• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Hataのブログ一覧

2011年10月15日 イイね!

海より深く反省

ようやくゆっくりブログを書ける週末にたどり着いた。
気持ちの整理をする上でもやはりそれなりに時間を要した。

先週日曜に行った白老テスト。
156のエンジン不調はサーキットでしか症状が出ないため白老に持ち込んだ。

結果、最悪だった。

クラッシュしたわけではないので「最悪」という表現は違うかも知れないが
少なくとも私の中ではクラッシュしたほうがまだよかった。

久しぶりの白老は情けないことに本気で「怖い」と思った。
本当に過去の自分はここを攻めていたのか疑いたくなるほど怖い。
分かってはいたが路面のうねりは凄まじく、クルマはバッタみたいに跳ねる。
コンクリートウォールから観ていたどぅーさんが
「ストレートでもかなり跳ねてますね~」と言うほど。

だからといってチンタラ走っていたのでは症状を出せない。
ピットに戻って減衰を一気に5段階も下げて再度コースへ。
少しイイ感じになってきたので徐々にペースを上げる。
1コーナーの目測を誤ったため、ギリギリの感じでコーナーをクリア。
このペースならタイムも・・・と思いさらに攻める。
馬の背をクリアしてゆるい左コーナー・・・・軽くブレーキでステアリングを切り・・・

一瞬でコントロールを失った。

スキール音とブルースモークのオーケストラ。
大きなアールでスピン。
久々に味わうこの恐怖。
さて、どこから突っ込んで行くのか・・・

しかし突っ込まなかった。
何故かアスファルトの上で停まっていた。

すぐにピットに戻ろうと思ったが、自分がどこでスピンし始めたのか確認したかったので
もう一周することに。
すると・・・・スピードメーターが動いていない。
ブレーキとABSのチェックランプも点いている。

あとで判ったのだが、ABSとスピードメーターはリンクしているらしく
ABSの故障でスピードが表示されないトラブルは156では珍しくないそうだ。

結局この日、懸案のエンジン不調の症状は出なかった。
皮肉なことにあれだけ激しい振動に晒されながらも
エンジンは絶好調だった。
しかしだからといって解決したわけではない。
しかもABSは間違いなく壊れた。

すなわち本来の目的はなんら達成できず
代わりに新たなトラブルを抱え込んだ恰好になった。
さすがに心が折れた。
この皮肉な結果にハラワタが煮えくり返った。

「もうたくさんだ。やめよう。」

今回、白老で走ることになってから予感はあった。
5年前、145をレース用に作って一人走り込んだのがこの白老だった。
自分のレースは白老で始まったという気持ちは今でも変わらない。
白老で始まったのだから白老で終わる。
なんとなくそんな感覚は抱いていた。
派手にスピンしたときも「やっぱりこうなるのか・・・」と半ば諦めの心境だった。

5年前と同じ、一人高速を走って帰ってきたが
その心境は希望に満ちた当時とは大きく違うものだった。

「潮時なんだ」

クルマは好きだがクルマに振り回されるのはまっぴら御免だ。
まして今回は原因が特定できないトラブル。
ABSは部品が手に入ってもコーディングが必要かも知れないとのこと。
そんな面倒なことに使うエネルギーは一滴も残っていない。

もう何もかもが煩わしくなった。


というのが先週のテストの結果。
ある意味最悪である。
しかし『捨てる神あれば拾う神あり』とはよく言ったもの。

私には三人の神様がいた。

まず「引退する」ということは家内に伝えた。
「やめることはないでしょう。」
家内の第一声だった。
私の考えを否定するではなく、しかし続けるべく建設的な考えを
それとなく話してくれた。
しかし家内は私の性格をよく知っているので
そのあとはこの話題には触れないでくれた。

