艦隊これくしょん(以下艦これ)の影響で艦船好きになった人は少なくないでしょう。
私は元々そうでしたが、左翼教育のせいで一時薄れて、艦これのおかげで
「今は艦船好きでも叩かれたり批判されたりしないんだ」
ということが分かって、堂々と艦船好きを自称するようになりました。
一部千葉県内などで左翼思想の塊みたいなのに白い目で見られますが、汚れた軽蔑の目で見返してやってます。
共産主義がいかに害悪かは、国外ではスターリンの大粛清や天安門事件、国内だと京都大学紛争や、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件とか、山岳ベース事件とか、歴史が物語ってます。勿論資本主義がすべて正しいとは言えませんがね。
話を戻して、艦これやアズールレーンをやってると、駆逐艦の魅力に惹かれる人多数なんですよね。
小さくて、主砲は一部のドイツ艦やフランス艦を除いて精々5インチ、装甲もペラッペラで防御力なんて皆無で見た目も戦艦や巡洋艦に比べて弱そう。
しかし駆逐艦の攻撃の要は魚雷。たった数発で戦艦すら葬ります。当たればの話ですけど…。まともに当てに行くと返り討ちに遭いますが、軒並30knotを超える高速力と、2000tにも満たない船体に軒並50000馬力を超えるエンジンが生み出す卓越した機動力は回避能力に優れ、その名の通り大型艦を駆逐する様はスカッとするものです。しかし、駆逐艦にもいろんなタイプがいて、
特型や
陽炎型などの艦隊型駆逐艦のように重装備で艦隊決戦に向いているタイプ、
バックレイ級や
ジョン・C・バトラー級などのような護衛駆逐艦のように対艦戦闘より対潜戦や防空戦に向くタイプなどがいるのです。
大日本帝国海軍も常に艦隊型駆逐艦ばかり求めてきましたが、1艦に高性能重装備を求めたがために建造に時間がかかり、戦争でどんどん喪失していくわ空襲でドックや工場が壊されるわでとても間に合わなくなり、より構造が簡単で量産がしやすく短期間で建造できる駆逐艦を求められるようになりました。
松型駆逐艦はその一つで、特型や甲型駆逐艦に比べるとスペック上は低性能で軽装備、とても艦隊決戦に向く駆逐艦型ではなかったので、雑木林とバカにされました。
しかし、松型駆逐艦は、ガンダムで言うジムみたいなもの。クルマで言えば
カローラ。いや、どっちかと言えば
クラウンコンフォートかもしれません。確かに見た目の性能では見劣りするけど、簡単な作りというのが大きな着目点です。
損壊しても修理しやすいので戦線復帰が早い点、少ない資源で数多く、しかも起工から戦力化するまでの期間が短くなる点が大きな強みでありながら、実は当時の技術の粋をしっかり押し込まれていました。全長は100mちょっとと小柄で特型などが50000馬力の高性能エンジンが搭載されているのに対し松型はたった19000馬力の小型エンジンで最大速力は
金剛型戦艦にもついていけない28.7knot、12.7cm単装高角砲1基、12.7cm連装高角砲1基で主砲は3門のみ、61cm九二式4連装魚雷発射管1基のみで予備魚雷なしすなわち撃てる魚雷は4発のみと、スペック上は1940年代に建造された帝国海軍駆逐艦としては最弱です。
???「バカね、駆逐艦の実力はスペックじゃないのよ!」
しかし、防空能力は25mm3連装機銃4基に25mm単装機銃12挺、13号電探を標準装備、さらには主砲が高角砲で速射力があり(毎分14発)、対空強化した陽炎型に引けを取らないものでした。しかも缶とボイラーが別々になったために、被弾して即航行不能になることが少なくなり、生存性が向上しました。
また、対潜強化も施され、駆逐艦(DD)というより実質的に護衛駆逐艦(DDE)ですね。松型の構想には、現在の護衛艦に通じるものが散見されます。
今回制作したのは、松型の4番艦である、
駆逐艦 槇(まき)
です。私のはとこの名前が同音異字ですね。
戦艦クイーン・エリザベス以来の女性名艦ってことです。勿論槇そのものは針葉樹からですが。
1944年8月10日進水の獅子座。舞鶴海軍工廠生まれ。
艦これでは空母隼鷹が槇とのエピソードで、「槇には感謝している」と述べてます。なぜか海防艦や海外艦ばかり実装して松型駆逐艦を実装しない艦これ。そもそも実装艦がある種の偏向思想に基づいているかのように非常に偏ってて一番の不満点です。視野を広く持ちたいなら、艦これより戦艦少女やアズールレーンを強くお勧めします。ちなみに、松型駆逐艦が実装されているのは戦艦少女のみ。それも、第二次世界大戦で最後に雷撃で敵艦を撃沈したという記録を持つ2番艦の「
竹」です。
戦争も末期で就役したために目立った活躍はなく、従事したもので主だったものもレイテ沖海戦と天号作戦くらいです。レイテ沖海戦の一つである、エンガノ岬沖海戦では空母「
千歳」「
千代田」戦艦「
日向」の護衛を任されます。次々と僚艦が撃沈されていく中、槇は懸命に生存者救助に走り回り、自らも爆撃で被弾し、機関と舵をやられてます。
撤退時に、単艦で引き返す
駆逐艦初月と遭遇。実は初月は撤退する艦隊を逃がすため、単体で囮となって20余隻もいるアメリカ艦隊に突っ込んでいき、壮絶な最期を遂げました。その初月の奮戦のおかげで槇は逃げ延びることが出来ました。
呉に帰投して20日間の修理で再び出撃。戦友である空母隼鷹と出会い、同艦の陸戦隊輸送の護衛任務を任されます。輸送先のフィリピンで
戦艦榛名の艦隊と出会い、帰りは榛名の艦隊と共に佐世保に向かい、榛名から「隼鷹の後ろにいて」と言われ、その通りに後方に付こうとしたところに米潜水艦の
レッドフィッシュ、
プライス、
シーデビルの雷撃少なくとも13本が隼鷹に襲い掛かってきました。隼鷹に当たったのは3本(ウィキペディアでは2本とあるが3本説の方がつじつまが合う。隼鷹の防御力は装甲空母の
大鳳より強い説)で隼鷹は艦首を吹き飛ばされる重傷を負いますが、実際に命中した魚雷の総数は4本。あと1本は、雷撃を受けたことに気づいた槇が隼鷹を庇って被雷。隼鷹がその1本を食らっていたら轟沈は免れなかったところだったので、槇の艦長
石塚栄はわざと回避せずに魚雷を艦首すれすれに当てたと証言しています。槇マジイケメン!榛名はこの様子を見て「槇、轟沈」を報告しています。実際は艦首を吹き飛ばされながらも生きていました。このことで隼鷹の乗組員は槇の乗組員にお見舞いの品をどっさり贈ったそうです。
まぁ、戦艦少女版隼鷹ならありえそうですが、艦これの隼鷹だと酒をどっさりか…。

