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埴方ひかりのブログ一覧

2020年07月12日 イイね!

1990年代のトヨタを代表するマルチプレイヤー JZX100型チェイサー

夏ですね。二十四節気の小暑も過ぎて、本格的に暑くなってきました。
こういう時は、海岸線を潮風を浴びながらドライブしたいものです。
これが実に気持ちいいのです。ん~、海の日あたりに。
夏と言えばドライブ。ドライブと言えばドライブミュージック。
と言うと、オッサンおばさん連中に聞けば、大体サザンオールスターズ、私世代だとTUBE辺りを言うんでしょうけど、まぁ確かにこれは好きですね。

カローラセレスといえば魔法騎士レイアースのロボットの名前の由来、セレスとはローマ神話に登場する豊穣の女神であり、現代の栄養価の高い朝食であるシリアルの語源です。どっちかっていうと秋?まぁ細かいことは良いとして、私個人的に夏と言えば、大黒摩季を推したいところですが、ZARDです。


となると、さわやかに巡航できるクルマとなればやっぱりスペシャリティカー、セダンです。スポーツカーとかだと乗り心地が固いから酔っちゃうかな、私はアリですけど。やっぱりこういうのってロマンチックが大事なんですよ。

ぬるいコーラしかなくても、夢を語るだけで楽しい時間を過ごせるってことが。

勿論、そういう役を買って出られるのはうちの玲奈たんをはじめとするクラウンが適任ですが、ちょっと落ち着き過ぎというか、もう少し若々しさが欲しいというか、っていうのがあると思います。特に免許取りたての20歳前後だとね。私も当時はプリメーラでしたし、まぁでもプリメーラでもドライブデートに誘った女の子みんなに喜んでもらえましたけどね(だから女たらし、スケコマシと言われるんだろうが 爆)
若いころだと兎に角金もなければ人生経験も少ないくせに一丁前にぜいたくで、あれもこれもしたいと貪欲なのですね。そんな若さに対応できるのは色んな事をこなせるマルチプレイヤー、
それは、

チェイサー

(戦艦少女Rより 護衛空母HMSチェイサー)
が適任です。元々アメリカ生まれのボーグ級護衛空母USS-ブレトンであり、第二次世界大戦中のレンドリース法によって大英帝国に貸与され、アタッカー級護衛空母チェイサーとして就役。航空機に物資輸送のみならず、対空、対艦戦闘はもちろん、対潜攻撃も可能なマルチプレイヤーとして、敵潜水艦3隻撃沈の戦果を挙げました。


って、そっちじゃないわ!


チェイサー違いでした。これは大変失礼いたしました。

トヨタを代表するアッパーミドルセダンであるマークⅡ三姉妹の次女であるチェイサー、その最終型であるX100系が今回制作したものになります。
概ねのクルマ好き気取りは、まずドリフト仕様車の印象を持ちだしてくるでしょう。
ところが、本来そう言う使い方でもなければ、モータースポーツでの主な活躍は全日本ツーリングカー選手権です。

1996年9月市販開始。
正直、クルマとしてのなりはクラウンと大差ありません。
高性能グレードである、トゥアラーV(tourerの日本語表記はツアラーだが、日本人以外の人にはトゥアラーと発音しないと通じないので英語基準の表記とします。)はJZS171クラウン アスリートVなどと同じく2.5L直列6気筒ツインカムターボ、1JZ-GTEを搭載し、最高出力280ps、最大トルク38.5kg-mで1500kgに満たない比較的軽量な車重を引っ張り、当時の世界的に見てもクラス最強のスペックを誇りました。
マークⅡ三姉妹に対抗できる2.5Lアッパーミドルセダンクラスは、1998年6月の日産ER34型スカイライン25GTターボの登場まで待たねばなりませんでした。
ゴルフバッグ4つ積むのなんて余裕、高速巡航に最も適した車種として足回りや車体もそれっぽいもので、見切りと取り回しがよくちょっとした買い物にも、長距離移動も、小旅行も難なくこなせるマルチプレイヤーです。
そして車体デザインはより若々しいものとなりました。
元々トヨタ自身、いつまでも夢を追い続けてほしいといったような思いを込めての命名だったと記憶しています。
ま、私に言わせれば、いくら歳を重ねても、自分がそれを曲げない限り、