そうしているうちに0541RACINGのチーフメカ、naoさんから電話が来た。
「白老のテスト、どうでした?」
「ダメ!もうやめる。」少々投げやりな私の態度にも
彼はいつもと変わらない穏やかな口調で言った。
「オレも色々調べてみますから、やめるなんてダメですよ」
さらに
「間違ってもブログに引退なんて書いちゃダメですよ!」とお叱りを受けた。

そしてほぼ同時期に0541RACINGのチームメイトgood-eyeさんからメッセージをもらった。
そこにはABSに関する症例の情報があった。
覗いてみると今回のABSの故障は案外単純なもので
少なくともコーディングは必要ないらしい。
そしてメッセージの最後には
「間違ってもブログに引退なんて書かないで下さい」

海より深く反省である。

腹立ち紛れとは言いたくないが
あまりの「裏目」「裏目」の連続で頭に血が上っていた。
それで「やめる」と宣言したのだが、
そのことで大切な人達に心配をかけてしまった。
なんとも情けないことだ。

三人の神様は私を救ってくれた。

私はこれからも走る。
ABSも既に完治し、HGTSの最終戦のエントリーも済ませた。
エンジンに関しては恐らくまたトラブル発生の可能性が高いが
症状を出さないことにはECUに履歴を残せない。
今度の最終戦がテスト走行になりそうだ。
できることならワンラップでもエンジンがベストな状態で走りたいが・・・・。
先週久々に白老を走って思った。
「やっぱりここでアクセルを踏めるガッツがないとダメだな」と。
白老を走ったあとの自分でクラブマンを攻めてみたい。
Posted at 2011/10/15 19:20:18 | コメント(14) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月05日 イイね!

極めて深刻

極めて深刻ついに1周もできなかったHGTS第3戦。
さすがにこのままではマズイと思い、Garage FUNに預けることにした。
耐久の翌日に持ち込み、その後すぐにMiyajimaさんが診てくれたのだが、テスターにかけてもそれらしいエラーの記憶は出て来ないという。
もちろんまったく出ないわけではない。
「エアフロ」のエラーが記憶されているようだが、それは今回のトラブルとは別に思い当たる点がある。
つまりシューティングしたいトラブルとは関係がないということだ。

では一体何がどうして?ということになる。
普段乗ってる分にはまったく問題はない。
チェックランプも点かなければ吹けがわるいということもない。
現にあれだけ不調になった第3戦でも帰り道は何事もなかったかのようにエンジンは動いていた。

事態は深刻である。

直るか直らないか以前に、何がどう不調の原因を作っているのかが分からないからだ。
このままでは最終戦はおろか、来シーズンにさえも黄信号である。

この156をレース用に製作して、一応の完成を見たのが昨年8月の「てつおう会」。
それからHGTSの第3戦を走ったが、そのあとの最終戦からは今回のトラブルが続いた。
今年初の走行だったHGTSの開幕戦でも発生し、このあとにエアフロを交換した。

その新しいエアフロで臨んだがジュニアコースでの練習会とHGTS第2戦。
この二つはまったく問題なく走れた。

しかし戻ってから約一週間後、突然エンジンはアイドリングからおかしくなり、そして吹けなくなった。
これは安物のエアフロが壊れたことが原因と思われるが、
現在はちゃんとしたエアフロを入れていても不調は同じだ。

こうして振り返ってみると、今年に入ってまともに走れたのはジュニアの練習会とHGTS第2戦のみだ。
HGTS第2戦とチャオペペはほとんど満足に走ることができなかった。

ではどうすするか?
普通に街乗りしている程度では症状は出ない。
となるとサーキットで走らせるしかない。
そこで持ち上がったのがトラブルを敢えて発生させるために走らせるというものである。
サーキットを走らせ、症状を出してその場でテスターにかける。
この方法ならトラブルシュートできる可能性はある。

場所はなんとあの白老カーランド。
最後に走ったのは09年の6月に行われたHGTSだから、実に3年ぶりということになる。
本当に久々の白老だ。
しかし今回は目的が違う。
レースでもなければタイムアタックでもない。
トラブルを発生させるためのテスト走行だ。