(戦艦少女R版隼鷹。艦これ版とは真逆で礼儀正しく几帳面)
その後、三菱長崎造船所で修理を受け、姉妹艦の
榧(かや)と共に戦艦大和の沖縄特攻での護衛任務を受けます。しかし、途中で戦艦大和から「お前たちは帰れ」と命令されて、
榧と秋月型駆逐艦
花月(はなづき)を連れて帰ってきました。そのため、「男たちの大和」シリーズに槇と榧と花月がラインナップされているわけです。
終戦まで生き残り、戦後は復員船として活躍。1947年、賠償艦として英国に引き渡された後に解体され、その生涯を閉じました。
槇は定番シリーズではラインナップされておらず、「世界の艦船」シリーズの中の「男たちの大和」シリーズにのみラインナップされています。どうしてもウォーターラインなどで作りたいなら、タミヤの「
松」からの改造が必要です。
定価500円のもので、難易度はガンプラを作れるなら余裕です。塗装も元々されているのでランナーからの切り口にタッチアップ程度の塗装が必要なくらいです。艦船模型入門向きですね。なので制作時間は1時間ほどでした。それでも完成度はピットロード監修だけに同社製の定価2000円の駆逐艦に引けを取りません。
艦首側から

1945年時のものなので、本来なら舞鶴海軍工廠グレイですが三菱長崎造船所で修復を受けた後で軍艦色(2)(表記が横須賀海軍工廠グレイで佐世保海軍工廠グレイより赤みがある)が塗られています。直線基調の外観ですが、可愛らしいですね。単装の主砲が貧相に見せてますが、護衛駆逐艦と見れば普通です。
艦尾側から

プリプリのクルーザースターンです。改良型の
橘型は切り取ったかのようなトランサムスターンなので、似ていますが大きな識別点となります。艦尾側の12.7cm連装高角砲は、戦艦の副砲に使われているものと同じです。艦これでも戦艦少女でもスペック上弱い副砲扱いですが、砲弾の装填が簡単であることによる速射性の高さや75度も付けられる仰角とか、用兵側の評判は良かったそうです。つまり、スペック厨=頭が弱いってことです。使い勝手とか、取り回しとか、数字に出ない性能こそ実力に繋がるのですから。
右舷正横から

簡素に見えますがまとまりがありますね。松型が量産型とは言え決して安かろう悪かろうではなかったことは前述の通りです。軍艦旗はキットになかったので、余り物から流用。旗を掲げるためのロープは縫い糸で再現しています。いつもは伸ばしランナーを使うのですけどね。
海防艦より松型こそ実装すべきでは?その方がより多くのファンを獲得できるはずです。
姉妹艦の
松や
竹のエピソードとかも是非ご覧になってほしいところです。また、準姉妹艦の橘型10番艦の
梨は一度沈没するも、後に引き上げられて修復され、海上自衛隊護衛艦「
わかば」として復活を遂げました。また、松型18隻中11隻が終戦時生存、橘型も14隻中12隻生存(梨は終戦時は沈没しているので除外)という、就いた任務の差はあれども高い生存率も見過ごせません。真っ正直に戦ったのであれば、華々しい戦果を挙げて死んだ者も尊いけど、無様でも生きて帰った者の方が偉いのです。