このコンテンツは、発生した事象をなんの裏付けもないままに、勘と想像を織り交ぜ、自分の経験というフィルターを通して書き連ねたチラシの裏のラクガキと同等、もしくはそれ以下の内容と意味しか持たない、インターネットに星の数程あるまったく有用でないものの一つであることをお断りしておきます。
「もう二度とこんなクルマは生まれない」と形容されることの多い平成ABCトリオ。
その3車種の中でもAZ-1/CARAはさらに輪をかけて生まれない感は強い。
この言葉の背景には何があるのだろうか。
まっさきに思い当たるのは「売れなかった」ことだろう。
もう二度とこんな経験をしたくないだろう自動車会社の気持ちを代弁したものであると思う。
1989年に第28回東京モーターショーが開催され、AZ-1の前身であるAZ550 Type-Aが発表となった。このプロトタイプはAZ-1とはスタイリングは似てはいるものの、その中身はアルミフレームであったりと、まったく別物であるが量産車として世間一般の目に触れた時には、とてもわかりやすいリトラクタブルヘッドランプを廃止したことがとても「残念な感じ」として受け止められている。
このリトラクタブルライトを廃止したのは、AZ-1の開発主査である平井俊彦氏であることは有名な話であるが、一番の理由は販売価格的に制約の多い軽自動車においてのコスト面とクルマのライトが何かに衝突した際にライト後方に空間を確保できない状態では安全面で不安が残ることが理由として挙げられている。
それが大きな理由であるのは間違いない。
なにせこのプロジェクトには二人の主査がいたにも係わらず、デスマーチと化していたところへ、平井主査が投入され一気に話が進んだ背景がある。お金と安全を第一の理由として説明しているが、これは回りを納得させる為の方便であると想像する。企業では、正論にコスト、正論に安全のトッピングを足せば、たちまち誰も反論できない魔法の呪文となる傾向がある。平井主査はオートザム店のフラッグシップとなるクルマをとにかく現実のものとする為に、多くの要件をバサバサと切ったわけだが、本当の狙いはこのクルマが「未体験ハンドリングマシン」であることにあり、ハンドリングマシンとは、「Z軸回りの慣性モーメントが小さい」ことに尽きる。
車体中心からもっとも遠いところにある重量物であるヘッドライトを重くすることは、「Z軸回りの慣性モーメント」にとって不利である。Z軸から2mのところにある2kgのコンポーネントを1kg減らすことは、Z軸から20cmのところにある200kgのものを100kgにするのと同じ効果があるという。だいたい、リトラクタブルヘッドランプだったとしても、なんだかんだと理由を付けては部品を変えたがるオーナーばかりなので、リトラの故障か何かをきっかけに、間違いなく発売されるであろうサードパーティー製の固定式のヘッドライトにさっさと付け変えているだろう。
フロントフード内に搭載したスペアタイヤをドライバーズシートの後ろに置くことを納得させたのも同じ方法であると考える。衝突時にスペアタイヤがハンドルポストを押したことが社内安全基準を満たさなかったわけだが、そこを強化(=コスト増)するのではなく、あっさりと場所を変え、ハンドリングマシンにとって有利となる決断を行った。
(解せないのがバッテリーの搭載位置であるが、手遅れだったのでしょう)
二人の主査がいるにも関わらず、なぜ平井主査がプロジェクトに加えられたのかはわからない。
二人の主査が要件を絞れなかったのか、あまりのプレッシャーに耐えられなかったのか、やんごとなき理由により、仕事より優先しなくはならない事が発生したのか。
それでは平井主査が最初から係わっていれば、さらに上の次元でクルマが生まれたかと言えばそうではないと思われる。平井主査のインタビュー記事を見る限り、量産車にミッドシップはそもそも適していないと見ている節がある。よって、引き受けなかった可能性がとても高い。理想的なクルマとしてロードスターを作ったぐらいだ。
ということは、二人の主査が途中まででも現実のものとすべくその道程を進んだからこそ、このクルマは生まれたと解釈するべきだろう。偶然が偶然を呼んだのだ。
自動車造りは、妥協の集合体ではなく、高次元でバランスを取る最適化技術であると言われる。プロジェクトを推進しつつ、その目的を達成する為の手段が目的をブラさないところに凄さがある。
物作りを生業としているサラリーマンならわかると思うが、ある物が現実の世界に実体として現れるには、トップ、企画、営業、製造、お客様、社内のヤジというそれはそれは高いハードルを超えた先に存在する。
やりたいことは山ほどある。しかしその部品が高いとか安全が確保できないなどが障害になるなら
本当にやりたいことの為にコストと安全を武器することを私は卑怯だとは思わないし、妥協だとも思わない。目指したのはミッドシップでガルウィングドアでリトラクタブルライトの世界最小のスーパーカーではなく、未体験ハンドリングマシンなのだ。
私は幼稚園児の頃に、遊園地で他のアトラクションには目もくれず、ゴーカートばかり乗っていた。父親には「他にもたくさんあるんだから他のにも乗りなさい」と諭され、渋々他のアトラクションに乗るが「やっぱりゴーカートがいい」と父親を呆れさせたことを思い出す。決められたコースだけでなく、柵の外に出られたらどんなに楽しいだろうとゴーカートをドライブしながらそんな妄想に思いを馳せていた。
「もう二度とこんなクルマは生まれない」と人は言うが、このエキサイティングでマイクロなクーペは私たちの目の前に現れた。二度目がないだけで一度目は間違いなくあったのだ。
少なくとも私の夢は叶った。ゴーカートで自分の思い通りの道を走るという夢が。
その現実に「ありがとう」とつぶやいてみるのも、それほどかっこ悪い話ではないだろう。
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私は都合により「AZ-1生誕20周年ミーティング(A20)」には参加できませんが、参加される方々は道中お気を付けて。
Posted at 2012/10/06 19:37:27 |
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