はあります。
Posted at 2019/03/22 01:07:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2019年03月15日 イイね!

久々の戦車制作 チハたんズの野戦火力担当、一式七糎半自走砲 ホニI

久々に戦車模型作りました。前回初めて作った戦車界のアイドルとでもいうべき存在、チハたんの愛称で知られる九七式中戦車は1/35スケールで1/24のクルマ模型と大差ない大きさでした。
折角ならディオラマ作ってとかハマり出すと部屋がいくつあっても足りなくなるので自重しようと、今回は1/76としました。他にも1/48とか1/72とかありますが、1/76と1/72では船で言うところの1/700と1/720位の微々たる差なので同じ立ち位置にしようかと思います。クルマで言うとちょうどカプセルエムテックの縮尺なのでそのシリーズと並べることができますね。
チハたんの戦闘力はチハたんの記事で熱弁しましたが、1930年代それもノモンハン事件や支那事変などで慌てて開発された経緯があって兵器として色々問題点を抱えていました。それでもノモンハン事件では大活躍して戦争こそ負けたものの戦車の損失は大日本帝国&満州国チハたん&八九式中戦車(ダックテールの愛らしさは随一!)&九七式軽戦車(おむすびのような愛らしいシルエット)29輌なのに対し、ソ連&モンゴルはBT-5BT-7T26(WarThunderではロシア補正マジコロス!!個人的不倶戴天の仇)など397輌と、キルレシオは約13.7:1と圧倒的な強さを誇りましたが、日米開戦のころにはすでに時代遅れとなっていました。

特にアメリカ陸軍における新鋭のM3リーM4シャーマン相手ではチハたんは苦戦を強いられ、チハたんの改良版(アジアと太平洋の平等と平和のために今日も戦う、帝国戦隊チハたんズ)が次々と登場しました。

チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい

その中で特に宿敵シャーマンマジコロスマンとしてチハたんの車台に75mm口径の90式野砲を無理矢理載せた個体が

一式七糎半自走砲 ホニⅠ

です。別名一式砲戦車一式自走砲。以下ホニたん。野砲を載せた戦車だから砲戦車だし、自走できる野砲だから自走砲であるためにややこしいです(笑)
どっかの大百科ではチハースホルンなんてあだ名がついてます。
チハたんに比べオープントップとなったために後方と上方からの攻撃を受ければ乗員は確実に戦闘不能(というか即死)になり、主砲が大型化したことによる重量増で機動性が悪くなるとともに装弾数も著しく少なくなり、さらには固定砲台となって使い勝手が悪くなったという大きなデメリットを抱えたものの、500mでシャーマンを正面から一撃で仕留められるほどの火力を得ました。主にフィリピン防衛線で活躍し、たった4輌でアメリカの圧倒的優勢かつ制空権確保状態にもかかわらずアメリカ軍を苦しめ、6カ月も粘りました。ホニたんが破壊したアメリカ戦車多数。そのため、ホニたんは連合国側の評価も高いのです。そのホニたんも、火力をさらに引き上げた一式十糎自走砲ホニⅡ(チハンメル)、防御力を大幅に引き上げた三式砲戦車ホニⅢ(ヤークトチーハー)へと進化を遂げました。そのいずれも多くの欠点を抱えながらも戦中の大抵の戦車を破壊できるほどの圧倒的な火力と殲滅力で連合国側から高い評価を受けています。それもこれも、母体であるチハたんの優秀さがあるのです。ほらそこ、それしかなかっただけとか言わない!


制作に要した期間は1週間ほど、時間にして6時間ほどでした。簡単どころか古いフジミ製だけにバリが多く合いが悪いなど精度が今一つなうえ小さい故に転輪や履帯の組み立てで手こずったり、手間暇かかりました。でも可愛いから許す!可愛いは正義!今回も臨場感を出すために自宅の庭で撮影しました。

正面側から
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今回も迷彩塗装を施さず、地の色であるカーキを選択しました。細部は自分で調べて追加塗装しています。とにかく合いの悪さには泣かされました。何度くっつけた部品が取れたり飛んだことか。砲口が再現されていなかったのでドリルで穴を明けて再現しました。兵士が2人乗っていますが、恐らく車長と無線手でしょう。オープントップなのがよくわかります。機動性は悪かったらしいが、岩くらいなら乗り越えられたでしょう。

左側面から
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可愛さと機動性ならチハたんに譲ります。火力だけならチハたんを圧倒します。巨大な固定砲塔がチハたんとの大きな違いです。雑草と砕石が臨場感を引き出してます。
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こちらはチハたん。砲ちっちゃ!けどやっぱり愛らしさはピカイチ。
チハたんの可愛さがよくわかる動画

後ろ側から
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後ろから攻撃を受けたら楽に死ねます。まったく守られてませんからね。穴埋めするの忘れていたせいで、後ろから羅の狙撃で被弾したかのようですね(苦笑)マフラーは車体色指定でしたが、銀色にしました。また、ワイヤーの下に本来ある信号機のようなものもしっかり塗装しておきました。さらには、こちらからは見えませんが、バールやハンマーも再現しています。出来ればジュリ缶やドラム缶なども再現したかったが、それは別の機会に。

やはり日本は、数と量、そして稚拙な戦略で負けたのであって、個々の質では決して劣るものではなかったとはっきりわかるんです。日本の学校教育よ、ホニたんに謝れ!!そしてホニ3姉妹に散々苦戦させられたアメリカ陸軍にも謝れ!

