2024年11月27日
善か悪か。正当化は、それ自体が悪
人の行いは、大きく二つに分けられます。
それは、その行いの結果、褒められるか罰せられるかです。
その価値基準は、善か悪かです。
そこで、いつもお伝えしていることは、合法であることと善であることは別、違法であることと悪であることは別であるということです。
日本は法治国家なので、もちろん法に則って行動せねばなりませんが、法に従うことがかえって人の道に外れる場面、法に逆らった方が結果的に人として正しかった場面も多々あるのが人間社会です。それは、乱暴な仕分けをするなら、善悪すなわち人の道は神が定めしもの、法は人が定めしものだからです。
例えば、いじめは厳密にはいじめ罪なんてものはなく、法的に処罰されることはありません。具体的に、暴力を受ければ暴行罪、ケガを負えば傷害罪、カツアゲされれば恐喝罪、脅されれば脅迫罪に問えるにすぎません。ようやくハラスメントが法制化されましたが、まだまだ不完全です。
よく、「いじめられる方にも原因がある」と正当化する外道がいます。
正当化するんじゃないよ!悪は、悪だ!そんな分別がつかない外道は人間名乗るな!
と語気強く否定しています。いじめはどんな理由であろうと絶対やってはいけない人の道に外れた行為です。理由があるからとやっていいことではありません。たとえわざといじめられるように挑発してきていじめたとしましょう、いじめられるようなことをした方が悪いように感じたなら、それは正しく善悪判定が全くできてない人として愚の極みの人間の目です。
それは見方を変えるとこう言えるんです。
いじめる人間って言うのは、もともとそういう性質を持った外道なのです。
偶々、そこに理由が生まれたからやったにすぎないのです。
だから、正当化するんじゃないよ!!
これは、クルマの運転にあてはめると、あおり運転も同じです。
「煽られ運転」なんて日本語ありません。そんなエセ日本語使うバカは、幼稚園から日本語を学び直すべきです。まぁバカだからいくら勉強しても理解不能で救いようがないでしょうけど。
そう、あおり運転こそ「道路交通法」できちんと定められていて、「刑法」と違って情状酌量の余地はなく立派な犯罪なのです。
仮に挑発行為を受けたり、マナー違反ルール違反が煽られる側にあったとしても、「道路交通法」で定められてる限りは、「どんな理由であれ絶対やってはいけない行為」なのです。
仮にわざと煽られるような行儀の悪い運転をされてムカついて煽り行為を行って110番通報されて警察にパクられたとしましょう。「あいつが煽られるようなことをしたからだ」なんて言い訳は通じません。
そんな外道は、理由さえあればあおり運転するわけで、偶々そこに理由があっただけに過ぎません。
これらを、本来の意味の「確信犯」と言います。
悪いことは悪いのに、その悪いことをしたいがために無理くり理由をつけて正当化して、自分は悪くない、正しいと言ってるだけなのです。
無知を無知と認めないこと、これ即ち無知。
であるように
悪を悪と認めないこと、これ即ち悪です。
論理はね、スジを通してこそ成り立つもの
そこに、あなたのご都合即ち私情の入る余地が入っては、それすなわち論理とは言えない、ただの自己中、わがまま、即ち外道です。
今までそんなふざけた言い訳ばかりしてきた人は今すぐ改めましょう。
それこそが人の道に外れてます。
そういう人たちは、今日は合法でも明日から犯罪者です。
世の中、陰陽道があるように白か黒かです。グレーがなければだめだとすれば、それはあなたのご都合じゃなく、その行動結果と原因に人としての仁義があってこそであり、それを情状酌量と言い、場合によっては「正当防衛」「緊急避難」が認められるにすぎません。
悪気はなかった、わざとじゃなかったとしても、悪さをしたなら、甘んじて罰を受ければいいのです。嫌なら悪さしなければいい。
いつぞやの池袋の暴走事故の犯人が亡くなったことを記念してこれを書き込みました。
こんなのが、政治屋や官僚、業界のお偉方ですら通してくるんだから、それはそれは日本がどんどんダメになっていくわけですよ。
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Posted at
2024/11/27 11:19:25
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