ついに平成が終わり、令和を迎えることとなりました。
平成最後の模型を、ランエボⅥで締めくくることができたのは果報だったと言えるでしょう。
そして、平成最後に着手した戦艦武蔵が遂に完成しました。と言っても完成したのは23時で、この記事を書いてる最中に令和を迎えるのですが。
大和型戦艦2番艦 武蔵
(艦これではとっくにお迎えしていますが、キャラデザインが気に入らないのでいつもの挿絵は除外しています)
どうしても大東亜戦争と言えば一般的には
戦艦大和の悲劇的な最期がクローズアップされますが、凄絶な最期を遂げたのはむしろ武蔵の方でした。
轟沈に至るまでに受けた魚雷の数は20本を超え、その主砲と排水量と共にギネス世界記録に載せられています。そして、何が悲惨と言えばかの有名な栗田ターン、姉の大和に見捨てられて沈んでいったということでしょう。
レイテ沖海戦で被弾炎上する武蔵と、武蔵を見捨ててUターンして逃げる大和

ウィキペディアより抜粋 パブリックドメイン。真ん中で炎上しているのが武蔵で、その左にUの字を描いて変針しているのが大和です。勿論大和が悪いのではなく、
栗田健男提督のトンデモ指令によるものですが、武蔵は大和たちを逃がすための囮となったのです。
ちなみに、「
火垂るの墓」の主人公の父親が戦死したとされる
重巡摩耶戦没時に、その生存者を救助したのが武蔵でした。
大和こそ、護衛空母
ガンビア・ベイに大きな風穴(どこを撃っても全貫通を起こすという驚異的な貫通力)を開けて撃沈し、主砲の威力を本来の期待とは違った形で見せつけましたが、武蔵は全く主砲の威力を発揮できずに終わりました。三菱長崎造船所生まれ。三菱は陸や空だけではなく、海でも最強を生み出していたのです。
昔の模型は、大和と武蔵はほぼ同じキットとなっていた記憶があります。対空兵装はほぼ大和、艦尾部のクレーンは武蔵といった具合にです。考証がまだまだ限定的だったのか、子供だましだったのか(例えば赤城と加賀が箱替えのキットだったことなど)は定かではありませんが、最近の大和と武蔵のキットは明確に区別されています。
制作時間はなんだかんだで結局12時間ほどでした。大和の約半分で済んだのは自分でも驚きです。
艦首側から

佐世保海軍工廠グレイです。大和に比べて暗い色となっています。甲板も木甲板色ではなく、ジャーマングレイに近いものとなっています。前から見るとあまり大和との見分けがつきませんが、艦首に単装機銃がありません。艦橋の形状も異なってます。やはり武蔵も威圧感がありますね。
主砲と15.5cm3連装砲、電探は可動式となっています。
艦尾側から

水上機の配置は大和の逆にしてみました。後ろから見ると大和そっくりですね。
右舷正横から

12.7糎連装高角砲と、25mm3連装機関砲の数が大和より著しく少ないので、すっきりしています。また、煙突の付け根付近に、28連装対空噴進砲が左右1基ずつ配備されているのも大和との違いです。
大和と並べてみました。

こうして並べてみると、大和と武蔵は姉妹ではあっても瓜二つではなく、色だけではなく所々明確な違いがあるのがよくわかると思います。実際に姉妹が仲良く揃っていた写真があります。大和ホテル、武蔵御殿なんて揶揄されていたものですね。

(ウィキペディアより抜粋。パブリックドメイン)
どっちがどっちかわかりますか?

戦艦少女Rでは何故か妹艦の
空母信濃が実装されていますが、大和と武蔵は未実装で、待ち遠しい限りです。そういえば艦これに信濃は実装されていませんね。どちらもキャラとしての好みは、蒼き鋼のアルペジオのヤマトとムサシです。
帝国海軍大東亜戦争時の戦艦も残すところ未制作は
陸奥のみとなりましたが、いづれかを再制作するかもしれません。それくらい日本の戦艦って魅力的ですから。実際、
山城も洋上とフルハル両方ありますしね。
海外に目を向けると、まだまだ作る予定の戦艦はあります。恐らく総計20隻は超えることでしょう。
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Posted at
2019/05/01 00:34:50