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埴方ひかりのブログ一覧

2019年01月24日 イイね!

数多の戦果を挙げた帝国海軍主力攻撃機 九七式艦上攻撃機

航空機制作第3弾です。

1941年12月8日、真珠湾にて、帝国海軍空母から発艦した九七式艦上攻撃機による雷撃、九九式艦上爆撃機による爆撃によって、戦艦アリゾナオクラホマウェストヴァージニアなどが撃沈される。

1942年6月5日、空母赤城加賀蒼龍がアメリカ海軍空母エンタープライズヨークタウン艦載機SBDドーントレスの爆撃により被弾炎上。

我今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル

空母飛龍、大敗に一矢報いるため単独で反撃。

「たとえ最後の一艦になっても、叩いて見せます!」
千射万箭

友永丈市率いる九七式艦上攻撃機で編成した攻撃隊、空母ヨークタウンを撃破(その後伊168によって止めを刺される)。飛龍も被弾大破し、太平洋の海に沈む。歴史の教科書だと、「主力空母4隻が撃沈され完敗した」などとアメリカに損害はなかったように記述されてました。その損害で悲しみに暮れたアメリカ人は多数いたんですけどね。ヨークタウンに謝れ!

1942年10月26日、南太平洋海戦にて、空母ホーネット、堕つ。
空母翔鶴より発艦した九七式艦上攻撃機搭乗の村田隊隊長村田重治、搭乗機被弾により、ホーネットに特攻し戦死。

艦これやっている人なら知らない人はまずいないであろう史実です。
数多の熟練搭乗員を輩出し、大日本帝国海軍の大東亜戦争前期における航空攻撃力の要となった九七式艦上攻撃機(九七艦攻)の中でも空母飛龍攻撃隊の友永隊機が今回の制作機です。九七艦攻は大戦前期のほぼすべての空母に載せられ、後継機の天山登場まで航空機としては世界最強の雷撃力を誇りました。登場するゲームの多くでは雷撃機の扱いですが、雷撃だけでなく爆撃や索敵、特攻などと多岐に亘って終戦まで活躍した、後のマルチロール機の魁と言った存在でした。

航空機制作はまだ板にはついてませんが、ざっと丸半日ほどで出来上がりました。
制作ベースはハセガワ製の1/72の中島航空機九七式3号艦上攻撃機で、塗装を中心に作り直しています。

機首側から

爆弾ではなく、航空魚雷を搭載しています。海面すれすれの超低空飛行から敵艦に肉薄雷撃する様に士道を思わせます。
機首側に機銃が付いていないため、正面からの格闘戦は出来ません。

機尾側から

胴体後部及び垂直尾翼のカラーリングを友永隊仕様としてます。飛龍搭乗機全部これだったかもしれませんが。風防後部を切り取って機銃を取り付けています。邀撃してきた敵戦闘機にはこれで反撃しますが、直衛機の零戦が優秀なので大戦前期における九七艦攻の未帰還原因は対空砲火によるものが大半だったようです。

制作済みの空母飛龍及び1/700九七艦攻(友永隊)と並べてみました。

殆どの場合名将と讃えられ、見方を変えれば健在艦なのに退かず再起を図らなかった愚将だったとも言える第二航空戦隊司令官山口多聞の指揮による飛龍の反撃はまさに海の士道でした。愚将だと批判する奴は、そもそも士道が何たるやそして士道には損得勘定など欠片も存在しないことがわかっていない愚物です。
アメリカ側はミッドウェー海戦の勝利と、主力空母4隻撃沈の戦果に喜ぶよりも、空母ヨークタウン轟沈、そしてその直前の海戦である珊瑚海海戦における空母レキシントン轟沈の悲しみの方が大きかったと聞きます。その名の由来を考えれば当然ですけどね。レキシントン轟沈もまさに九七艦攻及び九九艦爆の攻撃によるものです。更に、九九艦爆の搭乗員からは、「艦攻がみんな沈めてくるから俺らの仕事がない」とやっかみを受けるほど優秀だったのです。

さて、次はまた艦船模型に戻ります。
Posted at 2019/01/24 20:38:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 趣味
2019年01月13日 イイね!

