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埴方ひかりのブログ一覧

2024年10月18日 イイね!

若い頃によく書いた論文のタイトル

私は、就職氷河期のど真ん中の人間です。
巷で色々語りつくされてるので多くは語りませんが、なーんかよく論文を書かされた記憶があります。
その中でよく書いたのが、「仕事とは」でした。
この問題を出して私に論文を書かせた世代(1960~1970年ころ生まれ)はほんの一握りの例外を除いて絶対許しません。

で、会社員という名の奴隷の身分を捨てて、今や経営者の立場ですが、根本的な考えは社畜時代と何ら変わりません。ホント、我々世代は会社員というのは名ばかりで実質奴隷扱いでしたから。
で、一昔前の私の答えは、

生活の糧を得るための手段

でした。そして今の私の目では、この答えは、

間違ってはいないけど正しくない

です。少なくとも20年前の日本社会は、使用者と労働者ではなく、実質使用者と奴隷の社会でした。だから会社員に名前を変えただけの奴隷制度をなくし、使用者と労働者は対等であるべき、労働と報酬は等価交換であるべきを広めていきたい所存です。何しろ私が初めて就職した会社は、隔週休二日制で基本給18万円、休日出勤に毎日早くて21時、遅ければ翌1時まで残業してやっと30万円でしたが、これでもまだ恵まれてる方で、週休1日なのにみなし残業代5万ついて月給15万円を堂々と求人に出せるイカれた時代でした。

氷河期世代の私ですが、よく罵倒されるのが、「根性がない」「我慢を知らない」「ボンボン」です。同世代に言われるならまだしも温室ぬくぬく無能バブル世代、団塊世代には言われたくないですわ。
でもって、仕事するのにそんなもの要りません。結果こそがすべて、です。
私より上の世代が言う「結果がすべて」とは全く意味が違います。
私の言う「結果がすべて」は、すべきことをきちんとこなしてくれれば、早く終われば早く上がっていい、多少サボっていようがスマホゲームやってようが咎めない、ってことです。現に私なんか、会社のクルマを痛車にするわ、仕事中平気で爆睡するわですからwwwでも、ちゃんとやるべきことをきっちり果たしてるから、文句言ってこようものなら倍以上にして返してやってますし、最悪その仕事自体を打ち切ってます。同じやるなら、肩の力を出来るだけ抜いて、楽にやりがいをもってやったほうが生産性は向上します。奥歯かみしめて、眉間にしわを寄せて苦しい思いをしたって、心身ともに病気になるだけで逆に生産性が下がります。
結果が出ないなら、どうすれば出せるか、一緒に画策していく姿勢です。

つまり、

仕事とは、報酬を得るために生産すること

です。それ以上でもそれ以下でもありません。
どうしても給料を安くしないといけないなら、残業しないといけないならそれは経営者の怠慢です。単価の低い仕事、納期の短い仕事、それを従業員の能力度外視でバカみたいに受けて来るからそうなるんです。
それこそ、嫌ならやめればいい、受けなきゃいいのです。
そんなことをしていたら仕事が取れなくなるとかいうのなら、とっとと会社を畳んでしまいなさい。会社って儲けるためにあるんでしょ。儲けるのは会社だけじゃなくて、末端の平社員、パート・アルバイトもその中に含めないといけないはずです。
奉公して欲しいならしっかり御恩を与えよ、それが等価交換というものです。
1万円しかもらえないのに、15000円分の仕事を喜んでやるバカがどこにいるってんですか?それどころか、2万円、3万円分の仕事を押し付けられ疲弊したのが我々世代の多くでしょう。
大事なことなのでもう一度言います。

仕事とは、報酬を得るために生産すること

です。
Posted at 2024/10/18 22:50:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年10月12日 イイね!

