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埴方ひかりのブログ一覧

2019年11月25日 イイね!

中島飛行機の傑作最強戦闘機 四式戦闘機 疾風

私が免許を取って所有こそしていなかったものの、私の練習用にと親から買い与えられたのが、スバル・ヴィヴィオでした。P10型プリメーラを初めて自分の所有車とするまで私の日常の足であり大学までの通勤車でした。
たった42馬力しかありませんでしたが、車重は630kgと軽いためにかなり敏捷な上、今まで運転した中でも1,2を争うほど運転しやすく、最強グレードのRX-RがWRCでもクラス最強を誇っただけに、間違いなく私の運転では史上最強の軽自動車だと思います。ターボモデルのアルトワークスミラ・アヴァンツァートも運転させてもらいましたが、直線以外はヴィヴィオより劣速でした。あくまで私説なのでスルー推奨ですが、私が唯一好きな軽自動車です。
流石前身は中島飛行機であるだけのことはあります。コアなスバルファンであれば、元中島飛行機であることをネタにする人は数多いでしょう。その中島飛行機出身の技師から、プリンス自動車が誕生し、後のスカイライン伝説に繋がるのです。
個人的にはWW2時なら愛知航空機推しですけどね。

大日本帝国で戦闘機と言えば、一般的には海軍の三菱零式艦上戦闘機、陸軍の中島一式戦闘機 隼がまず挙がるでしょう。両者ともそれぞれ最も生産機数が多く、最も戦果を挙げた機だからですが、登場当初こそ両者とも世界最強の戦闘機だったと言うのも確かです。しかし、零式艦上戦闘機は後継機の烈風が間に合わなかったために帝国海軍艦載機(注:海軍基地航空隊は除く)としては終戦まで最強であり続けましたが、隼は後継機に最強の座を明け渡しています。
今回制作したのは、制式採用された中で陸・海軍を合わせても最強最速を誇った中島飛行機の傑作戦闘機、

四式戦闘機 疾風

です。大東亜決戦機とも呼ばれているのも最強戦闘機である所以です。
愛称の読みは「しっぷう」ではなく「はやて」です。
太平洋戦争で最初に撃沈された艦である神風型駆逐艦も疾風でした。まさに疾風のごとく散って行ったわけですが。
その名の通り、大日本帝国としては最速クラスの最高速687km/h(アメリカ軍での実験資料。実戦では624km/h。試作機では660km/h)を誇り、零式艦上戦闘機では最速である五四型(572.3km/h)、隼のⅡ型(548km/h)を大きく上回りました。
兵装も機首部に12.7mm機銃2挺と主翼に20mm機銃2挺を装備しており、世界的に見ればスピットファイアメッサーシュミットなどの高火力戦闘機には及ばないものの、大日本帝国の中では最強火力であり、隼譲りの高い格闘能力も伴ったばかりか、非常にゆったりした操縦席で操縦しやすくアメリカ軍の中でも評判は良く、日本最優秀戦闘機と評価を受けているほどです。
3500機も生産されたにも関わらず現存機は国内ではたったの1機。それも静態保存状態で健在機はなし。日本の恥を世界に晒してしまいました。かの有名な嵐山美術館での話です。
現存する最後の疾風が健在だった頃は、決して日本は弱くなかったことの生き証人であったのです。

3日掛けで制作時間は6時間ほどですかね。その殆どは塗装での手間暇です。
機首側から

2000馬力という高出力エンジンを搭載しているため、4翅プロペラです。隼を正常進化させたような外観ですね。隼に比べると機首がやや絞り込まれていて空気抵抗を大きく減らしています。
今回特に捻らずほぼ説明書通りに仕上げてますが、銀色の上からクリア塗装しているので実機が艶消し銀に対して艶々の銀色になっています。
パッと見エアブラシ塗装したように見えて、よく見るとわかりますが筆塗装です。そもそも私はエアブラシを持っていないので。

機尾側から

後ろから見てもやはり隼に似た外観です。
こうしてみると、機体に対してコクピットの風防が小さいのがよくわかります。
中島と川西の航空機って概して風防の面積が小さいですね。

右正横から

非常に流麗な機体です。このシルエットに見慣れるとどうしてもアメリカ機やソ連機などが芋に見えるのは仕方ないでしょう。レシプロ戦闘機がかっこいいのは日本と英国とドイツですよ。