心にしわはできない

のです。そして夢は叶えるためにあり、追い続けるためにあるのです。
「いつかはクラウン」の夢が叶った私ですが、今は遥かに大きな夢を追っているのです。


さて、今回は先月発売された青島文化教材社製のベルテックスエアロを纏った仕様を選択しました。造形色が黒だったので塗装が大変でしたが、1週間に分けて約16時間で仕上げたと思います。

前側から

車体色は白を選択。
艦娘のHMSチェイサーのぱんつの色に合わせました(嘘)あ、伏線・・・・・・。
方向指示器を透明化し、ラジエターグリルは純正のままに、ベルテックスのフロントバンパースポイラーの開口部をブラックアウト処理して純正っぽくしてみました。

やはり反射するものがないと、折角のツヤツヤがうまく写らない。

正面から

なるべく純正ルックを崩したくなかったのはこの顔にしたかったから。
守りたい、この笑顔
なんてね。結構ハンサムですよね。

後ろ側から

こちらも方向指示器レンズを透明化処理しています。

右正横から

シャコタンは控えめに調整。実車だとフェンダーとタイヤの間に指2本入るくらいまでが適正なのでそれに準じて調整しました。それより高いのは良いけど低くしてる人はそのまま知能の低さに比例します。

この型を作ったのは大学時代以来、実に20年ぶりです。
当時はTRDエアロを纏った、やはり白のチェイサーでした。
今でも付き合いのある幼馴染も深緑色でベルテックスエアロのツアラーVに乗っていたので、懐かしいと思いながら楽しんで制作できました。
あとはマークⅡを作れば代違い(JZX90型クレスタを制作済み)の3姉妹がそろいますが、別仕様を作ってもいいかななんて考えてます。
なんたって好きなクルマベスト10に入りますからね。

なので、
マークⅡ、クレスタ、チェイサーを所有されている方との交流、大歓迎です。
勿論、ヴェロッサ、マークXも可です。同じエンジンを積んでいたソアラでもOK。
トヨタ繋がり、セダン繋がり、はたまたJZ系エンジンつながりでも良いです。
Posted at 2020/07/12 19:46:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | クルマ
2020年07月11日 イイね!

海の運び屋② 戦車輸送はお任せ SB艇 第百一号型輸送艦

海の運び屋シリーズ第2弾です。
前回の第1弾は、第一号型輸送艦 通称一等輸送艦を制作しましたが、こちらは上陸用舟艇や特殊潜航艇輸送が主任務でした。
今回は、予告通りタミヤの同キットの片割れである

第百一号型輸送艦

通称二等輸送艦を制作しました。
第一号型輸送艦が上陸予定地の沖から上陸用舟艇を降ろすのに対し、こちらは戦車輸送が主任務で、直接接岸して降ろす現代で言うところのLST(Landing Ship Tank=戦車揚陸艦)に相当するものです。当時はSB艇と呼んでいました。
もっとわかりやすく言ってみればカーフェリーですね。
この船の登場までの戦車揚陸はというと、陸軍特殊船であるあきつ丸やいわゆる神國聖君、大発動艇搭載改修を施された朝潮型駆逐艦に見られるように、大発動艇に戦車を載せて揚陸するという手段でした。
大日本帝国が比較的小型の戦車しか作れなかった理由として、当時使用していたクレーンの揚貨能力は最大で20tほどであり、第一号型輸送艦のデリックの揚貨能力も5t×2=10tないし13tまででした。つまり、チハたん(=九七式中戦車 全備重量15t)を持ちあげるのもしんどいのです。
更に言えば戦車を運ぶための大発動艇の最大積載量も11tまでで、八九式中戦車ですら過積載だったのです。
そりゃ主力が軽い(7.4t)九五式軽戦車にならざるを得なかったわけです。
イメージとしてはこんな感じです。
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(艦隊これくしょんより 大発動艇 八九式中戦車+海軍陸戦隊)
ここでも兵站軽視が露呈してるわけです。大発動艇のさらに大きな上陸用舟艇とさらに重量揚貨能力を備えたクレーンを開発すれば、もっと強い戦車が作れたはずなのです。
当然、第百一号輸送艦もチハたんまでの戦車を運ぶのに適した設計となりました。
まぁ全部悪いのは現代に通じるバカな国のトップですから、反日思想や欧米市場主義に走る日本国民が現代日本国民の過半数を占めるとはいえ、チハたん達を悪く言うのは、「俺(私)は無教養で頭が悪いにわか日本人です」と言ってるだけなのでやめるべきです。生まれてきた用途(ティーガーやシャーマンなどは対戦車戦向け、日本の戦車は歩兵支援&要塞制圧向け。逆に20mm砲持ちのⅡ号戦車は高い装甲貫徹力でチハたんより対戦車戦闘力に優れるが加害半径が小さく要塞制圧に向かない)も違うし、欧米よりはるかに大きな障害と制約があってやっとこのレベルだったのですから。

