一昨日解体した
駆逐艦 朝雲
ですが、フルハルモデルとして復活しました。
朝雲は殺してはダメだというジンクスがありますが、朝雲を殺したからアメリカは戦後の歴史で数々の受難に遭うことになったわけですね。
ん、なんだって?クモ違い?まぁ細かいことは良いでしょう。
そもそも、解体したと言っても殺したわけじゃなく、作り直しただけですから。
元々は前アカウントの時に長谷川製作所の駆逐艦
霞の洋上モデルだったのですが、霞をピットロード製の
朝潮をベースにフルハルモデルとして作り直し、霞だった船体を朝雲として作り直したものでした。
そして先日、Amazonで朝潮のフルハルモデルが1000円足らずで売られていたので購入。
白露か
吹雪を買うつもりでしたが、値段に釣られました。
艦隊これくしょんの朝雲も、以前西村艦隊を揃えた時よりはやや成長しました。

Lv40で改造済みです。季節限定でブレザー姿なのが可愛い。
ウィキリンクは冒頭にて。
1937年11月5日進水のさそり座 神戸川崎造船所生まれ。
基本スペックは大潮と同じですが、最大速力のみやや劣速で34.7knotでした。
朝雲もまた水雷魂あふれる駆逐艦でした。
第9駆逐隊旗艦として、第二艦隊の
軽巡那珂率いる第四水雷戦隊に所属。
開戦時の第四水雷戦隊の構成は、軽巡那珂を旗艦として、第2駆逐隊(村雨、夕立、春雨、五月雨)、第4駆逐隊(萩風、嵐、野分、舞風)、第9駆逐隊(朝雲、山雲、峯雲、山雲)第24駆逐隊(海風、山風、江風、涼風)で、途中第24駆逐隊が抜け、第8駆逐隊が編入され、旗艦は新たに加わった
軽巡由良になります。
朝雲の見せ場は、太平洋戦争開戦間もないスラバヤ沖海戦でした。
第5戦隊を基幹とし、
軽巡神通率いる第二水雷戦隊と第四水雷戦隊は、
重巡エクセターを基幹とする大英帝国王立海軍東洋艦隊の一隊と交戦します。艦隊全体が消極的な戦法で距離10~20㎞からの遠距離砲雷撃に徹し、殆ど攻撃が当たらない状態に業を煮やしたのか、名将佐藤康夫司令率いる第9駆逐隊の朝雲と峯雲が、エクセターを掩護する駆逐艦ジュピター、エレクトラ、エンカウンターめがけて吶喊し、朝雲水雷長が「そろそろやりますか?」と何度も佐藤司令に問いかけるも「もうちっと、もうちっと」と中々攻撃を仕掛けようとせず、距離6000mでようやく雷撃開始。距離3000mにまで肉薄して激しい砲撃戦を繰り広げました。
朝雲はエレクトラから機関室に直撃弾を一発もらって一時航行不能になるも、怯まず峯雲と共に砲撃を続け、エレクトラを撃沈。ジュピターも戦闘不能にされ、2隻は恐れをなして逃げていきました。
結局この海戦は欧州最強のはずの大英帝国王立海軍をはじめとする連合軍艦隊に対し大日本帝国海軍の圧勝に終わりました。丁度、姉妹艦の朝潮や大潮たちがたった4隻で連合軍の軽巡2隻を含めた10隻からなる艦隊を撃退したのと同じ時期になります。ここでも朝潮型の強さを見せつけることになったのです。
朝雲が作戦続行不可能となったため、9駆の旗艦を夏雲に譲ります。1942年3月に修理のため入渠。5月には那珂も損傷のため第四水雷戦隊から外れ、編入された
軽巡由良に旗艦を譲ります。
修理完了後は、ミッドウェー海戦に参加しそのまま北上、アリューシャン方面の戦いに赴きます。その後は第2次ソロモン海戦に参加。その時に姉妹艦の夏雲を失い、その乗組員を救助しています。
その後、朝雲は一時的に第四水雷戦隊旗艦となり、通称阿部艦隊の1部隊として、夕立曰く「素敵なパーティ」第3次ソロモン海戦第1夜戦に参加。夕立が春雨と共に米艦隊に突撃したために米艦隊は混乱、阿部艦隊の方も何が何やらの状態で主に米艦隊側で敵味方関係なく砲雷撃するというまさに「停電した酒場の大乱闘」状態になりました。
この時、朝雲は恐らくベンソン級駆逐艦
ラフィーを撃沈しています(マハン級駆逐艦1撃沈を記録しているが、マハン級とベンソン級はよく似ていて夜間戦闘しかもこの大混乱の中で判別つきにくいはずであることと、この夜戦で沈んだ4隻の米駆逐艦のうち、残り3隻は状況からして朝雲が撃沈した可能性が限りなく低く、ラフィーの沈没原因が軽巡長良からの砲撃か、発射艦不明の魚雷によるものであるため、私独自の考察です)。
無傷だった朝雲は第2夜戦にも参加するが、航行不能となった
戦艦霧島の乗組員を救助しています。11月に第四水雷戦隊旗艦を
軽巡長良に譲ります。
1943年に入り、ガダルカナル島撤退作戦に支援艦隊として参加するも、護衛艦がやられたために朝雲がその任を受けるが、輸送船団は主に空襲で大損害を被り、続く3月3日のビスマルク海海戦で姉妹艦の朝潮、荒潮を空襲で失い、3月5日には峯雲を失います。わずか2日の出来事でした。
その後、コロンバンガラ輸送作戦を経て北上、1944年に入り「奇跡の作戦」と呼ばれるキスカ島撤退作戦、再び南下してマリアナ沖海戦にも参加。
そして、運命の捷号作戦。開戦間もないころ所属していた第四水雷戦隊の司令官だった西村祥治を司令とする西村艦隊に、姉妹艦の山雲、満潮と共に編成されます。
スリガオ海峡海戦では奮戦空しく、山雲、満潮が沈み、朝雲はまだなんとか生きている航巡最上(大破炎上中)と時雨を逃がすかのように米艦隊の攻撃を一身に受けます。こうして数多くの海戦に参加し、10隻いた姉妹艦のうち6隻の最期を看取った歴戦の駆逐艦は、スリガオ海峡に沈んでいきました。
流石に再制作だけにサクサク組めました。制作時間は6時間ほど。空中線は省きましたが、気が向いたら追加します。
艦上構造物の一部は大潮が持っていったため、ハセガワ製の構造物を流用しています。
ハセガワ製の前部マストを加工して取付