かつての実家のクルマ HC33型ローレル メダリスト

次回せだんめいでん!で新キャラ登場予定です。
我が人生に一片の悔いを敢えて挙げるとすれば、何故このクルマを所有しなかったのか、ってところです。
これには深い理由があって、小さい頃から親には、「人のものはたとえ自分がそれがなくては死ぬとしても決して欲しがるな。」としつけられてきたからです。
ただ、要らなくなったものや、人から譲ってもらえるものについてはこの限りではなく、初めてのクラウンは「もう手放そうと思ってるんだけど、良かったら乗るかい?」と言って譲ってもらったのでした。
キャラクリエイトが複数できるゲームなら必ずこの名前とそれに準じたキャラを作ってきたのが、かつての実家のクルマであった

HC33型ローレル

です。そして、このローレルこそ、いじめの渦中で絶望の淵にいた私に光を与えてくれたクルマでした。
「月桂冠」「月桂樹」が名前の意味ですが、私にとっては望みの月、まさに望月。
更には、人生でクルマ模型第1号でした。それまでいじめの原因の一つであったためにやめていたクルマ好きが蘇り、一気に加速。そもそものいじめの原因が、個性と才覚に溢れすぎていたためってだけで、最早たとえ孤独になってもクルマ好きをやめない、夜空に煌々と輝く月の前に、他の星など取るに足りない、

月明らかに星稀なり

を地で往く生き方をするきっかけになりました。
ローレルがあまりにもキレイかっこよすぎて、私をいじめてきたブスとブ男の寄り集まりの同級生など、取るに足りない存在、ただの一言すら受け入れず「黙れ!」と追い立て、近寄ればツブすオーラすら出すようになりました。
おかげで後年、運転上手の生き方下手なんて言われてますけどね。
どこの田中雷蔵だ私はwwww

もし父がローレルを手放してクラウンに乗り換えるって言った時、素直にローレルを譲ってもらっていたら、一生クラウンを所有することはなかったかもしれませんが、後悔はなかったと思います。それくらい、強い思い入れのあるクルマです。そして直に乗り換えるなら譲ってくれと言えなかったのは、当時の私は自己肯定感が低く、私には釣り合わないと思ったためです。

そんな思い出がフラッシュバックしてきて、今回制作にこぎつけました。

もし、私がHC33ローレルを所有したら、をカタチにしました。
ベースは、1/24のアオシマ製です。最早このクルマ、人生で5度目ですよww
JZS151型クラウンより多いwwwww


車体色はタミヤのガンメタル+クレオスのホワイトパールの混合色です。
実家のローレルの車体色が、ダークグレーパールだったのでそれに近い色にしました。
ボディサイドプロテクターはもう少し明るいグレーでしたが、思い出せないのでモノトーンにしました。


このボンネットマスコットと顔が好きです。この低さ!そして高級感と凛々しさ、かっこよさを兼ね備えてます。小さい頃からこんなカッコいいクルマと10年以上も接してきたんだからミニバンやSUVなんか論外になって当然です。


この独特のテールが好きです。一目でC33型ローレルと判ります。
内装色も、実家のローレルに合わせてグレー基調としました。


私が所有したなら車高はこれくらいまでは下げたかな。
多分マフラーもホイールも替えていたとは思いますが、そこは敢えて実家仕様に拘りました。
室内が狭いとよく言われますが、そんなことただの一度も思ったことはありません。乗り心地が良く片道300kmの長距離で後部座席に乗っていても苦にならず走り出して30分もすればスヤスヤ眠れました。ただ、トランクの容量は小さいなとは思ってました。

今となっては、エンジン音が最高に好きでした。同じエンジンを積むスカイラインも然り。未だに最も好きなエンジンはRB型です。その次にJZ型とUZ型が並びます。あと、始動音もすごく好きでした。これは残念ながらクラウンはどうあがいても勝てません。運転させてもらったけど、当時免許取り立てだったけど、取り回しやすく乗りやすかったし、エンジンフィールも最高でした。というか、本当に高級車の皮をかぶったスカイラインです。走りだけなら間違いなく、スカイラインしか勝たん!!

余談ですが、私が日産党になったのも、このローレルがきっかけです。
そのため、一番好きなクルマがクラウンなのに、好きなメーカーは日産という矛盾が生まれました。トヨタはトヨタで、80点主義ってのはすごく好きだし、私の仕事に対する主義もまさにそれから学んだものですから。

絶望の闇から猥雑な数多の星の光すら奪うほど煌々とした光で輝く月のような存在で私に、「道」と「のぞみ」を与えてくれたのが、このローレルだったのです。

Posted at 2024/10/12 16:06:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ
2024年10月05日 イイね!