その積載能力はというと、駆逐艦より小さい船体とは言え、満載排水量980tに対してブガッティ・シロンより非力な1200馬力ディーゼルエンジンであるため、チハたんで9輌、九五式軽戦車で14輌がやっとで、その船形故の凌波性の悪さも手伝って当然速力も出るわけがなく、13.4knotと、その辺の貨物船の方が早いほどでした。

しかし、その設計思想は今日の造船にも通じるもので、当時浸透しつつあったブロック工法が導入され、なるべく作りを単純化、簡略化したことにより工程も少なくなることで従来より大幅に短い工期で建造が出来たのです。徹底的な簡略化のために兵装も最低限以下で、主砲が8糎高角砲1門のみ、対空兵装も当初25粍単装機銃2挺、同3連装2基、単装機銃と電探は順次増備されました。何事も創意工夫が大事ですね。不可能なら不可能なりに、出来ることを突き詰めて可能につなげるという考え方ができる人って現代こそ少数派ですね。

今回は搭載戦車の制作があったのでその分時間がかかり、合計5時間ほどだったかと。

艦首側から
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(写真中央の艦首から戦車が降りている艦)
今回は上陸作戦中のディオラマっぽくしてみました。
本当は砂と海面シートを用意できればよかったんですが。
船体色は主に大阪で建造されたため、舞鶴海軍工廠グレイです。

艦尾側から
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空中線は張れるだけ張りました。見た目はただの貨物船ですね。

右舷側から
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拡大
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付属の1/700チハたんと、水陸両用戦車である特二式内火艇。
チハたんは迷彩を施しましたが、小さくなったことで可愛さアップ。
勿論参考にしたのはこちら。
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第一号型輸送艦と合わせて、上陸作戦行動を再現してみました。
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駆逐艦敷波と初春に護衛されています。
接岸して物資を陸揚げしているのは大発動艇、擱座している黒いのは特殊潜航艇 海龍、内火ランチに特務艇、中発動艇、大発動艇が続々とやってきて、更には水上機の九五式水上偵察機も着水しています。
第一号型輸送艦も物資箱をつけて、搭載艇に物資を積み込んでいるって状況です。

ふと思いましたが、特二式内火艇は水上航行が出来るので直接揚陸させずとも自力で上陸できるのでは。なら第百一号輸送艦には九五式軽戦車か八九式中戦車をつけてほしかったですね。

