制作中の艦船模型を急遽棚上げしてまで着手し、本日完成させました。
昨年最後に購入した艦船模型です。
これでようやく第六戦隊即ち三河艦隊の重巡が揃いました。
重巡洋艦 青葉


(戦艦少女Rより。艦これよりこっちが好み)
です。
戦艦少女Rではプレイ1日目から2隻目の戦艦をお迎えするまでずっと主力として活躍してくれました。1隻目の戦艦をお迎えするまではずっとMVPを取ってきたので、非常に思い入れがありますが、クインシーマジコロスマンです。
青葉ほどやらかした重巡はいないでしょう。
青葉ほど何度大破しても生き延びた重巡はいないでしょう。不死鳥と言うあだ名は
駆逐艦 響が有名ですが、青葉もそう呼ばれました。更には、「ソロモンの狼」というあだ名も付けられています。
準姉妹艦の
古鷹、
加古、そして姉妹艦の
衣笠とはよく共に行動し、苦楽を共にした戦友でもあります。
1936年10月、衣笠が青葉の信号を見落として追突事故を起こします。加減なしに衝突したどっかの重巡姉妹と違い、両者とも軽い損傷で済みました。
その後は日中戦争に参加。その間に改修がなされます。古鷹や加古と違い、主砲は建造時より20.3㎝連装砲3基6門なので、据え置かれました。
日米開戦後はグアム島攻略作戦を経て、珊瑚海海戦に参加。
1942年8月8日の第一次ソロモン海戦では、
重巡洋艦クインシーを袋叩きにし、雷撃でとどめを刺しました(アオバワレェ)。しかしその帰りの9日に準姉妹艦の加古が撃沈されます。
その後、ヘンダーソン飛行場攻撃のため古鷹、衣笠らとともに出撃。途中
水上機母艦日進と合流する手はずでした。10月11日夜、敵艦隊はいないだろうという情報で索敵もせず、暗闇の中で艦隊を発見します。「日進かな?」と思った青葉は、「ワレアオバ」の信号を送ったところ、いきなり砲撃の雨が降り注ぎました。実はその艦隊は日進などではなく、待ち伏せていた米艦隊でした。重巡3駆逐艦3に対し、米艦隊は重巡2、軽巡2、駆逐艦5と数的に圧倒的不利しかも丁字不利状態で、青葉はあっという間に集中砲火で大破します。しかし味方だと信じて疑わず「ワレアオバ」とずっと送り続け、司令官の五藤存知は味方に誤射されたと思いながら「バカ共が」と言い残し戦死。
混乱の中で炎上する青葉を庇うため、古鷹が吶喊して攻撃の的になったために古鷹も瀕死になり、
吹雪が撃沈されます。
「お姉ちゃんはね、妹を先に逝かせてはいけないのです」
初雪と衣笠が必死の抵抗で何とか米艦隊を撃退しますが、海戦が終わったころには古鷹は90発以上も被弾したためにすでに虫の息であり、翌0時28分、ついに沈没しました。
青葉も相当数の被弾がありながらもその大半が不発弾だったために何とか生き延びました。のちに連合艦隊参謀長
宇垣纏は、この海戦について
「聞いた限りだと、不用心にも程がある。夜においては人を見たら泥棒と思えという考えもなく何たるザマだ。まともに戦ったのは殆ど衣笠だけじゃないか!」(意訳)
と書き記してます。
その後、青葉は呉に帰投して修理、衣笠は11月14日、第三次ソロモン海戦に参加し果敢に戦うも、空母
エンタープライズ艦載機の空襲により戦没。
青葉はたった3カ月のうちに姉妹艦、準姉妹艦3隻とも一気に失いました。
ようやく修理が完了した1943年、呉を出港して「い号作戦」の準備のためニューアイルランド島カビエンにいた所をB-17による空襲を受けてまたもや大破します。
そして、宇垣氏またもや小言
「折角修理してきたのに何もせずにまた大破しおって。昨日敵の偵察があったから嫌な予感がしてたけど、あのバカ何しに来たんだよ!」(意訳)
あのバカじゃなくて青葉です(キリッ
そして再び修理のために呉へ。この時の修理で対空機銃を大幅増備、21号電探及び22号電探2基を形状変更した前部マストに装備し、最終仕様となります(模型はこの仕様)。再度の出撃はマニラを経てシンガポールへ。1944年6月に「渾作戦」、10月中旬以降には「捷号作戦」に参加。当初は第一遊撃部隊、所謂栗田艦隊に所属していましたが、第二遊撃部隊に配置替えとなって後方での兵員輸送を命じられます。10月23日、潜水艦ブリームの雷撃により大破し、軽巡鬼怒に曳航されてマニラに入港。応急修理の後にかろうじて動けるようになり、呉への帰投を命じられます。
途中
重巡熊野と合流する手はずでしたが、レイテ沖海戦から米機動部隊からのしつこい空襲で大破し満身創痍となっていた熊野は、「青葉さん、呉まで引っ張って行ってくれないかしら?」と懇願されるも、「ごめん、もう引っ張る力ないよ」と断り、事実上熊野を見捨てます。自分だけでも5ノットしか出せない状態だったから仕方がなかったのですが、取り残された熊野はその後空襲により撃沈されてしまいました。
ようやく命からがら呉に戻りましたが、以降青葉は二度と出撃することはありませんでした。動かす燃料もなく、ただ来襲する米爆撃機から呉の港を護る為に浮き砲台となって懸命の対空戦闘の日々が続き、1945年7月28日、2度目の呉軍港空襲で直撃弾4発を受けてついに大破着底しました。
そして8月15日、着底したまま終戦を迎えたのです。
どんなに傷つき、失敗し、辱めを受けようとも諦めず最後まで戦った不屈の重巡洋艦、それが青葉です。武勲艦ではないけど、立派に名艦でしょう。
今回は4日に分けて、途中他のことをしたりとかもあって正確な時間は計ってませんが、概ね18時間ほどで暫定完成と相成りました。この間に、妹艦の衣笠にも手を加えてます。
艦首側から