零式艦上戦闘機と並べてみました

作ってみて気づいたのですが、高出力エンジン、重武装で結構な自重がある割には小柄なのです。ご覧の通り零式艦上戦闘機とさほど変わりませんね。英国にはスピットファイアの艦載機版としてシーファイアがあるように、疾風の艦載機版が登場していればヘルキャットコルセアにあそこまで負けなかっただろうにと思うところです。これは当然資源などの問題は関係なく、技術的にはできたはずです。他国は空軍と海軍は密な関係でしっかり連携が取れていたのに対し、大日本帝国の海軍と陸軍は常に軍における主導権を争い、犬猿の仲だったと言うのが大きな問題だったと言えます。馬鹿な大将敵より怖いを地で往ったのも敗戦の大きな原因の一つです。そしてその悪しき官僚制度は現在なお続いているのですよ。
幾らそれぞれが優秀でも、国論を一つにまとめしっかり統制できなかったら、有事の際に取り返しのつかない損害を被るのです。そしてそれに泣くのは政治屋でも官僚でもなく、国民なのです。足の引っ張り合いするしか能のないバカな議員を選ぶバカな国民、現代日本はまさに乱臣賊子ですね。
WGIPにおける狂った学校教育のせいで白人には絶対勝てないなどという洗脳を受けて才能と自信を潰され、愚民となった人間は数知れずですが、本来大和民族は世界でも1,2を争えるほど優等民族です。
この疾風を作った民族ですよ。
他のどの国も真似できない巨大で強い戦艦大和武蔵を作った民族ですよ。
そんな昔の話じゃなくても、
世界で初めてハイブリッド車を市販化したメーカーはどの国でしたっけ?
世界で最も売れているクルマはどこの国でしたっけ?
LEDを発明したのはどの国でしたっけ?
大和民族がどの人種に劣ると言うのですか。パクリの文化とも揶揄されるけど、良いモノをどんどんパクって更にいいものをどんどん作れるのも我々大和民族ですよ。ゼロから1を作る能力に乏しくとも、1から100を作る能力に長けているのです。パクリだと批判する細長釣り目の渡来人(地の大和民族にそんな愚物はいないはずなので)には良い言葉を授けましょう。

青は藍より出でて藍より青し
Posted at 2019/11/25 23:06:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 趣味
2019年11月22日 イイね!

元タクシー乗務員が制作する日産のロングセラー営業車、Y31型セドリック

今日はカレーの日、金曜日ですからね。
一説によれば、語呂で良い夫婦の日だそうです。
全国の既婚者の皆さん、末永く仲良くしましょう。
昨日は秋葉原に出かけて、欲しかった掘り出し物を獲得。
その帰りには取材がてらタクシーを使いました。
JPNタクシーに乗ってみたかったからです。
感想はというと、確かに乗り降りはしやすいです。反面、完全な自動ドアのためドアの開閉に時間がかかります。座面が高くなったせいでクラウンセドリックに比べると安定感がなく、クルマに弱い人だと酔いやすいのではと感じました。
乗り心地そのものはプリウスと変わらない位で、悪くはないけどクラウンやセドリックには一歩譲るってところです。クラウンを作り続けてほしかったです。
そして日産、ニューヨークでNV200が主力として活躍してるのはわかるけど、日本ではなしでしょ。やっぱり日産と言えば昔からセドリックですよ。
そもそもセドリックからフーガにしたの失敗でしたね。歴代セドリックから言うと全然売れてないじゃないですか。
そして今回制作したのは、歴代では一番よく売れて、一番長く売れた

Y31型セドリック

です。セダンとハードトップがありますが、セダンは営業車、ハードトップは自家用車というのが一般的です。そしてセダンにはセドリック営業車という名前が与えられていました。
1987年に登場し、ハードトップは1991年にY32型へとモデルチェンジしましたが、セダンは実に2014年まで生産・販売されました。
私がタクシー乗務員だったころに一時的に愛車となったのがセダン後期型です。
クラウンより癖は強いけど、運転していて楽しいクルマでした。