ともかく、雰囲気は出たかと。一応戦争では脇役ですが、彼女たちなりの戦場はあったのです。そして第百一号輸送艦もその多くが戦没しました。


折角艦これネタを出したのでついでに、

現在イベントが開放されてますが、E2で止めました。
理由は、E3以降クリアする必要がなく、E2に欲しいドロップ艦が集中しているため。
坊ノ岬沖海戦組+1945年4月5日時点での残存組での連合艦隊を組んでます。
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見せ場がなかった遅れすぎた怪物空母天城(左一番下)もし就役がもっと早かったらのifで参戦。
空母隼鷹(左下から3番目)も折角駆逐艦大破と、駆逐艦秋風轟沈と引き換えにようやく帰り着いたんだから航空支援をよろしくってことで。
空母龍鳳(左下から2番目)も生き残り艦ですが、やはり史実では戦闘艦としての見せ場はそんなになく。
軽巡北上(右下から3番目)は、この時点では重雷装巡洋艦ではなく回天搭載艦。爆撃一発食らったら爆沈不可避なのに何考えてんだか、だけど一応重雷装時代の見せ場を。重巡青葉(右上から3番目の淫ピ 爆)もやらかしたんだからやはり見せ場を。
戦艦榛名(右一番上)も、事情許さばとif参戦。
結局戦争を生き延びたのはこの中では大破着底状態でも修理すれば復活できたはずの艦を含めて6隻でした。
駆逐艦朝霜もいるんですが、あまりにも未熟すぎるために今回不参加。

現時点の収穫は、
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吹雪型駆逐艦 薄雲


そして、やっとお迎えできました。
負けじ魂の駆逐艦
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秋月型駆逐艦3番艦 涼月
お迎え後は未熟でもE2周回での対空迎撃要員として活躍してます。
あれ、朝霜は?(ゆすちー提督「知らない子ですね」)

涼月(CV.藤田 咲)が歌っているBGMの月夜見はいい歌ですよ。

母港BGMにしてます。さり気なく秋月型姉妹全艦の名前が歌詞に入ってます。

それでは、次回はクルマ模型になると思います。
Posted at 2020/07/11 15:31:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2020年07月08日 イイね!

海の運び屋① 遅れすぎた兵站確保 第一号型輸送艦

腹が減っては戦が出来ぬ。

よく使われる言葉の一つですね。
一騎当千の猛者でも、お腹が空いたり疲れたり病気になれば実力を発揮できないばかりか戦死にも繋がります。
どんなに優れた銃や砲も、弾薬がなければただのガラクタです。
どんなに優れたクルマもフネも、燃料がなければただの鉄屑です。
どんなにいいモノを作ろうとしても、材料がなければ作れません。

確かに私の家系では、

武士は食わねど高楊枝

っていう精神論はあります。類義語としては男はやせ我慢

しかし精神論で戦争はできません。もっと言うなら、精神論で仕事はできません。
精神論はあくまで士気を高める、士気を維持するためのものです。物事を継続するためには、補給がしっかりできることが前提になります。

今回制作したのは、これまでの戦闘艦ではなく、戦争を陰から支えた縁の下の力持ちたち、新しく展開する「海の運び屋」第1弾となります。一応、海の運び屋シリーズは第4弾まで予定しています。

大日本帝国が大東亜戦争で負けた大きな原因のひとつに、「兵站の軽視」があります。
素人は戦略を語り、プロは兵站を語るとはよく言ったものです。
真珠湾攻撃の時からそれは顕著でした。
まず、オアフ島を攻撃しただけではアメリカを怒らせて反撃に遭うのは目に見えたことだったはずです。さらにはオアフ島には大規模な石油基地があり、占領してしまえば燃料不足に困ることもなければ、アメリカにとっては大きな痛手になったはずです。
そして、海戦はあくまで前座でしかなく、戦争の締めはいつも陸戦です。つまり、海軍がいくら強くても戦争を終わらせることはできないのです。海上または海に近いところ(海上からの攻撃が届く距離)に本拠地を置いている国がどこにありますかって話です。

大日本帝国では、海軍と陸軍の不和がいつも大きな問題を出していました。いくら陸軍が強くても、日本は島国であり、外国に乗り込むなら海上輸送が不可欠であり、現代においてはいくら航空機が発達したと言っても一度に大量の物資を運べる船舶輸送が主力です。

