祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す
有名な平家物語の冒頭ですね。
大航海時代から1930年にかけて、海での戦いは軍艦での砲雷撃戦、艦首の衝角による体当たり攻撃、あるいは水兵が艦上で殴り合いをするというものでした。
第一次世界大戦時から航空機による爆撃、第二次世界大戦勃発後からは航空雷撃が行われていましたが、本格的に航空機が主力になったのは1941年まで待たねばなりませんでした。
1941年12月8日、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃がその大きな転機と言われていますが、当時オアフ島で撃沈されたのは、
戦艦アリゾナや
戦艦オクラホマなど旧式の、それも停泊中の艦であり、奇襲攻撃だったという限定的な条件でのものでした。
そして、航空戦が主力になる決定的な出来事は同年12月10日、真珠湾攻撃からわずか2日後の、
マレー沖海戦です。当時既に旧式化しておりながらも、後継機の一式陸攻と共に、「不沈艦」と呼ばれた当時最新鋭の戦艦の撃沈したのが、大日本帝国海軍の陸上攻撃機、
九六式陸上攻撃機
です(以下九六陸攻)。艦隊これくしょんでは、イベント海域でいつもお世話になってます。今回のイベントでも使っております。
当初、陸攻って名前だけに陸軍機だと思っていましたが、実は海軍機なのですね。陸軍攻撃機ではなく、陸上攻撃機。すなわち、海軍の陸上基地を拠点として作戦行動する、主に空母を拠点とする(例外あり)艦上攻撃機と区別した命名ってことですね。
マレー沖海戦における九六陸攻の活躍は、こちらをご覧されたし。
ちょんまげを結って刀を差し、後進国だった日本が、開国後100年も経たないうちに、欧米に肩を並べ、航空機製造技術まで世界基準に達したことを知らしめた歴史的名機です。
映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」の真珠湾作戦会議にて、「ハルノート」による外交の攻防で、真珠湾攻撃直前にアメリカが「ハルノート」を取り下げれば作戦を中止することに不満を持った将校に対し「我々が百年兵を養うは何のためであるか!」と叱咤する場面がありますが、この100年のことです。
そう、ペリー来航以来、日本は常に欧米から後進国として、有色人種の国として舐められ、搾取し続けられ、日清、日露戦争を経てようやく不平等条約を破棄させてもまだ欧米は日本を自分たちより下に見ており、いつ日本がアメリカの植民地になってもおかしくありませんでした。
そのため
、現代の価値観で当時の日本をやたらと非難したがる人がいますが、実際は前後の歴史を顧みると正義は日本にこそあったと言って過言ではありません。このことはアメリカですら認めているのです。ただ、それを認めてしまうと戦勝国である欧米こそ自己矛盾だらけになり都合が悪いので、敗戦国であり黄色人種の国である日本がすべての責を負わされただけにすぎないのです(その証拠にドイツとイタリア、更にはフィンランド、タイ王国などはそこまで悪者扱いされていない)。更に言えば被害者ぶってる韓国も日本を悪者にするなら同道です。日韓併合及びその内容をお忘れか?そこのところ勘違いしないでもらいたいものです。
更に言えば、1941年当時の軍艦には対空兵装は備えてはいたものの、来襲する敵機を撃墜するというより追い払う程度で、弾幕を張って敵航空隊そのものを撃滅するには程遠いものでした。あまつさえ航空攻撃で撃沈されるとは夢にも思わなかったので、マレー沖海戦における
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ及び
巡洋戦艦レパルス撃沈の報は、世界に衝撃が走ったのです。
そして時代は、航空機が主役に。
今回制作したのは、1/72のマイクロエース社のもので、昭和設計のかなり作りの粗いものですが、プリンス・オブ・ウェールズにとどめを刺した美幌航空隊所属の22型としました。キットは11型ベースなので随所に加工が必要で九六だけに苦労しました。
機首側から

双発機って単発機と違って機首がシュッとしているためかっこよく見えます。
また、一式陸攻やB29などのように機首が窓になってないのもかっこいいです。
機尾側から

垂直尾翼が双翼っていうのがかっこいいですね。
右側から

陸攻だけに魚雷も付いていましたが、プリンス・オブ・ウェールズにとどめを刺した爆装のものとしました。250kg爆弾8発が剥き出しで吊るされていたのですね。
迷彩嫌いですが、美幌航空隊を再現するために塗装しました。
今回はタミヤアクリルミニの濃緑色と茶色のツートーンです。
手塗りなので多少実機とは異なりますが、実際は1機1機迷彩は多少違っていたし、誰の機を特定しているわけでもないのでこれでいいかと思います。
ではでは、また次回作に乞うご期待。
Posted at 2020/12/13 20:55:58 | |
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