模型は、アオシマとフジミから出ていますが、いづれもハードトップのみでセダンを作ろうと思ったら大改造を強いられます。そこまでの技術はないのでハードトップで妥協です。
そして、フジミは舵固定で車体以外に完成度は期待できないのでアオシマを選択しました。
しかし、折角元タクシー乗務員なので、思い切ってタクシー営業車仕様にしてみました。
総制作時間は実に30時間ほどです。制作期間は約1週間。
勿論、外観ばかりじゃないですよ。昨日何のために秋葉原から上野までタクシーを使ったんだか、です。
記憶を頼りに、内装にしっかりタクシー装備を施しました。
車体をはぐった状態です。
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シートはガーゼでシートカバーを再現しました。
助手席後ろには、首都圏では主立ったタクシーでは標準装備されつつある広告モニター、その下にはパンフレットとパンフレットホルダーも再現。乗務員時代はパンフレットの管理は徹底していて、しわ一つあれば交換してました。その甲斐あって私のタクシーは毎常務パンフレットが減ってました。
助手席側ダッシュボードには、営業状態を表示するスーパーサインに、ちゃんと乗務員証まで再現(笑)センターパネルには、矢崎風のタクシーメーター、そのすぐ左には領収書発行機と、その下に無線機。センターパネル右には無線マイク。センターパネル上には純正ナビを加工してタクシーナビを再現しました。
更に更に、ちょっと見えづらいですけど、運転席の右側には客席ドア開閉レバーもしっかり再現しています。
そして、ここまでやるか!センターコンソールの黒いものは電子マネー決済機。
これは私のタクシーには付いてました。
客「Suica使えますか?」
私「(決済機を指して)はい、どうぞこちらにタッチしてください」
「ピピッ」
私「領収書と控えが出ます、少々お待ちください・・・・・はい、どうぞ。」
Suica、Pasmoとかの交通系IC、Quickpayも、iDもこのタクシーに乗れば使えるでしょう。今時のタクシーは地方でも使えるようになってきましたね。

内装色は呉海軍工廠グレイと佐世保海軍工廠グレイです。ハードトップとセダンとで内装は違いますが、ハードトップのままにしてます。
これでも、乗務員時代を思い出して懐かしくなりました。

前側から
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私のセドリックは黒い車体でスーパーカスタムでした。しかしハードトップのグランツーリスモのままにしているためバンパーが違いますがそのままにしています。屋根の行灯(雪洞とも言う)は丸型を選択、ルーフウインカー(仲間内ではその形からクマミミと呼んでました)も再現しています。
スーパーサインは「空車」なのでお客さん待ちですね。先ほどの内装写真で、領収書発行機から領収書が出てましたが、きっとお客さんから「レシート要らない」と言われてそのままなんでしょう(笑)でメーターを切れば自動的に領収書は発行されますからね。

左正横から
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東京ではよく見る、ドアパネルに広告ラッピングを施した仕様にしました。
以前制作したToHeart2の痛車仕様のAE86トレノのデカールが丸ごとあったので、このタクシーはToHeartの広告をしている所謂痛タクってことにしました。
私個人は大学時代の漫研部の先輩が制作に関わったToHeartの方はよく知っているんですが、[2]は知らないです。キャラも知ってるのはたま姉くらいです。まぁこの手の絵は好きなんでね。

後ろ側から
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ハードトップはダブルマフラーですが、セダンに準じて1本にしました。
ちゃっかり無線番号を表示してます。このタクシーは「101」ですね。

右正横から
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左側と違うラッピングです。何てキャラか知りませんが可愛いですね。
右側にもちゃんと私が現役時代の料金「2km730円」表示しています。
ちなみに、乗務を初めてしばらくは消費税5%だったので710円でした。

今日は雨です。雨が上がった時が問題で、
「お忘れ物はございませんか?」
と、声掛けをしているそばで
「大丈夫」と言いながら傘を忘れる人が結構いて、
「傘を忘れてますよ」と呼び止めたり、追いかけて行って傘を渡すことも多々ありましたね。
そういうのも思い出しながら、楽しく制作できました。

セドリックとは、「小公子」が名前の由来だそうです。
となると、日本語名にするなら昭和の女性風に公子。まぁ昭和設計のクルマですしね、Y31型は。なので、行灯に「公子」と入れてるわけです。会社は公子交通、かな。昔の同級生にズバリその名前で「ひろこ」と読む女子がいましたな。中国版セドリックは「公爵」という名前でした。
Posted at 2019/11/22 15:45:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2019年11月17日 イイね!