開戦当初は怒涛の進撃で一応の戦術上の強さを見せつけましたが、終わってみれば戦死者の多くの死因が餓死と病死だったのです。兵の個々の強さで言えば特に帝国陸軍はアメリカ陸軍を大きく凌いでました。硫黄島上陸作戦の初動でいきなりアメリカ側戦死者2000人以上を出したのがその証拠の一つです。
アメリカ軍は単に物量で圧倒していたのではなく、作戦行動において往復で余りあるほどの物資を持ち込み、更に定期的に補給が見込めるように兵站ラインをしっかりつないでいるのが大きな強みです。

そして、ミッドウェー海戦で大惨敗し、占領した各地で撤退作戦が実施されるようになると、旗色がだいぶ悪くなった1943年にようやく兵站の脆弱性に気づいて高速大量輸送ができる輸送艦の開発と配備に乗り出したのです。

はっきり言って、時すでに遅し。そんなの開戦前から準備すべきことでした。
何より、日清戦争でも日露戦争でも兵站の脆弱性は問題になっていたことで、何故学ばなかったのかと言う話です。本土から離れれば離れるほど速度も物量も求められるのは当然のことですし、考えなしに前線を広げ過ぎた大きなツケが回ってきたのです。

もっと早く登場していれば・・・、というのは何も零戦の後継機やチハたんの後継車に限った事ではなく、彼女らの登場にこそありました。
タミヤから2隻1組で販売されているうちの1隻

第一号型輸送艦

通称一等輸送艦です。主に、艦隊これくしょんでお馴染み、上陸用舟艇である大発動艇に特殊潜航艇 甲標的、中発動艇、6mカッターボートを搭載し、上陸支援を担いました。
姉妹艦の第9号輸送艦はさらに特殊潜航艇 海龍、第18号輸送艦は人間魚雷 回天の輸送もしたそうです。
また、最低限の兵装に加え、対潜装備も備えています。
積載能力は310tと、1隻では十分な量とはとても言えませんが、駆逐艦に物資を詰め込んだドラム缶を載せた鼠輸送よりは全然効率的ですし、鼠輸送するくらいだったら新型輸送艦数隻を各作戦行動に随伴させ、補給の際には1隊に護衛させればよかったんです。速力も22knotと輸送艦にしては高速でした。普通大体15knot前後ですからね。
そして、やっぱり大本営はお勉強が出来るだけが能の与太郎の集まりでした。その子孫が今のセイ、カン、ギョウの重鎮たちですわ。最後の最後まで兵站軽視だったのです。可哀想に本級の多くが戦没しました。
ある乗組員が、ジャイロコンパスの故障で修理を依頼すると、「どうせすぐ沈むから修理の必要なし」とあしらわれて騒動になったそうな。そりゃ怒るわ!そんな考えだから戦争に負けるんだよ!

因みにこの第一号型輸送艦、捕鯨船としても使われました。

1000円でお釣りが来て2度おいしいキットなので、難易度はお察しです。
艦船模型初心者にもおススメできます。特にこれから駆逐艦や巡洋艦から始めたいって人にはその前座の役目を果たしてくれるでしょう。
3時間ほどで完成しました。一応生き残り幸運の武勲艦の1隻に数えられる第9号をイメージして制作しています。

艦首側から

前からだと軽巡か駆逐艦にも見えます。戦艦の副砲や軽巡五十鈴、砲艦の主砲にも使われた四十口径八九式十二糎七連装高角砲を1基装備。
兵装はすべてピットロード製から流用。第一号を参考にキットには再現されていない二十五粍機銃4挺を艦橋に装備。空中線は簡易的に張っています。

艦尾側から

艦尾は軽巡阿武隈のようにスロープになっています。左舷側に大発2艘と中発1艘、右舷側に甲標的を載せています。駆逐艦 神風のキットに付属していた海龍も載せていたかもしれないと思って調べたら、前述の通り第9号ちゃんが載せていたそうですが、甲標的が自立できないので搭載を見送りました。

右舷正横から

艦影は巨大なデリックがなければ軽巡っぽいですね。一丁前に誘導煙突です。
後部の13tデリックポスト上に13号電探、軍艦旗も設置。
ちょっと遊び心で、右舷側に爆雷棚とk型爆雷投射機を2基設置してみました。史実にはありませんが、対潜攻撃するなら舷側しかないんじゃないかという考察からです。実艦には一応爆雷投下軌条と手動投射台はあったそうですがキットには再現されていません。

ぶっちゃけ、普通にかっこいい船だと思います。

追々戦艦大和に付属していた物資箱を随所に置くとしましょうかね。

次回は、もう片割れの第百一号輸送艦を制作します。
乞うご期待。
Posted at 2020/07/08 23:01:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2020年07月05日 イイね!

