完成しました。
戦艦ですが、いつもの暫定完成ではなく完全体です。
ここまで費やした期間は1週間ほど、かかった時間は30時間ほどです。
ようやく大日本帝国海軍で実在した超弩級戦艦が揃いました。
姉妹艦の
長門と人気を二分した世界のビッグセブンの1隻、
戦艦陸奥

です。たいていの人は読めると思いますが、無教養な人向けにその読みのヒントを上げます。
青森のリンゴです。そして青森の旧国名。たま~にいるんですよ、これが読めない人。
艦隊これくしょんで、初めてお迎えした戦艦が陸奥でした。
世界のビッグセブンと銘打っていますが、残り5隻のコロラド級戦艦3隻とネルソン級戦艦2隻の主砲は16インチ(約40.6cm)であり、長門と陸奥の主砲は41cm砲で厳密には16インチではなく、少なくともワシントン軍縮条約段階では世界最強火力の主砲を備えた姉妹だったのです。
「長門と陸奥は日本の誇り」といういろはがるたが作られるほど日本国内ではよく知られる存在で、日本で最も国民に愛された2隻だったのです。今でも恐らくこの2隻の人気は不動でしょう。
1920年5月31日、横須賀海軍工廠生まれ。双子座。
戦前では世界的にも脅威の戦艦であり、大日本帝国は長門と陸奥の詳細をひた隠しにしたがることもあって大英帝国がしつこくちょっかいをかけてきたのに対して陸奥が出撃して追い払うこともあったそうです。
大東亜戦争勃発以後は、サウスダコタ級やノースカロライナ級など、高速で16インチ砲を備えた新鋭戦艦が次々と誕生しているので陳腐化はしましたが、それでも第一級の強さは健在であるものの資源に乏しかったため、「現存艦隊主義」によって前線に出ることを渋られました。
一応、真珠湾攻撃には参加、その後ミッドウェー海戦(但し後方待機)、第二次ソロモン海戦(但し対空戦闘のみ)、しかも陸奥自身の戦果はほぼゼロという有様でした。スペック上の戦闘力は艦隊旗艦としては十分なものでしたが、長門と陸奥を時代遅れにしたのが、その速力でした。当時軒並み27knot以上が当たり前なのが世界の主力艦であり、長門は一応25knot(レイテ沖海戦で27knotを出した説あり)、陸奥も25knotがやっとと、機動部隊に追随するには鈍足だったのです。
それを言うなら、ネルソン級、クイーンエリザベス級、コロラド級などもそうなのですが、一応彼女らはそれなりに活躍し戦果を挙げています。つまり、陸奥が残念な子だったのではなく、軍令部が石頭過ぎたのでした。ま、今の我が国の政治家連中と一緒だったってことです。
1943年6月8日、陸奥は丁度柱島泊地でくすぶっていました。
12時15分ごろ、突然第3砲塔及び第4砲塔付近から煙と共に大爆発を起こし、艦体は真っ二つに割れて前部が沈没。後部も夕方に沈没しました。
傍らには戦艦
扶桑が停泊していて、一部始終を目撃したため、「ムツ バクチンス」と緊急信を送っています。
乗員1474人のうち、助かったのは353人だけで、犠牲者のほとんどが爆死という悲惨な事故となりました。
爆沈の原因は諸説ありますが、未だに明らかになっていません。
ただ言えることは、帝国海軍の国民的象徴の片割れが謎の爆沈を遂げたこと、戦後陸奥は引き上げられ、それが「陸奥鉄」と呼ばれる復興資材となって、戦後の日本の復興に大いに役立ったということです。
そして、鉄というものは何度もリサイクルされるものであるので、あなたの使っている鉄製品、ひょっとしたら元を正せば陸奥の体かもしれません。
模型は6月に再版された青島文化教材社製のフルハルモデルです。
しかし残念なことに、その設計はかなり古く、再現度は今一つであり、今日のフジミ模型に見劣りするものです。しかしそこは私、史実の写真と照合して細部をフルスクラッチしました。

(ウィキペディアより、パブリックドメイン。1926年頃の陸奥)

再現されていない後部檣の細部を伸ばしランナーなどで合わせながらの自作の様子。白い無塗装部分が自作しているところです。

第2、第3砲塔頂部の空中線支柱も自作しました。
艦橋頂部も自作部品で史実に基づいた再現としています。

煙突横両舷から艦載艇を吊っているデリックも自作です。
更には、対空機銃台の支柱も自作して取り付けました。
ご覧の通り、空中線は写真と箱絵を参考に独自考証による追加を含めて張っています。
そりゃ時間かかるわ・・・。
ま、終戦記念特別企画だし、それくらい力を入れても罰は当たらないでしょう。
結局終戦記念日に合わせて軍艦を作ろうっていうのは、戦争で死んでいった人、船、飛行機、戦車たちなどへの弔いの意味も含むのですから。
さて、全体像です。
艦首側から

今回、金属製砲身を入れたので、あえて塗装せずに素材の色のままとしました。
立派な、堂々たる姿ですね。
艦体色はクレオスの軍艦色(2)横須賀海軍工廠標準色でも良かったのですが、タミヤの横須賀海軍工廠グレイにしました。
艦尾側から

艦載機は九五式水偵2機と、零式水上観測機1機としました。構造上三座水偵だと3機も載らないので恐らく当時の偵察の主力だった零式水上偵察機は載せなかったでしょう。
右舷側から

美しい艦影ですね。そしてこの空中線の数よ。めっちゃ大変でした。
艦尾を見てもそうですが、まだまだ英国式の設計だったことがよくわかります。
あまりよく知らない人が見ると、大改装後の金剛型と区別がつかないでしょう。
ま、今時の多くの日本国民に、カムリにトヨタマークの代わりにベンツマークを付けて「これ、ベンツ」と言っても疑いもしないだろうと同じ理屈です。カムリもベンツもその形を正しく頭の中で思い浮かべられる人がそんなにいないからです。そして、カムリがベンツのEクラスに負けず劣らずです。どっちがいいかと言われたら私なら迷わずカムリです。
こちらが以前制作したフジミ製の長門。

長門との大きな違いが艦首部で、陸奥の方が鋭角になっています。更には後部檣の形状も若干違います。今回後部檣の細部を自作したのはこの違いを出したかったのです。長門の時も、開戦時仕様からレイテ沖海戦仕様に改造するのにかなり苦労しました。
ちなみに、陸奥の主砲は大和ミュージアムに展示されています。
私も一度は訪れたいところですね。
既に100隻を超えて、国産戦艦も揃いましたが、まだあと20隻くらいは制作予定です。
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Posted at
2020/08/15 01:14:55