第二次世界大戦時の潜水艦の代表格 UボートⅦC型

私はクルマの次に艦船スキーなのは過去のブログからもわかる通りです。
艦船と言っても色々ありましてね、
戦艦
巡洋艦
駆逐艦
航空母艦
潜水艦
水上機母艦
など、戦闘艦が主に挙がると思うのですが、給油艦/給炭艦、輸送艦、工作艦など縁の下の力持ちも忘れてはいけない存在です。
私はプロフィールで自己紹介している通り、みんな大好きな八方美人のように捉えられがちですが、過去ブログからもあるように、思想で言えば共産主義、宗教で言えば浄土宗、浄土真宗、そして反日国は時代が許すなら滅するべきとまで敵視していますし、クルマも何でもかんでも好きなわけじゃなく、ミニバンと軽自動車はそのものというよりそのユーザー(違う車種が1台目のユーザーは除く)を敵視している七方美人です。
そして艦船、一番嫌いな艦種は潜水艦。
海の戦いにおいて、海の暗殺者や海の狙撃手と言われるほど攻撃対象に気づかれることなく、何の痛みも伴わず敵を攻撃する卑怯な戦法を取るのが任務の艦種だからです。特にアメリカの潜水艦にその傾向が強いです。
その中でも駆逐艦神風と死闘を演じたバラオ級のホークビルは高く評価しています。
翻って、ヨーロッパでは少し事情が異なります。
第二次世界大戦における潜水艦の代表格と言えば、ドイツ海軍のUボートが世界的に最も知名度が高いでしょう。Uボートとはドイツ語で直訳すると海の下の船、意訳すると潜水艦そのもののことです。
その中で最も世界的に知られ、潜水艦と言えばこの形と言えるほど最も数多く建造されたのが

UボートⅦ型

(戦艦少女Rより UボートⅦC型潜水艦U96 南半球の露出がエロい。中破絵は最早エロゲー)

です。
Uボートも基本は上述の卑怯な戦法を取ってますが、アメリカのそれとは事情が異なります。アメリカの潜水艦は攻撃対象の乗組員の生死は問いません。
Uボートの場合は主な攻撃対象は無抵抗な商船と卑怯極まりないのですが、攻撃の際には一度浮上し、乗組員に撃沈することと、速やかに退船することを警告し、乗組員が全員退船したところで撃沈する手法を取っているため、アメリカ潜水艦に比べると極めて人道的なのです。
同型艦に個体差はなく区別はつきませんが、今回はその中でも幸運艦として名高いⅦC型のU-96として制作しました。ウィキもないので戦艦少女の説明文を参考に私の言葉で概略しますと、

Uボートは初期こそ華々しい戦果を収めてきましたが、英国のJ級駆逐艦(ジュノー、ジャベリン、ジャーヴィスなど)など対潜艦、航空機搭載の対潜レーダーが登場すると、狩る側から狩られる側に転じ、合計約1400隻という圧倒的多数が建造されたのに対して撃沈されたのは849隻であり、ドイツでは最も死亡率の高い艦種となったのです。
U-96は、映画「U・ボート」の原作者であるロータル=ギュンター・ブーフハイムが搭乗していた艦でその主人公艦となりました。ドイツでは名の知れた武勲艦であり、合計11回もの作戦に参加しながらも生き残った幸運艦で、初代艦長の時だけでも1943年までの8回の出撃で総撃沈19万トンという大戦果を収めました。
最期はアメリカ軍の空襲によって撃沈されました。
戦後、大量にあったU-96の写真を元に忠実な模型が作られ、映画「U・ボート」が撮影されたそうです。

嫌いな艦種でありながらも、知識を深めるための教材として制作を決めました。
童友社からの1/700世界の潜水艦シリーズから登場しているフルハルモデルですが、部品点数が少なく、難なく作れるプラモデル初心者向けです。定価800円とお手頃です。
もっとも、私がそうであったように最低限の塗装がなされて接着剤不要のスナップフィット(はめ込み式)モデルから始める人が多いでしょう。あくまで接着剤を用いて塗装を要する模型制作が初めての人向けって意味です。
今風のダサい葉巻型と違って割とかっこいいので、艦船模型興味あるけど難しそうだし高そうだし手が出ないなとお思いでしたら、このキットはオススメです。
塗装を含めても1時間かかりませんでした。作品というにはあまりにも簡単すぎて何の苦労もしてないのでアップを躊躇ったほどですが、折角なのでアップしました。

艦首側から

第二次世界大戦時の典型的な潜水艦の形です。
Uボートは日本の潜水艦のデザインスタディとなりました。悪く言えば日本の潜水艦はUボートのパクリですが、丸パクリではなく日本流に独自に進化していきました。どっかのパクって劣化する非文明国と一緒にしてはいけません。

