今回は久々に英国艦です。
重巡洋艦ノーフォーク以来です。
更に、駆逐艦ともなればヴァンパイア以来です。
このほかにも英国艦は5隻制作予定ですが、どうしても大型艦に偏りがちなので、貴重な駆逐艦となります。
今回制作したのは、1942年のスラバヤ沖海戦で戦没し、その乗組員が駆逐艦雷、電に救助され、駆逐艦雷の「海の武士道」を世に広めた英国の外交官、サムエル・フォール卿が乗艦していたE級駆逐艦、
HMSエンカウンター
です。E級駆逐艦は大日本帝国海軍の吹雪型駆逐艦(吹雪の進水が1928年11月、末っ子の電の進水が1932年2月)にやや遅れて1934年2月に1番艦が進水、第二次世界大戦時にはやや旧式となった駆逐艦級です。
名前が特徴的であり、車名と被るものが3隻。
エクリプス(三菱)
エスコート(フォード)
エクスプレス(ルノー)
主に欧州戦線で活動した駆逐艦級ですが、エレクトラとエンカウンターは、巡洋戦艦レパルスや戦艦プリンス・オブ・ウェールズを基幹とする東洋艦隊に編入され、対日戦に参加することとなります。
しかし、東洋艦隊は開戦早々に大日本帝国海軍に完膚なきまでに叩き伏せられました。
E級駆逐艦の武装として、45口径12cm単装砲4門、533mmMk.Ⅸ4連装魚雷発射管2基8門と、対艦戦闘においては特型駆逐艦の50口径12.7糎連装砲3基6門、61㎝3連装魚雷発射管3基9門には歯が立つわけもなく、航速でやや有利とは言っても、荒波と嵐の中を駆け抜けるのが当たり前の太平洋渡航を前提とした帝国海軍艦に総合的な機動力(主に凌波性、旋回性)でも負け、建造時はヨーロッパ最強クラスの駆逐艦ではあったが、まさに
井の中の蛙大海を知らずだったのです。
エンカウンターは第二次世界大戦勃発後しばらくはドイツ相手のヴェーザー演習作戦やイタリア相手のスパルティヴェント岬沖海戦など、対独伊戦で戦っていましたが、日米開戦直前の1941年10月に東洋艦隊に編入、1942年2月27日からのスラバヤ沖海戦にて、姉妹艦のエレクトラが朝潮型駆逐艦朝雲、峯雲の砲撃により撃沈され、同行していたジュピターとエンカウンターも一旦は撃退されます。
3月1日に再び交戦。数的不利の状況で逃げ腰になっているところ、重巡エクセターが猛攻撃を受けて損傷、最期は駆逐艦雷の雷撃により撃沈されます。
エンカウンターも駆逐艦ポープと共に逃走を図るが、駆逐艦山風、江風からの砲撃で損傷、主砲弾を全弾撃ち尽くしたために戦闘能力を失い、ただただ逃げるだけでしたが、舵を損傷したために速力が出せず、遂に追いつかれて集中砲火を浴び、力尽きました。
エンカウンター生存者は、敵であるはずの駆逐艦雷によって救助され、その一人でありその行動に感銘を受けたサムエル・フォール卿は戦後雷及びその艦長工藤俊作への感謝を綴った自伝「My Lucky Life」を執筆し、戦後永らく語られることのなかった駆逐艦雷の「海の武士道」を世に広めたのでした。
1940年にエンカウンターは改装を受け、魚雷発射管1基を撤去し、その跡に対空強化として3インチ高角砲とエリコン20mm単装機関砲2挺が増備されましたが、その写真も資料もないため、タミヤからリリースされているE級駆逐艦のキットの通り対空強化前の仕様としました。
制作期間は2時間程度に小分けして3日、6時間ほどで暫定完成です。
艦首側から

艦体色はロイヤルライトグレイを選択。
主錨も実艦はロイヤルライトグレイですが、あえてガンメタルにしました。
1930年代の英国駆逐艦らしい四角い箱型の艦橋となっています。
主砲は背負い式に前後に2基ずつ搭載されています。
凌波性を上げるために船体は帝国海軍駆逐艦と同じく船首楼型としていますが、それでも太平洋を航行するとなれば、エンカウンターなどの駆逐艦に限らず大型の戦艦でも大きく波を被り一番砲が故障しやすかったそうです。
艦尾側から

実に英国駆逐艦らしいリアビューです。見方を変えれば英国駆逐艦としては平凡とも言えるでしょう。
最尾部に2本のデリックがあるので、後方への砲撃に制約がありそうですね。この辺は英国面ってところでしょう。
右舷側から
典型的な英国駆逐艦の艦影ですね。
2番煙突に2本のストライプというエンカウンターの識別表示を再現しています。
また、エンカウンターの艦番号も付いていたので再現。
日本の司法(主に道路交通法)も、日本の船も、クルマもそのルーツを辿れば必ず英国に紐づきます、良くも悪くも。お互い立場というものがなければ割と仲良くできるというのは歴史が物語ってます。現にこの私も愚鈍な今風の日本人よりも聡明な英国人と会話する方が余程楽しいと思えるほどです。
私自身その精神が紳士道、すなわち「ノブレス・オブリージュ」ですから。
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Posted at
2020/08/23 18:08:05