今日は、仕事を共にしている人に毎日のように当人無自覚の嫌がらせを受けてきて、我慢の限界を超えたのでやりこんでやろうと刀に手をかけてました。
ところが、いざ話してみると、逆に相手への憐れみの感情が強くなり、
「自分がされたらどう思う?どんな気持ちになる?」
「私はあなたといがみ合ったり、イライラしながら仕事したくない。(本音は今すぐにでも手を切りたいという自分を押し殺して)あなたとは仲良くやりたいのよ。そうする方がお互いのためじゃない。」
と言ったような言葉で相手を諭し、最後は一応の和解をしました。
本音は返答次第では叩き斬ってやるつもりが、逆に手を差し伸べてしまいました・・・どこまでも甘ちゃんですわ、私。そんなだから人からなめられるんですが、私の仁義が、本能が私の怒りの感情を慈悲の心に変えたのです。
真の最強とは、真の無敵とは敵を作らないことなんです。
そのために大事なことは、
人に対して最大限の敬意を払うこと
(どんなに嫌悪の心があっても人を貶めない)
人に対して感謝の心を持つこと
(どんなに憎むべき相手でも困っているなら助ける)
相手の気持ちになった言行を心がけること
(どんなに嫌なことをされても、自分はそれをしない)
キリスト教の「敵を愛せ」の精神に通じますね。時々この私もできてないときがありますよ。特に反日三国に対しては辛辣な言葉を浴びせてます。だけど我が国に心から歩み寄ってくれたら、私も態度を軟化させることでしょう。私も感情を持った人間なのでね。
今日は久々に宅配を使いました。
しかし、今日は仕事で受け取れないことが分かっていたので対策しました。
宅配の仕事って世間一般の人が思ってる何倍も大変な仕事なんですよ。
余程の忍耐力がなかったら務まりません。
なのに世間一般の人は、宅配の人に感謝するどころか、底辺の仕事などと侮蔑する始末。底辺かどうかやってみてからぬかせ!!って思いますわ。
私は荷物を受け取ったら必ず「ご苦労様」とねぎらいます。正しくは「お疲れさま」なんですけどね。
そして、対策はこちら
直接は伝えられないから、書き置きで配達員さんへの感謝の気持ちを伝えようって考えたのです。さらには、地味に面倒なインターホンを鳴らすという作業も省かせたのです。
帰ってきてみれば、ちゃんと置いておいてくれました。
この寒い中大変なはずなので、この書き置きがあるのとないのとでは、気持ち的に違うことでしょう。
取るに足らないことかもしれません。
何を偽善ぶってって思うかもしれません。
だけどほんの些細なことだからこそ、(誰もやろうとしないなら)やらないよりはやった方が良いに決まってる、そう思うんです。
追記:嫌がらせをしてきた相手は、その後余程心に響いたのか、丁寧に反省の意を示すようなメッセージを送ってきました。
私の刀は破邪の剣。恐らく相手の邪な心を叩き斬ったのでしょう。改めてくれればそれでいいのです。
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2021/01/22 22:04:54