艦尾側から

後ろ姿はまんま伊号潜水艦がパクったと言って差し支えないですね。
どっちかといえば呂号潜水艦ですかね。実際Uボートがそのまま呂号潜水艦になった例があります(U-511⇒呂五百)

右舷正横から

なんか腹の立つかっこよさです。魚雷以外の兵装が貧弱なのは、主な攻撃対象が商船であることでしょう。2本のにょきっと生えてるのは潜望鏡です。昆虫の触角みたいですね。
個体が分かるようにU-96の艦名表記を入れてみました。

Uボートをパクって独自進化し、当時世界最大最強の潜水艦となった伊400と並べてみました。

手前がU-96、奥が伊400。U-96がまるで子供ですが、U-96が標準的なサイズで伊400こそ異常な大きさなのです。そりゃ鹵獲したアメリカ軍がぶったまげるわけですよ。
そして、潜水艦に航空機を載せるなんて変態なことしたのは、何を隠そう日本だけです。何が「ドイツの科学は世界一ィィィ!!」じゃ、「日本の創意工夫と質の高さは世界一ィィィィ!」ですよ。
なんかU-96が主役の本記事が完全に伊400の引き立て役になってしまいましたが、その伊400もUボートあってこそ生まれたという事実は変わりません。
Posted at 2019/11/17 12:14:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2019年11月15日 イイね!

第三水雷戦隊旗艦 軽巡洋艦 川内

最近、てんで夜が苦手になりました。
大学時代なんて、昼は大学で夜はコンビニと寝る暇すらなかったものです。
平均睡眠時間4時間ほどでした。そんな若い頃とは対照的に今は夜活動するのは自重しています。

重巡熊野「夜戦...どこかのバカが好きでしたわね」
軽巡阿武隈「さぁて、夜戦ね!どこかの夜戦バカには負けないから!」

その他大勢に人気者の、黙っていれば美人、夜になると騒がしいアイツは・・・、
史実では大東亜戦争で参加したすべての戦闘が夜戦だったと言う、艦これでは夜戦バカでおなじみ、大日本帝国海軍第三水雷戦隊旗艦

軽巡洋艦 川内

(艦隊これくしょんより。)

名前の読みは「かわうち」でも「かわち」でもなく、「せんだい」。
先月に秋葉原で購入してからようやく完成しました。
艦これでは無類の夜戦バカだけど、アニメ版艦これでは三水戦旗艦として後輩想いの面倒見のいい先輩というキャラ付けがされていて好感が持てます。
艦これで初めて轟沈させたのが彼女です。故にこの子は2人目ってことです。
妹艦には、二水戦旗艦の神通に、四水戦旗艦の那珂とまさにエリート三姉妹なのです。

三菱長崎造船所にて1923年10月23日進水のさそり座。
5500t級軽巡洋艦の最終進化形である川内型軽巡洋艦1番艦として、長良型軽巡洋艦までの大きな違いとして、それまでの重油専焼缶から重油と石炭の混焼缶と今風に言うならハイブリッド艦となり、3本煙突から4本煙突になったことにあります。これによりさらに航続距離も延びると共により幅広い任務に対応できるようになりました。最大速力は長良型よりは若干劣速の35.3knotではあるが、世界的に見れば軽巡洋艦としては第一級の高速艦です。

大東亜戦争緒戦から戦没まで第三水雷戦隊を率いて、マレー沖海戦にエンドウ沖海戦、ミッドウェー海戦、ガダルカナルの戦い、第三次ソロモン海戦、ニュージョージア島の戦い、そしてブーゲンビル島沖海戦で戦没するまで最前線で戦いました。川内を撃沈したのは名将アーレイ・バーク率いるリトルビーバーズであり、制作済みのフレッチャー級駆逐艦クラクストンもその1隻です。
アニメ版の主人公である駆逐艦吹雪が所属する三水戦はまさに史実通りで、吹雪はサボ島沖海戦で戦没するまで川内麾下でありました。

参加した海戦すべて夜戦である川内が夜戦バカであると言うのはあくまで艦これ内のキャラ付けであって、それは偶然の産物に他ならないようです。
戦艦少女Rにも実装されてます。

戦艦少女R版川内も、後輩想いなところは変わらないが、清楚で落ち着きのあるお姉さんタイプで、逆に妹の神通や所属の駆逐艦たちに夜は無理をするなと窘めているほどです。どっちかというと経験した夜戦から川内のキャラ付けは戦艦少女Rの方が合ってるように思います。美人なのは艦これも戦艦少女も一緒ですけど、ネタ枠に入れるには惜しい艦です。

