
トヨタがルマン24時間耐久レースに戻って来ます。
←画像はポールリカールで公開された時のもの。
その名は「TS030」。
注目は搭載されるエンジンで、お家芸である
ガソリンエンジン+モーターを組み合わせた
ハイブリットシステムでの挑戦であると言う事。
ディーゼルエンジンが主流の昨今のルマン、
どんな風をもたらすかとても興味深いです。
過去のルマンではあと一歩の所まで上り詰めた経験もあるだけに
今回の新たなチャレンジは非常に楽しみです。
そんなトヨタチームのルマンチャレンジをちょっと振り返りましょう。(例によってミニカーで!)
まず挑戦を始めたのは1985年のこと。
マシンはトムス85C。
今現在もSGTでレクサスSC430をオペレーションしているトムスチーム、
ホンダHSVをオペレーションしているドームチームからのエントリーでした。
トヨタ自動車は当時、プライベートチームにエンジン等の供給をするだけでしたが、
初挑戦にしてトムスが12位と言う結果。
1986年参戦車両のトムス86C。
粗悪ガソリンの影響もあり、結果はエントリーした2台ともリタイアでしたが、
この年のルマンに出場したレイトンハウスカラーの86Cは格好良かったと思います。
1987年、この年からいよいよトヨタ本体が乗り込んで来ました。
エントリー名も「トヨタ・チーム・トムス」となり、エンジンも2T-Gから3S-Gベースに変更。
非力な2リットル4気筒ターボエンジンなので、王者ポルシェにはまだまだ遠く及ばないまでも、
体制面では大きな進歩のあった年でもあります。
結果はエントリーした2台ともリタイア。
続く1988年はジャガーがポルシェを破って初優勝を飾った年でもあります。
88Cはこれまた足元にも及びませんでしたが、↓画像のミノルタ号が12位、タカQ号が24位。
ちょっと番外。
実はこの年7月の富士500マイルレースから
レース専用設計3.2リットルV8ツインターボエンジンを搭載した88C-Vが登場。
このマシン自体は完全な失敗作の感は否がめなかった訳ですが、
いよいよ打倒外国Cカーを本格的に目指し始めた節目の1台と言えるかも知れません。
1989年、前年に登場したV8ツインターボエンジンを搭載した
89C-Vがルマンに挑みましたが、全くいいところなく2台ともリタイア。
最終コーナー付近で、ドライブシャフトの修理をするドライバー、J・ダンフリーズの姿が
長々と国際映像で流れていたのが印象に残ってます。
1990年、この頃になると国内でもようやくまともに勝負出来るマシンに仕上がって来た
トヨタのCカー、エンジンは排気量を3.6リットルまで拡大してトムス2台、サード1台でチャレンジ。
↓画像のミノルタトヨタ90C-Vは初のシングル6位入賞をゲット。
トムスのもう1台のタカQ号はニッサンR90CKの24号車と激突してリタイア、
サードからエントリーのマシンもリタイア。
1991年はCカーとしてはターボからNAエンジンに移行する過渡期、
トヨタは開発の為にこの年は欠場しました。
マツダ787Bが日本車初の総合優勝を果たしたのはこの年。
1992年。
3.5リットル自然吸気V10NAエンジンを引き下げて登場したこの年のルマン、
直前に行われたF3000のレースでエース格の小河等選手を事故で失うと言う悲しい出来事が
ありましたが、その無念を晴らすべく3台エントリーした中で↓画像のカシオトヨタTS010が
初の表彰台となる2位を獲得!