三菱長崎造船所生まれですが、呉で修理と改修を受けた最終時なので、資料に基づいて呉海軍工廠グレイとしました。
威風堂々とした、かっこいい艦ですね。
艦尾側から

艦尾周りは衣笠と大差ありません。
右舷正横から

対空兵装がぎっしりと積まれ、まるでハリネズミです。
重巡摩耶が防空巡洋艦と言われてますが、青葉も十分防空巡洋艦と言えるでしょう。
初期船体では衣笠と殆ど同じでしたが、資料を調べたところ、2番煙突に1本のストライプで識別していたことがわかりました。
後部マストの13号電探は記録にはありませんが、これほどの対空強化されていたなら装備されていたであろうというifアレンジです。
青葉・衣笠追衝事故の再現。

衣笠は、無塗装だったエッチングパーツを艦体同色にし、資料を調べたところ、衣笠は2番煙突に2本のストライプで識別していたことが分かったので、追加しました。古鷹と加古がそれぞれ1番煙突にストライプだったので、似ている4隻はこれで判断が付くってことですね。
青葉「いった~い!ちょ、ガサ!何ぶつかってきてんのよ!」
衣笠「青葉が急に減速するからじゃん!!」
青葉「何言ってるの!信号出したよ!」
衣笠「え、見てなかったよ。」
青葉「何だって~!!」(激おこ)

古鷹「青葉も衣笠もいい加減にしなさい!加古からも何か言ってよ!」
加古「もうそろそろ二人とも仲直りしたら?戦争は始まってるんだし、仲間割れしてる場合じゃないよ。ほら、指切りげんまん!」
青葉&衣笠「しょうがないなぁ・・・」
そして4隻の絆はより一層強くなったのでした。
第六戦隊 通称三川艦隊の重巡4隻、揃いました。これで永久に青葉が一人ぼっちになることはないでしょう。4隻はゆすちー鎮守府の中で永久に一緒です。
しかし、個人的には青葉が許せません。
何故なら、第一次ソロモン海戦で、好きな重巡のクインシーをいじめて沈めた犯人だからです。断固許すまじアオバワレェ!!
よって青葉は軍法会議にかけます。
罰として、我が鎮守府ではクインシーと永久に親友として仲良くなさい!

もう昨日の友を傷つける戦争をしなくていいんです。してはいけないのです。
願わくば、永久の日米友好を!