ってことで、制作時間は1週間掛けで合計約6時間でした。
アオシマ製の1943年時のキットですが、所々改良しています。

艦首側から

艦これでいうところの川内改二、最終時のものです。艦橋の形状が神通や那珂と似ているようで違います。そもそも三者三様です。
艦首旗竿と信号灯も今回はしっかり再現しました。
艦体色は佐世保海軍工廠グレイを選択しました。

艦尾側から

アレンジとして白文字で「せんだい」と自筆で艦名表記しています。
崩れているように見えますが、実際はちゃんと書けています。
今回ちょっとした思い付きで、シャーペンの先にタミヤのX-1ホワイトを塗って書くという手法を取ってみました。
キットにはない三式爆雷投射機と爆雷棚をピットロードの物から流用しました。
艦尾旗竿がなかったので自作しています。
艦載機は本当は川内専用の九八式夜偵を乗せたかったのですが、都合により九五式水偵にしています。

右舷正横から

パッと見で川内型軽巡洋艦とわかる艦影ですね。
艦載艇のうち、内火ランチはより精巧なフジミの特シリーズのものを流用しました。2基の25mm連装機銃は以前制作した戦艦武蔵の余りから。
あとは空中線を張ればばっちりってところではないでしょうか。

三姉妹を並べてみました

手前から、川内(最終)、神通(第1次改装後)、那珂(最終)。
同型艦なのに似て非なる三姉妹です。
まず艦首。川内と神通はスプーンバウですが、那珂はダブルカーブドバウです。
前述の艦橋の形状どころかよく見ると姉妹艦と思えない位船上構造物のいたる部分がそれぞれ異なるのと、川内だけカタパルトと水上機が後ろ向きになっています。そして川内だけ対空強化が行われず魚雷も4連装化されていません(注:この神通は第1次改装時であるため連装だが、第2次改装で4連装化)。川内が不遇過ぎでホントかなぁっていうのが本音です。先に戦没している神通ですら対空強化されているから矛盾を感じる訳です。

艦首側から

左から、川内、神通、那珂。
こうして並べるとつい聴きたくなりますね、これを。

艦これのボス戦でイントロ版のこれがかかると負けない気がします。
WorldofWarshipsで軽巡を使ってこの曲をかけると、勝てる自信しかありません。来る敵艦片っ端から沈めてやるわ、死にたいなら何隻でもかかってこい!ってなります。
ドライブミュージックにも使えますがスピード注意です。
川内のイメージソング、夜戦スレイヤーがゆくもいいです。

艦が美しいから艦娘も自然と美少女になる、川内型はまさにその典型ですね。
Posted at 2019/11/15 23:57:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 趣味
2019年11月12日 イイね!

愛と哀しみの我が世 皇冠理利愛、散華す

今日は仕事を休みました。まったくやる気が出ないので仮病を使いました。
その理由が、
8年ずっと一緒だった愛車、理利愛が遂に息絶え、解体されることになりました。

一番落ち込んでた時に出会い、なけなしのお金をはたいてやっとお迎えし、8年間苦楽を共にしました。
総走行距離277000km。
この世は諸行無常、色即是空。この言葉を思い知らされました。
この8年間、

富めるときも貧しい時も
健やかなる時も、病める時も
死が二人を分かつまで

共にありました。その死は、理利愛が先になったのです。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず


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形見として、ラジエターグリルから外しました。体は滅んでも魂は永久に共にある、とね。そして、思い出もまた、我が記憶の中に永久にあります。

天は私に語り掛けます。次に出会う子を、理利愛の分も可愛がってやれって。
玲奈をお迎えする前に運命は決まっていたのです。
理莉愛の魂は、隣にいる玲奈にきっと笑顔でお別れを伝えたと思います。
私は哀しみで流す涙などとうに枯れはて、哀しい顔することも忘れました。
愛あるところに哀ありなのです。

愛ゆえに、
哀しみは、未来への約束だから


我がかけがえのない愛車よ、家族よ、8年間ありがとう。そして永遠に。
Posted at 2019/11/12 12:41:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ

プロフィール

「制作中のワンビア、車体色塗装完了です。リトラクタブルヘッドライトも切断加工したので再現予定です。」
何シテル?   08/02 16:36
生粋のエンスージアストにして普通自動車第二種免許保有の正真正銘プロの運び屋です。 普通免許取得時の私のあだ名は「奇跡のドライバー」。運転センスゼロで、自動車学...
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