ソロモンに散った戦神 USSラフィー

昨日7月4日はアメリカ合衆国独立記念日です。
コロナ禍のせいでかなりしめやかな記念日になったようです。
アプリゲームである、アズールレーンを始めると、初めに3隻のうちから好みの艦を選ぶことが出来ます。
そのうち、私はソロモンの鬼神の渾名を持つ綾波を選択しましたが、アメリカにもソロモンの戦神と呼ばれる艦がいるのです。それも3隻のうちの1隻ですが、今回制作した、ベンソン級駆逐艦7番艦

DD-459 USSラフィー
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(アズールレーンより ラフィー)
です。綴りはLaffeyなので、ラフェイ、ラッフェイとも。
アズールレーンでは一度アカウントを紛失して新しくやり直したのですが、綾波を選んで少し遊んでいたらラフィーはすぐ来ました。
1941年10月30日進水、サンフランシスコ生まれのさそり座。
就役は日米開戦から少し経った1942年3月31日。第18任務部隊に配属されます。
9月の第二次ソロモン海戦でラフィーは参戦はしなかったものの伊19に撃沈された空母ワスプの生存者を救出。
ラフィーの初陣は10月11日まで待つことになります。
それは、重巡古鷹駆逐艦吹雪が戦没した、サボ島沖海戦です。結果的にはアメリカ側が勝利したものの、ラフィーと共にワスプ生存者の救助をした駆逐艦ダンカンが味方の誤射で戦没、同じく味方の誤射で駆逐艦ファーレンホルトが大破、重巡衣笠の反撃で軽巡ボイシが大破、重巡ソルトレイクシティが小破と手痛い損害を受けています。

よくもダンカンを!

いや、やったの帝国海軍じゃない。
猛り狂って、古鷹と吹雪を轟沈に追いやったのは良いが、アメリカ側の損害の半分は自分たちの誤射によるものという何とも痛い勝利でした。この戦闘で健在だった軽巡ヘレナとラフィーは、その後重巡サンフランシスコを旗艦とする部隊と合流し、1か月後の第三次ソロモン海戦に駆り出されることになります。

ラフィーの最期
11月11日の深夜、ヘレナがSGレーダーで接近する帝国海軍の艦隊を捕捉。
しかし、部隊にはなぜか連絡がうまく伝わらず、みすみす帝国海軍の接近を許すどころか、アメリカ艦隊に気づいたソロモンの狂犬駆逐艦夕立春雨が突撃してきたことで、何が何やらのアメリカ艦隊は大混乱。
「素敵なパーティー」の幕開けとなりました。
その時、ラフィーは先頭を航走するマハン級駆逐艦カッシング(Cussing カッシンと表されることがあるが、姉妹艦にもカッシン(cassin)がいるのでカッシングまたはクッシングと表する方が間違いがない)
alt
(DD-376 USSカッシング。ウィキペディアよりパブリックドメイン。ラフィーと艦影がよく似ているが艦橋前部が大きく張り出していることと、後部マストの形と位置が大きく異なる)
と共に先鋒を務めます。
駆逐艦暁が探照灯で軽巡アトランタを照射したことで本格的な戦闘が始まりましたが、旗艦重巡サンフランシスコは、まさに惨腐乱死す虎(まぁ嫌いな重巡なので)でした。敵艦と誤認したのか、率先してアトランタを滅多打ちにします。その十数発。そして満身創痍となったアトランタは夕立の雷撃でとどめを刺されました。

よくもアトランタを!!