さて、次回はまた制作中の空母はそっちのけで、クルマ模型を予定しております。
Posted at 2019/03/15 21:34:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2019年03月03日 イイね!

【再制作】佐世保の時雨と共に並び称される幸運の駆逐艦 雪風

制作途上の駆逐艦、ようやく部品が揃い完成にこぎつけました。
大東亜戦争緒戦から数多の死線と多くの仲間の死を乗り越え生き残った、幸運の駆逐艦または奇跡の駆逐艦とも呼ばれる、

「雪風は沈みません!沈むわけにはいきません!」

陽炎型駆逐艦8番艦雪風

(艦隊これくしょんより。パンツが透けているが気にしない!我が鎮守府でのイベントにおける主力艦の1隻)

の再制作です。以前制作したものは弟にあげました。ちなみに、このセリフは寺内艦長の実際のセリフから。映画「男たちの大和」で、戦艦大和轟沈後救助に来た駆逐艦こそ雪風です。
奇跡の駆逐艦と呼ばれるのはほとんどすべての大きな海戦に参加し、目立った被弾することもなく、さらにはただの1人の死者も出さずに生き延びたことによるものでしょう。
そして、幸運ではあったものの、戦時中は決して幸福の駆逐艦ではなかったのです。数多の修羅場を潜り抜けてきただけに、戦艦大和をはじめ、空母赤城、空母信濃など数多の仲間の最期を看取り、最後の出撃である天一号作戦における「坊の岬沖海戦」では、ずっと一緒に行動を共にしてきた姉妹艦の浜風の最期を目の当たりにし、空襲によって航行不能になった磯風を処分するため自らの手にかけました。磯風の乗組員の悔しい思いもしかり、姉妹艦それもずっと苦楽を共にしてきた磯風を手にかけた時の雪風の思いたるや、小説「高瀬舟」を思わせます。誰が何と言おうと、クルマにもフネにも感情はあると思っています。それを計り知る手段がないだけで。でなきゃ、擬人化できるはずがないのです。特にそれを感じるのは、同じく坊の岬沖海戦に参加し、満身創痍ながら後進で息も絶え絶えにようやく帰還した駆逐艦涼月の話です。

自分だけが生き残った海戦もあり、「雪風がいたら全滅する」だの「死神」だの「自分は戦わず逃げ回ってばかりいたから生き残れた」だの痛烈な非難を浴びたエピソードもあり、幸運=幸福とは決して言えず、幸運の駆逐艦であると同時に哀しみの駆逐艦でもありました。しかし寺内艦長をはじめ乗組員たちは雪風を大事な仲間として大事に扱い、戦後台湾に賠償艦として引き渡された際には新造艦かと思えるほどきれいな状態だったと言われています。また殺した敵の数より、救助した数のほうが圧倒的に多いのは、姉妹の磯風や浜風も同様です。

戦後まもなくは復員輸送船として活躍し、台湾に引き渡された後は駆逐艦丹陽に改名し、台湾海軍旗艦として、台風によって喪失するまで大事に扱われながらも活躍しました。その台湾では「Battleship Girl -鋼鉄少女-」という漫画において擬人化された雪風が主人公となっており、台湾では人気者だったのが窺い知れます。

過去に雪風だけではなく姉妹艦の浜風、磯風、不知火も制作しており、駆逐艦としてもすでに30隻近く、陽炎型としては通算5隻目なので作り慣れており、制作時間は5時間ほどでした。

艦首側から

1隻目の雪風にあった艦首旗竿の日章旗と、識別表示の煙突のハチマキは省きました。

艦尾側から

1隻目は艦橋近辺しか再現していなかった単装機銃の防弾板を艦尾側でも再現しました。

呉の雪風&佐世保の時雨再び

幸運艦として名高い2者ですが、その生い立ちは決して平穏ではなく凄絶なものでした。

駆逐艦雪風、その名は現在嘗ての姉妹艦だった浜風と共に海上保安庁のすずかぜ型巡視艇それぞれ「ゆきかぜ」「はまかぜ」(いずれも現役)として生まれ変わり、我が国の海を守り続けてくれています。磯風も「巡視艇いそかぜ」として2016年まで我が国の海を守ってくれました。

雪風が背負った哀しみ、決して繰り返してはいけない。そして戦争は二度と起こしてはいけない(注:戦争の原因を作るなという意味であって、してはいけないとは言っていない。憲法9条は改正すべき。日本は日本人自身が護らねば。我が国の交戦権は、日本国の防衛並びに集団的自衛権の行使を目的とする場合に認めるべき)、そう思います。
そしてやっぱり、駆逐艦は最高です。もうロリコンでいいや(諦


補足:制作途上の空母ですが、都合上次回完成とはならない可能性があります。
Posted at 2019/03/03 22:34:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

プロフィール

「一時期5000円以上の値がついていたが、アウトレットセールで箱破損状態のこの子をお迎えしました。判りにくいですが、窓部分が大きく破れてました。その後箱から出してキレイに手入れしてます。」
何シテル?   04/21 17:15
生粋のクルマバカにして天下御免の運び屋、埴方祐守治(はにかた ゆすちー)です。二つ名は神風快速ゆすちー。 生まれつきセダンが好きで、6台乗ってきた愛車はす...
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