WW2後期のゼロファイターキラー F6Fヘルキャット

久々に大戦期の戦闘機模型を制作しました。
今回初めての米軍レシプロ機です。
その中でも、対零戦において最凶の天敵となった戦闘機、

F6F ヘルキャット


です。
永らく敵機としての認識だったため嫌いな戦闘機でしたが、零戦が弱いわけではなく、ヘルキャットは対零戦に向けて米軍が本気出して作った艦上戦闘機です。本当の戦犯は前身のF4Fワイルドキャットとの邂逅を通じて零戦を本格的に発展させた艦上戦闘機開発をしなかった日本軍のトップがとんだ大馬鹿野郎だっただけという認識で、お互いの立場がなければ嫌う理由はない、ましてや今や日米は友好関係にあるわけで、純粋に高性能戦闘機であるという見方ができるようになったため制作に着手しました。だがソ連機、貴様はダメだ!

ワイルドキャット(気の短い人、気性の激しい人、おてんばの意)は、言ってみれば私のような人間を指す俗語ですが、ヘルキャットは、代表例で言えばツイフェミ女や、所謂お局のようなやつらを指す俗語です。
かくいう私も、人として道を外しているリスペクトに値しない女性に対して、敵意と汚れた軽蔑の目を向けて投げかけてます。あまり汚い言葉を使うと、私自身の品位が下がりますからね。

クルマにも、ダッジチャージャー・ヘルキャット、戦車にもヘルキャットっていますが、どれも高性能なものばかりなので、もっとましな名前つけてあげなよと苦笑しちゃいます。あまりにも可哀そうな名前なので以下F6Fの呼び方で統一します。

このF6F、大戦後期で零戦を徹底的に研究して対策されただけに、まさに当時世界最強の戦闘機でした。それまでは間違いなく零戦がF4Fと並んで世界最強でした。英国機は零戦にコテンパンにされましたし、ドイツ機は英国機とほぼ互角のレベル、他は論外レベルです。
F6Fの対零戦キルレシオは1:50(注:ヘルキャット登場当時すでに日本軍はエース格の大半が戦死しており、そのほとんどが新人パイロットであった反面、逆にヘルキャットは熟練パイロットを多く輩出していた点は加味する必要あり)であり、その強さはまさに群を抜いていました。

今回は、ハセガワの1/72モデルですが、とにかくデカールの多いこと、手間暇ばかりかかるので、大雑把なデカールを貼るにとどめました。


モデルは、空母エセックス艦載機をベースとしました。
そのため、機体色はネイビーブルー一色です。


ゼロファイターキラーとは言っても、旋回能力は零戦に分があるため、坂井三郎クラスのエース格の零戦に格闘戦に持ち込まれたら流石にきつかったのは言うまでもなく、少数ながらも撃破された機もいました。
そのため、今回初めて胴体右側にダメージ表現をしました。零戦に後ろを取られて被弾するも、でっぷりした零戦の倍以上の重量ボディは伊達ではなく殆ど跳弾した状態を表現しています。重い原因の一つには、零戦と違って強固な防弾装備が施されたことにあります。


正直日本機に比べると不格好ですが、これは暗に、無様でも生き残ったほうが素晴らしいことを意味してる風にも捉えられます。たとえズタボロに負けても生きてさえいれば何度でも勝つチャンスはありますからね。たとえ卑怯者呼ばわりされても、生きてさえいれば何度でも挽回できます。

ただこれは正直私も非常に勉強したところです。
零戦とヘルキャットの致命的な差、それは

死に向かって戦うのか
生に向かって戦うのか

魔法騎士レイアースでも主張していました。
死を覚悟した人間は確かに強い。生きる重みを知っている人間はもっと強い、と。

そして、こういう言葉があります。

死んで花実は咲かぬ 生きてこそ浮かぶ瀬あり

これが、日本がアメリカに勝てなかった大きな理由の一つではないかと思うこの頃です。お互い敵を間違えた戦争(こう考えるようになってヨーロッパ嫌いになりました)、二度と仲違いしない努力せねばと思います。
Posted at 2024/10/05 19:09:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2024年10月04日 イイね!