いやいや、やったのほとんどサンフランシスコだよ!!
アトランタに恨みでもあるのか!?
そのことについて、アトランタさんから一言(ぱんつ注意)

(アズールレーンより 軽巡アトランタ)

「馬鹿な大将敵より怖い」。むしろ「敵は本能寺にあり」、ですね。

それどころか、敵味方構わず近くにいる艦を攻撃するというまさに大惨事ソロモン海戦となりました。
司令官のキャラハンはようやく同士討ちに気づき
「味方を撃つのを辞めろ!!」
と命令し、一時アメリカ側の攻撃が止むが、日本側が辞めてくれるはずもなく、誰が聞くか状態に。っていうか、

お前が辞めろ!!(色んな事を)

日本側も日本側で、駆逐艦五月雨が比叡を敵と間違えて機銃掃射、比叡も当然それに副砲で応戦するも、味方だと気づいて五月雨に攻撃を辞めろと信号を送る事態に。

その間に探照灯を照射した暁も位置バレで集中攻撃を浴びて撃沈され、夕立も被弾して航行不能、翌日に放棄されて撃沈されます。アメリカ側も先頭で突撃したカッシングが撃沈され、ラフィーも気づけば敵艦隊の中に孤立している状態でした。比叡に肉薄し、激しい撃ち合いになります。その距離10mにも満たないほどで、ラフィーは魚雷が撃てず、比叡も主砲が撃てずながら、何とか比叡の艦橋付近を損傷させ、比叡は他の敵艦からもボコボコ撃たれてまさに「ひえ~」状態になりましたが、ラフィーは主砲1基を破壊され、比叡を通り過ぎた後はその後ろに控えている戦艦霧島目がけるも、すでに駆逐艦朝雲軽巡長良などが囲んできていましたが、ラフィーは一歩も退かず一矢報いるべく果敢に砲雷撃戦を繰り広げました。
当然ながら多勢に無勢、ラフィーは滅多打ちにされて恐らく駆逐艦朝雲の雷撃によってついに力尽きました。その辺は朝雲の記事にてご確認を。
たった1年1か月の命でした。
しかし、ラフィーとカッシングがその身を犠牲にして敵艦隊に吶喊して混乱させなければ、恐らく負けていたのはアメリカ側だったかもしれません。
その勇敢さで混乱からの勝利を導いたことからついたあだ名なのでしょう。

ソロモンの戦神


部品紛失が続出したため、結局着手から完成まで1週間くらいかかりました。
制作時間そのものは、ドラゴンからラフィーが販売されているものの入手困難であるために、ピットロードから販売されている姉妹艦で対空強化後のコールドウェルだったことからあちこち改造が必要であり、12時間くらいかかったと思います。艦番号及び旗はフレッチャー級のキットの汎用デカールと重巡アストリアの余りから流用しています。

艦首側から

兵装や塗装はアメリカ海軍公式資料から。折角アメリカ海軍艦標準色の軍艦色(1)を買ったのですが、ラフィーには不要でした。
資料通り、ネイビーブルー一色です。一部デッキブルーである箇所もあるようですが、無視しました。単装砲ってあまり強そうに見えないですね。ただ、連装砲の方が当然重いので旋回が遅く、装填から発射まで時間がかかるので連装砲1基より単装砲2基の方が分間加害力に優れるのです。

艦首側俯瞰視点から

ラフィー可愛いよラフィー。なんか小ぢんまりとして可愛い。

艦尾側から

ロリコン魂をくすぐられる、見事なリアビューです。
艦尾の舷側についている構造物は、資料を参考に自作しました。

右舷正横より

ベンソン級は当初533mm5連装魚雷2基10射線でしたが、ラフィーが建造される頃には1基撤去されてその跡に対空機銃を搭載するようになりました。
例え10発でも、1発当たりの加害力はどうしても九三式酸素魚雷が3倍あるので4発の秋月型にすら負けます。つまりアメリカでは雷撃力より対空戦闘力の方が優先だったのです。
前述のカッシングと似てますね。朝雲が「マハン級1隻撃沈」を報じるのも無理はないかと。