ただ、楽観はしていない。
まずトラブルが発生するとは限らない。
今のところサーキットではだんだんと症状が顕著になってはいるが
果たしてその日に出るかどうかはやってみないと分からない。
さらに原因が特定できても、すなわち直せるかどうかは別の話。
場合によっては長期活動停止と言うコトも有り得る。

普通に乗ってる分にはなんら問題はないが
このクルマは普通に乗るために買ったわけでもなければ造ったわけでもない。
サーキットを攻めるために、レースに出るためにある。

それができなければ火を放って燃やすしかない。

今回のトラブルが克服できなければ、まず今シーズンは終了。
さらに来シーズンも一旦は白紙になる。

そう、状況は極めて深刻だ。
Posted at 2011/10/05 20:58:49 | コメント(10) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月04日 イイね!

生きること、生きていること。

生きること、生きていること。9月30日に帰らぬ人となった彼に別れを告げるため、翌日彼の元に向った。

この日は時々雨が降ったりしたものの、空は青く、空気は澄んでいた。
彼の家は広大な牧場の中にあった。
イタリア車仲間のみんなは、そのほとんどが訪れたことがあるようだが、どうしてか私だけはタイミングが悪く、今まで一度も訪ねたことがなかった。

「いいところだなぁ・・・・」

こんなありきたりな言葉しか出てこないほど、実に素晴らしいところだった。

青空と緑、それだけでこんなにも素敵な場所になるということを思い知らされた。
お通夜まで少し時間があったので、牧場の中を歩いた。
きゅう舎には馬が6~7頭ほどいただろうか。
中に足を踏み入れると馬たちがみんな顔を出してこっちを見ている。
「ひょっとして分かっているのだろうか」
彼が、今まで世話をしてくれた彼がこの世を去ったことを
この馬たちは知ってるのだろうか。
何も根拠はないのだが、そんな「気配」を感じた。

秋は既に深く、陽が短い。
彼の亡骸が家を出る頃には陽は傾き、お通夜が行われるお寺に着くころには既に薄暗かった。

彼の顔は安らかに見えた。
確かに壮絶な闘病生活を如実に物語る影もあったが
私には彼の表情がそれも含めて全力を尽くした後のような
何かをやり尽くしたような感じにも見えた。
ただ、ひとつだけ言えることは、もう病気と闘うことはないということ。
その必要はないということ。

お通夜が滞りなく終わり、クルマを置いている彼の家に戻った。
Guccy Corseの面々が使っている部屋(というより一軒家)でみんなが集まった。
私はもう一度、あの馬たちが見たくなってきゅう舎へ向った。
見ると明かりが付いている。

しかし中に入って言葉を失った。

彼のご両親が既に着替え、馬たちの世話をしていた。
近親者だけ残るお寺にいるはずのご両親が、
まるで何事もなかったかのように仕事をしている。
私は「あの・・・馬が見たくなって・・・」と言うのが精一杯。
するとお父さんが穏やかな表情で「どうぞ」と。

正直、混乱した。

一般的に考えれば、「自分の息子が亡くなった日に仕事をするなんて」ということになる。
また一方で「悲しみを少しでも紛らわすために仕事を」という見方もある。

しかしどちらも違う。
違うと思う。
彼も含め、あそこにいる人達にとって馬の世話をするということは
すなわち「生きること」に直結しているのではないか。
少なくとも我々の感覚で言う「仕事」ではない。

「生きること」と「仕事」では重みが違う。

生きること、それは呼吸をするのと同じ意味を持っているのだと思う。
我が子に先立たれるという、これ以上ない深い悲しみに襲われても
生きていかなければならない。
呼吸を止めるわけにはいかない。

そしてもうひつ。
「覚悟」の違いではないか。
自然の中に身を置いている人達は、自然の中で起こりうることに対する覚悟が違う。
我々のように便利さの中で生きている脆弱な人間とは根本が違う。
人の生き死にも自然の中で起こりうることだ。
そこには理屈も説明も通用しない。
受け入れるしかないのだ。
便利さの中で生きている人間は受け入れるしかないものを受け入れられないから
もがき苦しみ、醜態を晒すハメになる。