ドイツという名の世界最小の戦艦(自称)。後の重巡洋艦リュッツォウ

他国に比べて、天才が少ない日本に対し、鬼才天才が多いのがドイツです。
世界屈指の工業国であり、音楽の国として名が知れてますね。
アインシュタインポルシェ博士ベートーベンなどがその代表格でしょう。
いつも思うのですが、例えばスポーツなどで日本が世界を相手に戦っても勝てないことが多いのは、マスメディアが持ち上げない限り天才を忌避し、個性を重んじない国民性、天才を磨り潰すだけの社会構造に問題があると思います。ドイツを漢字で独逸と書く通り、色々と独自性が強く常識から逸脱したものを多く生み出しています。常識に囚われていては、新しいものを生み出すことなど不可能なのです。

さて、第一次世界大戦終結後のドイツ帝国のお話です。連合国に大敗して国が立ち行かなくなるほどの賠償金を支払わされた上、領土の東部分を分断され、首都がない方の領土には、分捕られた他国の領土に阻まれて国政が行き届かなくなり、追い詰められてしまいます。
更には、ドイツを二度と欧米列強に歯向かわせないために、軍備は最低限以下でしか認められず、海軍に至っては、排水量1万トンを超える艦を作らないことを強要されます。
これが意味するのは、「戦艦や空母などの主力艦を作るな」ということです。
実は、ドイツは戦争こそ大敗したものの、海戦では局地的に勝利しており、特にユトランド沖海戦では大英帝国151隻の巨大艦隊に対し、99隻という圧倒的不利な戦況で戦艦と巡洋戦艦1隻他軽巡と駆逐艦数隻合わせて11隻を失うも、巡洋戦艦クイーン・メリー爆沈をはじめ、巡洋戦艦3隻、装甲巡洋艦や駆逐艦など合わせて14隻を撃沈して、かつてスペインの無敵艦隊を打ち破り世界最強であったはずの王立海軍に痛恨の敗北を与えました。ドイツ帝国自体、元々海軍の強い国ではないので、この腹いせではないのかと邪推しています。
ここまで骨抜きにされたドイツですが、海軍工廠にトンデモ要求を突きつけます。それが、「排水量1万t以下の戦艦を作れ」ってことでした。実際に出来上がったのは、排水量1万トン以下の戦艦の主砲を備えたモニター艦的な何かでした。しかし、それをドイツは「戦艦」だと主張し、各国は本当に作りおったと感嘆しました。しかし、流石に色々と無理がありました。排水量1万トンと言えば、大型軽巡または重巡クラスです。そこに無理して戦艦のよりによって3連装主砲を2基も載せたためにより小型化したために世界で最小の戦艦(自称)が出来ました。英国ではそれを普通モニター艦って言います。実際は12000tを超えてましたが、黙っていたそうです(バレてないとは言っていない。)
俗にいう、ポケット戦艦です。

それが、ドイッチュラント級装甲艦であり、今回作ったのはネームシップの

戦艦ドイッチュラント(後の重巡洋艦 リュッツォウ)
alt
(戦艦少女Rより。本ゲームでは巡洋戦艦扱いでドイッチュラントですがリュッツォウに改名してます)

です。第一次世界大戦時には、ドイッチュラント級戦艦と言うものがありましたが、それとは別物です。ドイッチュラントとは、ドイツ語でドイツそのものの事です。283mm3連装主砲2基6門と、533mm3連装魚雷2基6門を備え、非常に高い攻撃力を誇りましたが、当時の列強の戦艦は総じて14インチ(356mm)以上の主砲であったためにこれらと砲撃戦で張り合えば負けてしまうものでした。しかし、巡洋艦ほどではないにしろ、世界的に25ノットも出ない鈍足な戦艦ばかりだったので、28.5knotの最大速力は十分高速であり、それを活かして雷撃で沈めることも可能な、大口径主砲を備えた重巡洋艦といったところでした。艦これで実装されたらゲームバランス崩れそう(恐らく重巡扱いになる)ですが、戦艦少女Rでは、中途半端な艦って感じで使いどころを選びます。
後年登場するビスマルクやヘタレ戦艦シャルンホルストなどまでの繋ぎという立ち位置が実情だったのでしょう。
艦歴としては、スペイン内戦に参加、その際に爆撃を受けて損傷します。損傷を受けた状態のまま、ジョージ6世戴冠記念観艦式にドイツ代表として出席し、世界にポケット戦艦の名を広めました。しかし、前述の通り、戦艦としてはかなり貧弱であり、第二次世界大戦が勃発すると、万が一本艦が撃沈されてしまったときの世論への影響を考慮してリュッツォウに改名。その後重巡洋艦に艦種変更します(改造したわけではない。ビス子やシャルンが出てきたから戦艦としては用済みになっただけ・・・)。主に通商破壊に赴きますが、ウェーザー演習作戦オスロフィヨルドの戦いなどの海戦にも参加しています。1945年5月4日に英国爆撃機の攻撃によって損傷して放棄され、戦後はソ連(またあの国か!)に接収されて標的艦として処分されました。

ドイッチュラント級装甲艦は、第一次世界大戦後に、後の第二次世界大戦の遠因となった、連合国が寄ってたかってドイツいじめをしたことで生み出された、歴史の証人なのです。
いじめによってドイツが本気になって生み出されたドイッチュラント級三姉妹が歩み、見てきたもの、感じたものは?

今回、結構特殊な艦ではありましたが、部品点数は少なく8時間ほどで仕上がったと思います。
自称世界最小の戦艦をとくとご覧あれ。

艦首側から

船体に比して大きな主砲を備えているというより、抱えてる感じですね。重たそうです。妹艦にアドミラル・シェーアとアドミラル・グラーフ・シュペーがいますが、艦橋の形状が2隻と大きく異なります。
船体はライトグレイが正しいのですが、手持ちになかったために近似色の軍艦色(1)とアメリカ海軍の色としたので、実艦よりやや濃いめとなってます。更には、艦橋甲板はマホガニー(濃い茶色)指示でしたが、説明書を見ずにデッキタンを塗ってしまいました。特に違和感がないのでそのままにしてます。名札は改名後のものとしました。

艦尾側から

プリッとした艦尾です。しかも帝国海軍艦のように垂直方向にプリッとしてるのではなく吃水部にまで3次元的に回り込んだ感じで、艦尾というより艦尻ですよ。アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦もこんな感じで、プリンツ・オイゲンを作った時には、「ヒッパー級なだけにお尻がプリンツか」なんて変態発言を飛ばしたもんです。まさかこやつまでとは・・・、ドイツ海軍は尻フェチか?ビス子やシャルンも作ってみたくなりましたよ。実はビス子やシャルンに対する嫌悪は解消したのです。
やはり船体に対して大きすぎる主砲でアンバランスさを感じます。マスト部が簡略化されており、史実と大きく異なります。第2次世界大戦期のドイツ戦艦ってみんな艦尾に魚雷を備えてます。なんでわざわざこんなところに?水中発射管にすればいいのに。何故かって?もしここに直撃弾を受けたら?そもそも直撃弾を受けやすい場所ですし。水上機のAr196は、オイゲンの余りを流用しています。

プリンツ・オイゲンと並べてみました。

前述から完全に変態化してしまうので、艦首側から並べてみました(笑)
オイゲンより1周り小さいのがわかると思います。こうして並べてみると、オイゲンの方が威風があり、戦艦と呼ぶには頼りない印象です。重巡と呼ぶには高い砲火力、しかも速力は戦艦並、しかし戦艦と呼ぶには小型で世界に類がないが、戦艦少女Rのように巡洋戦艦の立ち位置が適当かもしれませんね。当時他にはなかった発想である点については、やはり天才が生み出したものであると言えます。
Posted at 2019/01/13 20:10:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2019年01月11日 イイね!

「渡りに船」誇り高き御召艦 戦艦比叡

先日から制作していた戦艦、ようやく暫定完成と相成りました。
キットにはエッチングパーツが付属していましたが、今回未使用です。
理由は、姉妹艦と合わせるため。

こんな言葉をご存知でしょうか?

渡りに船

意味は、困っているときに、ちょうどよく助けになる人や環境に恵まれること。
その読んで字のごとく(ことわざの意味とは違うが)の活躍をしたコルベット艦の名を受け継いだ戦艦が大日本帝国にはいました。
大日本帝国初の超弩級戦艦姉妹にして、ロンドン海軍軍縮条約によって練習戦艦となるも、天皇陛下の御召艦を務め、再度武装して大東亜戦争開戦から第3次ソロモン海戦を戦い抜いた、

金剛型戦艦2番艦 比叡

(艦隊これくしょんより)
がそれです。帝国海軍で最初に戦没した戦艦という不名誉な史実もあることながら、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が遭難した事件で救助され、手厚く保護された生存者を無事に首都イスタンブールに送り届けたのが、コルベット艦金剛比叡でした。その名を受け継いだ1隻が本艦、金剛の名も引き続き姉艦に受け継がれました。トルコにとってはまさに渡りに船でしたし、日本とトルコの親交の文字通りの渡し船となったのがこの2艦です。

姉艦の金剛は、艦これでも紹介されているように、英国生まれの帰国子女ですが、比叡は英国から取り寄せた部品で初めて日本国内で建造された戦艦です。国産化されたのは妹艦の榛名からで、初の日本独自設計となった純国産戦艦は扶桑型まで待つことになりますが、発展途上国だった日本がようやく日本人の手で当時世界最強クラスの戦艦を建造した1隻目という歴史的な艦なのです。金剛型戦艦は高速戦艦と呼ばれるように、同時期に建造された戦艦としては世界最速クラスの高速性能を誇りました。
途中武装解除して練習戦艦になったり、御召艦になるといった、他の姉妹とは違う道を辿ったために第2次改装後の姿は、他の姉妹と一見して異なるものとなりました。
だからって何も模型メーカーまで違うところにしなくとも・・・って思われそうですが、ハセガワ製の戦艦比叡のフルハルモデルは希少であり、たまたま洋上モデル並みに安く手に入っただけです。
本音はフジミの艦NEXTシリーズのものが欲しかったのですが、ハセガワ製の方がエッチングパーツなど勢が尽くされており、1000円以上も価格差があればどちらを買いますか?って話です。定価は逆転してるんですけどね。

大東亜戦争開戦初期は真珠湾攻撃のあとインド洋方面に向かい、空母赤城をはじめとする機動部隊を姉妹総出で護衛し、連合軍駆逐艦エドサルを副砲で撃沈(これが開戦初の戦艦による敵艦撃沈)、東洋艦隊撃退に貢献しています。ミッドウェー海戦時はアリューシャン方面作戦に参加、第三次ソロモン海戦に参戦し、停電になった場末の酒場の乱闘がごとくの大乱戦で探照灯照射したためにアメリカ艦隊の格好の的となって砲撃が集中し、舵を破壊されてしまいます。撃沈こそされませんでしたが、夜が明けてアメリカ艦載機の波状攻撃で更に損傷が拡大、それでも応急処置後修理さえすればまた戦えたものの、艦内連絡系統の不手際によって自沈処分されました。


着手してから丸2週間、制作時間はというと、案外かかってません。15,6時間ってところでしょうか。
そもそもフジミ製に比べて再現度で負けてしまう分、一体化部品などで工程が短縮されました。
初めて作った榛名なんて艦橋だけで15時間かかってます。

艦首側から

所々フジミの部品を流用して再現度を高めてます。ほっそりとした艦橋が特徴的で、他の姉妹との大きな識別点となります。

艦尾側から

一見して、金剛型戦艦の1隻と判ります。スクリュー周りの塗装は説明書に準じたために他の姉妹と違うものになりました。

右舷側から

この角度からも、特徴的な艦橋が目を引きますが、あちらこちらで細部が比叡独特となっています。
御召艦を務めただけに、金剛型の中では一際貫禄がありますね。

漸くそろった金剛四姉妹を並べてみました。

複雑な家庭事情から、同型艦なのにそれぞれに個性があります。比叡だけ突出して艦橋形状が大きく異なりますが、金剛、榛名、霧島も特に艦橋上部の形状がまるで違います。更には、煙突の配置や高さ、探照灯台や機銃台の形状、艦載艇の配置、後部水上機甲板の形状、主砲塔の形状、全長、全幅、全高も異なり、実は金剛⇒比叡⇒榛名⇒霧島の順に改良されています。
特に金剛&比叡と榛名&霧島はそれぞれほぼ同スペックながら比叡と榛名で古鷹型重巡洋艦青葉型重巡洋艦ほどの諸元の開きがあり(国産化されたことで使っている材料や細部の設計も異なる)姉妹艦と言うよりは準同型艦で、榛名&霧島は榛名型と呼んでもいいくらいでしょう。

緒戦でしか揃うことのなかった姉妹。しかし、姉妹仲がいいと言っていいくらい行動を共にするときはしっかり連携を取っていたようで、どっかの重巡姉妹のように指示ミスや判断ミスでごっつんこしたりはぐれたりはなかったようです。あちらもあちらで姉妹愛を感じる史実に胸を打たれますけどね。
勿論、中の人の問題ですよ?
特に霧島は、比叡の仇討ちに行ってます。結果的に返り討ちに遭ったのはまた別の話です。かく言う私と弟も、どっちかがケンカなどでやられて帰ってくれば必ず仇討ちに赴き、相手を完膚なきまでに叩き伏せてきました。それは今でも変わらずで、きょうだいってのはどんなに腹が立つことがあろうとも、仲良く助け合わなければいけないものです。

先ほどの写真と合わせると、アニメ版艦これの金剛4姉妹登場シーンを連想します(笑)大正時代に生まれた戦艦としては十分大型であり、クイーンエリザベス級を4隻並べるよりも迫力があると思います。敵として4隻揃って空母を護衛してたら、まず近寄りたくなくなりますね。
一番実艦の比叡らしいキャラだと思うのは、艦これ版ではなく、霧の生徒会長ですね。
とは言え、艦これやってる人なら、金剛4姉妹大好きって人は多いことでしょう。
ただ、やっぱり金剛さんは「デース!」とか言わない方が魅力的ですよ。


さて、恐らく次も艦船模型となるでしょう。相変わらずの「予定は未定」です。
途中ちょっと作りたいものも出てきたもので、次回を乞うご期待。
Posted at 2019/01/11 22:07:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年01月08日 イイね!

2019年1作目 進捗状況

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

前回制作したスープラの記事で、平成最後のクルマ模型と述べましたが、2018年最後のクルマ模型に訂正します。

年が明けて、制作待ちとなっているのが艦船模型という寂しいものですが、その艦船模型も6隻未制作なんですよね。

今年初めは戦艦にしようと思い、手がけました。
もっとも、大東亜戦争時の帝国海軍戦艦で未制作は残すところ武蔵陸奥比叡の3隻となりましたが、その内の1隻です。
一先ず洋上部分の本体は出来ました。



手前の洋上状態のものが今回制作中のもの。そのすぐ奥の戦艦金剛と比較して述べます。
これから艤装工事して、吃水部を作って、水上機を載せます。こちらはハセガワ製ですが、昨今のフジミ製と比べると、舷窓やラッタルが再現されていない部分があったり、艦首部分の形状が違ったり、3番と4番砲塔上の空中線支柱が再現されていなかったりと作りの粗さを感じます。ここまで書いてしまえば、これは比叡陸奥のどっちかだと言ってるようなものですが、詳しい人なら艦橋の形状や主砲塔の配置を見ればどっちかわかりますね。再現できそうな舷窓は、0.5mmドリルで穴を明けて再現してます。

こうして模型を見てみると、艦これなどのキャラ設定に好意と悪意を感じるときがあります。特に戦艦金剛、英国生まれのくせに淑やかさがなく、どっちかというとアメリカ生まれの帰国子女。お母さんは由緒正しい王立海軍戦艦レシャド5世なので堅物とか淑女っぽい印象です。
それがいい悪いではなく、人って言うのは本当の意味では透明の眼鏡で物を見ることなど出来やしないってことです。文句言いながらも今回のイベントは進めてます。駆逐艦朝雲と共に活躍した姉妹艦の駆逐艦峯雲が実装されてうれしい限りです。

多分、この先艦船模型制作が連続することでしょう。近頃は旗艦が軽巡那珂の時代の四水戦もそろえてみたいとも思ったり。
Posted at 2019/01/08 20:52:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

プロフィール

生粋のエンスージアストにして普通自動車第二種免許保有の正真正銘プロの運び屋です。 普通免許取得時の私のあだ名は「奇跡のドライバー」。運転センスゼロで、自動車学...
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