ここだけ信号旗索としての空中線が残っています。
同様に後部マストと機銃台を加工して取付

付け根のそばの測距儀があった部分には独自考証ですが25mm単装機銃を1挺配置してみました。
結構切った貼ったで機銃台を設置しています。微妙に形状が違いますが、気にしないでおきましょう。
艦首側から

神戸川崎造船所生まれなので、船体色は呉海軍工廠グレイを選択。大潮や満潮よりやや赤暗い色合いになります。
12挺ある単装機銃は大潮には不要だったのでそのまま持ち越して取り付けてます。
また、艦橋横に吊っている短艇は、満潮の時には取り付けてませんでしたが、一応洋上モデルの時同様に取り付けました。
艦尾側から

舷側もそうですが、お尻の「あさぐも」の表記は剥がれないように念入りに艶消しクリアーで押さえています。元々のデカールは再利用できないので、付属のデカールの朝潮と峯雲のそれぞれ半分ずつを流用しています。
右舷正横から

これでようやく朝雲もフルハルに格上げです。
あとは山雲と満潮もフルハル化したいところですね。そうすれば西村艦隊は最上を残してみんなフルハルになります。最上も1/700フルハルモデルが登場するといいですね。
まぁ山雲と満潮をフルハル化するとすればまた朝潮のフルハルモデルを買わないといけませんが、そうすると洋上モデルの姉妹がまた増えるということで、どんだけ朝潮型好きなんだよ!ってツッコまれそうです。まぁ大好きですよ、朝潮型。特Ⅲ型と秋月型に次いで好きです。実は同じくらい白露型も好きだったり。
要するに艦ロリコンですわ(爆)そもそも艦これの朝潮型ってどう見ても小学生ですからね。
そうですね、あと2隻作るとすれば荒潮と峯雲ですね。となると朝潮型は10隻中8隻。どうせなら夏雲と霰も作ってやれって言われそうですね。
予算は出せるけど、もう98隻目です。今回作り直しなのでノーカウントですけど、置き場がそろそろ厳しくなってきました(笑)
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Posted at
2020/04/16 02:18:05