アニメ版アズールレーンでは史実上顔も合わせたことがないのですが、綾波と友達になりたがっていたので、綾波と並べてみました。


いつもなら日本艦の方が暗い色なので、なんか違和感がありますね。
綾波は大正生まれなので、ラフィーにとっては大先輩です。
相変わらず日本艦の方が大きいですね。
片やソロモンの鬼神、片やソロモンの戦神

べったりくっつけてみると

綾波が一回り大きいことがわかります。

日米が戦わなくていい世界線があってもいいじゃないか。
その世界線なら、きっと仲良くやってたはずです。

朝雲と反航で並べてみると、(史実では逆の位置関係)

ああ、ラフィーが負けそう・・・。どう見ても朝雲の方が強そうですね。
しかもこの当時の朝雲はすでに歴戦の猛者です。

いや、どっちが強い弱いじゃなく、戦わせたくない。
アズールレーンのラフィーは平和主義で争いが嫌い。
仲間を傷つける奴がいるから、その時はちょっと本気を出す。
史実の最初の大仕事が、撃沈された味方艦の生存者救助であることがそれを物語ってます。
ただし、サボ島沖海戦で先に手を出したのはアメリカですけどね・・・。
しかも、参加した2戦とも味方の損害の半分は同士討ちって・・・なんともラフィーが不憫です。ラフィーはサンフランシスコを殴っていい。

ラフィー然り、そもそもベンソン級にとって、大正生まれの吹雪型はもちろんですが、朝雲も1938年生まれとかなり先輩であり、アメリカ駆逐艦基準で言うと7世代も型遅れなのです。航空戦が主体になると考えられていたアメリカ海軍では、対艦戦闘より対空戦闘を重視する傾向があり、主に雷撃力とのトレードオフ状態でした。WorldofWarshipsでも砲撃力は一発の火力は日本艦が勝りますが、速射力の高いアメリカ艦のほうが分間加害力が高い反面、雷撃でやり合うと高確率で負けます。


駆逐艦1隻のスペックを比べてみても、日本は決して弱くて負けたんじゃない。
主にルーズベルトとコミンテルンの犬であるハルの策略にまんまとはまってしまったことと、現代に通じる日本の悪しき社会構造、海軍と陸軍との不和が大きな敗因です。本当は日本とアメリカはお互い戦うべき大義名分はなく、日米を争わせたい第三者の手の平で踊らされたというのが私の見解です。その第三者とは、あくまで仮説の域を出ませんが、世界の本当の悪、ソ連です。その状況証拠があり過ぎてここでは書ききれません。
日本だけが悲惨だったのじゃない。アメリカ軍にも多大な犠牲が出ました。
お互いの立場がなければ、誰がラフィーを沈めたいですか?

ラフィーは1943年11月21日、アレン・M・サムナー級駆逐艦(DD-724)として甦り、そちらは記念艦として現存します。
Posted at 2020/07/06 00:43:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味

プロフィール

「今日が本当の終戦記念日です。1945年9月2日、戦艦ミズーリ艦上にて降伏調印式が行われたことで、国際的に終戦と相成りました」
何シテル?   09/02 20:34
生粋のエンスージアストにして普通自動車第二種免許保有の正真正銘プロの運び屋です。 普通免許取得時の私のあだ名は「奇跡のドライバー」。運転センスゼロで、自動車学...
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愛車一覧

トヨタ クラウン 皇冠ハルカ (トヨタ クラウン)
前後シャクヤク横姿はボタン、走る姿はユリの花。大和撫子をクルマにしたような、ザ・日本車で ...
トヨタ クラウンハードトップ 皇冠 百合 (トヨタ クラウンハードトップ)
初めてのクラウン。 現存写真はこの1枚だけ。 父から譲り受けました。 歴代クラウンの中で ...
日産 プリメーラ ディアナ・プリメーラ (日産 プリメーラ)
初めはガンメタのノーマルルックでしたが、プリメーラとしては珍しいエアロを装着していること ...
トヨタ クラウンマジェスタ 皇冠理利愛 (トヨタ クラウンマジェスタ)
平成9年1月10日生まれ。総走行距離27万kmオーバーです。 当時東京都江東区に住んでい ...
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