今日は誕生日

今年は魔法騎士レイアース30周年だそうです。って考えたらそうか、1994年ですもんね。
でもって、今日は誕生日なので、年に1度の楽しみをゲットしました。


シャトレーゼのケーキ3種類。これで1000円も行かないのだからお値打ちです。

今日は特別に臨時休業です。
だけど、日々の運転技術の鍛錬は欠かせません。

車幅感覚の鍛錬において、パイロンから5cm離れたらやり直しです。これで3cm程度。パイロンにどれだけ寄せられるかをいつも訓練しています。
誕生日だからってこれを休んだり、手を抜いたりはしません。
こーゆーところって実は、元ネタがあって、アニメ「YAWARA!」からです。
Posted at 2024/10/04 19:37:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年09月23日 イイね!

MS125型 クラウン ロイヤルサルーン

私のクルマ好き人生は、クラウンに始まりました。
確かに初めて乗せてもらったのがまだ赤子の頃のC230型ローレル、その次に910型ブルーバード、そしてAT141型コロナでしたが、その時点ですでに私の頭には、クルマの基本形=3ボックス4ドアセダンと刷り込まれていました。
本格的に好きなクルマが出来た、つまり初恋はGS110型クラウンで、3歳当時に家の近所に停まっていた白のGS110型クラウンに一目惚れでした。しかも何が目を引いたかと言えば、その特徴的な後姿でした。
それからほどなくしてS120系にモデルチェンジすると、そのスタイリッシュなデザインに一目惚れ、同時期に初めて手にしたミニカーが
トミカ55番 クラウン

だったこともあって初めてにしてS150系が登場するまでの間、一番好きなクルマとなりました。
私は絵を描くのが好きですが、人生で最も多く描いたのがこの型です。

今回はフジミから発売されている1/24 MS125型クラウンです。

ノーマルで作ろうかと思ったけど、私が幼稚園時代に描いていた理想のクラウンを再現しました。
よって、原形こそ留めてますが、カスタマイズしての制作です。


車体色はホワイトを選択。純正では内装はグレーかワインレッドでしたが、アレンジでタン+マホガニーの組み合わせとしました。
フロントハーフスポイラー、サイドスカート、リアスポイラー、そして自作でリアアンダースカートを履かせてます。


威厳と風格があるフロントフェイスです。個人的には角張っていながらも垂れ目なのがいいです。
ナンバーのデカールは品川ナンバーが気に入らなかったので省略しました。クラウンのオーナメントプレートが何故ついていないのか疑問でした。


これぞクラウンの後姿!やっぱり横一文字なのがいいんです。でも現行型、お前はダメだ!
S120系クラウンの最大の特徴は、銀色の化粧板が付いたCピラーで、これは唯一無二です。唯と無を取れば、一二と型式の一部にもなりますしね(笑)これが好きでS120系に乗っているって人は少なくないでしょう。
これにより窓が大きく4面ガラス張りに見えて非常に開放的な印象があります。


これよこれ、この低く構えたスタイリングがいいのです。クルマってこういう形、クルマは低い方がかっこいい、高いのはダサいの価値観の源泉がこの120系クラウンのサイドシルエットです。全高1550㎜を超えたらそんなのクルマじゃない、ただのエンジンが付いた長距離移動ができる「道具」。
ホイールは当時物ではないですが、当時スポーティーな5本スポークが好みだったのでそれに合わせて選びました。ボディサイドプロテクターは純正では黒ですが、高級感を出すために銀色にしました。

そういえば初めて乗せてもらったタクシーもGS121型の個人タクシーでした。おじさんにチョコレートをもらったのがうれしかったのを覚えてます。それがきっかけてチョコレート好きになりましたからね。当時幼稚園児にして、将来の夢がクラウンのタクシー運転手でした。それが後に本当に叶うとはね。

「いつかはクラウン」それが、この型のクラウンのCMのキャッチフレーズでした。私も小さい頃は「いつかはクラウン」でしたが、そう遠くないうちに叶い、3台続けて愛車がクラウンになったのです。
そう、私はトヨタ車が好きなんじゃない、クラウンという名前のクルマが好きなんかじゃない、S170系までの20世紀クラウンが好き、ただそれだけです。

Posted at 2024/09/23 15:56:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ

プロフィール

「先日制作したR34スカイライン天道咲夢スペシャルですが、テールライトハウジングを塗装してV36っぽくしました。ブログにアップするほどでもないと思い、こちらに載せます。」
何シテル?   11/19 08:02
生粋のエンスージアストにして普通自動車第二種免許保有の正真正銘プロの運び屋です。 普通免許取得時の私のあだ名は「奇跡のドライバー」。運転センスゼロで、自動車学...
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