表彰台の上で、小河選手の遺影を掲げていた関谷選手の姿が印象的でした。
機は熟した感のあるトヨタチーム、1993年は打倒プジョーを目指し前年同様に
ワークス車両3台とV8ターボエンジン搭載のサテライトチーム2台がエントリー。
中でもエース車両の36号車には、当時ニスモに在籍していた鈴木利男選手をレンタルする
と言う力の入れよう。
しかし、結果は画像のマシンの4位が最高位。
あろう事かプジョーに表彰台を独占されてしまう結果に。
グループC規格の消滅により本格的Cカーでのルマンはこの年を最後に終了しました。
1994年はGT規格のマシンが主流となった初年度。
トヨタチームはワークス参戦がなかった訳ですが、これまた現在もSGTでレクサスSC430を
オペレーションしているチーム・サードが、前年までのターボCカーを無理やりGT規格に変更し
トヨタ94C-Vとして反則技としか言いようのない姿で登場。
予想通り独走でついにルマン初勝利か!と思われた終盤、シフトリンケージのトラブルで
緊急ピットイン!!もう1台の反則技マシンであったダウアーポルシェに先行を許します。
しかし修理完了後、E・アーバイン駆る94C-Vは怒涛の追い上げを見せ何とか2位でフィニッシュ。
ここから数年はスープラやMR-2ベースのMC8-R(サードオリジナル)での挑戦が続き、
総合優勝を狙える様なマシンは登場しませんでした。
そして1998年。
これが本当にGTカーなの?と言う姿で再びルマンに姿を現したトヨタのマシン。
その名はTS020GT-1。
マシンの制作は日本ではなく、ドイツのTTE(現TMG)で行われ、
ターボCカーで使用した3.6リットルツインターボエンジンをディチューンして搭載。
トヨタの執念を若干感じた1台。
エントリーした3台のうち、画像のマシンがあと1時間ほどと言うところまでトップを快走したが
確か駆動系のトラブルでリタイアし、日本人クルーの駆るマシンが9位完走となった。
ちなみにこの年、ニッサンR390が3位表彰台を獲得。
翌年からF1移行に向けての準備に入る為、最後のルマンチャレンジとなった1999年、
前年同様に3台がエントリー。
予想通り、BMWとの一騎討ちとなった訳であるが、徐々にレースをリードする展開となった。
しかし、この年のルマンの神はやはりトヨタに微笑まず仕舞い。
エースカー1号車のパンク絡みのリタイアに始まり、
その後先頭に立った2号車もアクシデントによりリタイア。
最後に残ったのが保険的扱いの様だった日本人クルーが駆る3号車。
唯一の旧型モノコックを使用していた事から、監督だったA・コルタンツも
あまり期待はしていなかったのかも。
そんな3号車も先頭を行くBMWに追い付きそうな展開となった為、
全開指令が発令され怒涛の追い上げを開始。
しかし急激なペースアップがたたってかまたもパンク!
結局2位に終わった次第。
また2位です・・・。(涙)
このTS020、ルマンチャレンジ富士1000kmで実際のレースシーンを目撃しましたが、
その速さとフレッシュエアーシステムによるアクセルオフ時の爆音が堪りませんでした。
この後、トヨタはF1に進出したので、ワークスエントリーによるルマンは完全に停止していました。
そして冒頭に記した通り、
時代は進化しレース界でもハイブリッドシステムを駆使して戦う時代へ。
そんなルマンへ13年ぶりのチャレンジとなる2012年、
新たなマシンTS030を2台ルマンに投入です。
復活1年目の結果は、2台ともにリタイアと言う苦い結果に。
2013年も勿論継続参戦、この年も2台のTS030を投入。
結果7号車が4位、8号車は「2位」を獲得。
2014年、ハイブリッドシステムがスーパーキャパシタに進化し、
駆動方式も4輪駆動に変更となったTS040で参戦。
耐久の王者ポルシェも復活したこの年、
予選ではポールポジションを獲得し、夜間首位をキープしていた7号車。
残念ながらリタイアしたものの、8号車が3位。
因みにこの年のWECでは、トヨタはシリーズチャンピオンを獲得。
2015年はアウディ、ポルシェに全く歯が立たない展開・・・。
見ていて全く面白くなかったッス。
1号車は8位、2号車が6位と言う散々な結果に。
そして僕の中でのルマン史上最も残酷な結末だった2016年。
アウディ、ポルシェ、トヨタ3メーカーがバトルを繰り広げた最後のルマン。
そんな混戦を制したかに見えたトヨタ5号車だった訳ですが、
残り約7分となった所で衝撃的な無線が国際映像から流れます。
「I have no power! no power!」
そして残り3分となった所でポルシェに首位を明け渡す事態に
映像を見ていた僕も凍り付きました・・・。
失速の原因はインタークーラーのパイプが抜けた事。
あと数分で天国から地獄に叩き落とされたルマンでした。
因みに6号車が2位を獲得・・・また2位です。
以上、超マニアックな話題を最後まで読破して頂いた方、お疲れ様した。
書いてる本人が懐かしくて一番楽しんでしまった感がありありでしたね。(笑)
※2012年以降加筆。