あの日、彼のご両親は生きるためにすべてを受け入れているように見えた。

お父さんと少し言葉を交わした。
いちばん手前にいたやや小柄な馬はやたらと人懐っこく可愛い。
「この馬は何歳くらいなんですか?」
「それは去年生まれたので、まだ1歳ですよ」
「何歳くらいから競走馬としてのトレーニングをするものなんですか?」
「だいたい2歳くらいから始めますから、もうその馬もそろそろですね」

「ありがとうございます。お邪魔しました」
と私がきゅう舎を出ようとすると、お父さんから声をかけられた。

「春から夏にかけてはイイですよ・・・子馬もいっぱいいますから」

また来よう。
そう思った。
ここに来れば彼に会えるような気もする。

そして確かなのは彼は多くの人の心にずっといるということだ。
Posted at 2011/10/04 20:28:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2011年10月02日 イイね!

My friend is gone that's good-bye

My friend is gone that's good-bye「それ、さっきから気になっていたんですよ」
彼は笑顔で言った。

3~4年前のことだろうか。
彼に初めて会った日のこと。
何かの集まりがあって、その途中、テンコモリさんが彼を我が家に連れて来てくれた。

彼が「気になっていた」というのは映画『POLE POSITION』のDVD。
これが気になるということは余程のクルマ好き、モータースポーツ好き、
そして同年代だということが分かった。

そのときは時間がなくて「では今度ゆっくり観ましょう」という話をしたが
ついにそれは実現しなかった。

彼は先に行ってしまった。

突然の知らせに言葉を失った。
最後に会ったのがジュニア8時間耐久の翌日。
てつおうさんのおかげで彼の入院先に出向いて久しぶりに顔を見ることができた。

一旦は回復に向っていたが再びの入院。
「ちょっと血液の状態も良くなくてさ・・・」
私が入院したとき、彼は「オレとHataさんの二人で市内の血小板を使ってる」と言ってたそうなので
「オレはしばらく血小板を使う予定はないから遠慮しないで使ってよ」と言ったら彼も笑ってくれた。
あのときの表情を見て、なかなか病気もしつこいと思ったが
彼のモチベーションもスゴイと思った。

しかし彼は先に行ってしまった。

ただ、私は彼を讃えたい。
ここまで戦ってきた彼を讃えたい。

そして彼の勇気、実行力、そして私たちを束ねてくれた求心力に心からの拍手を送りたい。
感謝の「ありがとう」を送りたい。

彼は有形無形の多くのsomethingを残してくれた。
それはこれからも私たちのもとにある。
私たちが向うに行くまで、それはずっとずっと残るだろう。



Good-bye
Good-bye
My friend is gone that's good-bye
Good-bye
Good-bye
Tomorrow's comming .good-bye
Good-bye
Good-bye
I won't forget you . good-bye



彼とついに一緒に観ることができなかった映画
『POLE POSITION』のメインテーマ曲にあるワンフレーズだ。
Posted at 2011/10/02 08:33:34 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2011/10 >>

      1
23 4 5678
91011121314 15
161718 192021 22
23 24 25262728 29
3031     

愛車一覧

アルファロメオ 156 アルファロメオ 156
サーキット専用車(ナンバー付き)。 カラーリングのモチーフは、ニキ・ラウダがドライブした ...
アルファロメオ 156 アルファロメオ 156
98年に新車で購入した145が天寿をまっとうしたため156 2.5V6へスイッチ。 15 ...
アルファロメオ 145 アルファロメオ 145
98年に新車で購入。10年まで12年15万キロ走破。モデファイにサーキットに、思い出はた ...
アルファロメオ GTV アルファロメオ GTV
家内のクルマ プジョー205GTi×2台→アルファロメオ145→アルファロメオGTV 2 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation