2012年04月11日
夜の誤爆王の弟です。
少し間が開きましたが、色々と報告させていただきます。
4月6日(金)、そして翌7日(土)に行われた兄の前夜式(通夜)と告別式に参加された方、ありがとうございました。
前夜式の方ですが、どうやらものすごく沢山の人に来ていただいたようです。
私は会場内で外の様子は見れなかったのですが、150人の参列者を想定した会場に、なんと460人も来ていただいたそうです。
駐車場はもちろん一杯、斎場前の道路は駐車場に入りきれない車で列ができ、仕方なく近くの公園に車を停めて駆けつけてくださった方もいたそうです。
会場内も椅子に座りきれない人が入り口の外まで溢れていたそうです。
本当にたくさんの方に来ていただいて、兄もきっと喜んでいたと思います。
7日の告別式の方は、前夜式ほどではありませんが、およそ300人もの多くの方に来ていただきました。
オープニングでは、3月24日に兄が送り出した保育園の年長さんたちが、兄のために歌を歌ってくれました。
このブログの更新頻度からも分かるように、去年度の一年間は、本当に兄は忙しかったようです。
毎日、7時前くらいに家を出て、帰ってくるのは毎日夜8時過ぎでしたから…
車をいじっている姿もほぼ全く見ませんでした。
でも、結局仕事は一日も休むことなく、勤め上げました。
少しくらい、休めばよかったのにね…
卒園式の兄の映像があったのですが、終始、とてもいい笑顔をしていました。
仕事は楽しかったんだと思います、子どもはとても好きでしたから。
良かったね、どの子もすごくがんばって歌ってたよ!
前夜式、そして告別式に来てくださった方々。
改めまして、まことにありがとうございました。
告別式が終わり、今日の段階でもまだ、私の部屋の隣の客間には祭壇があり、兄の遺骨があります。
両親はまだ、兄の死に打ちひしがれて、消沈しています。
私はと言うと、自分ではかなり割り切った気でいますが、ふと気づくと、どうしても兄のことを思い出してしまいます。
特に兄の写真を見ると、途端に泣き出してしまいそうになります。
私も学校を卒業して、しばらくしたら保育士として働くようになるでしょうから、兄と一緒に働くんだろうなぁと思っていただけに、一人でやっていかないといけないという現実に不安も感じています。
けどそれに関しては甘えたことを言ってはいられません。
兄も一人で、施設職員、保育士としてがんばっていたんですから。
兄は最期まで、私の就職を心配していましたけど…
あんまり甘く見るなよ?一応学年で常にトップの成績なんだからw
兄の車、ガッチガチに手が入ったインプレッサと、それほどいじられていないシルビアがありますが
それらは一応、私の名義になるそうです。
私自身はというと、クルマいじりには全く縁がない生活をしてきたものですから、多分全くいじれないんじゃないかなと思います…
もし手を入れることがあったら、光道レーシングのみなさまにヘルプを要請することがあるかもしれませんが、そのときは宜しくお願いします。
いまだ我が家には車のパーツが山ほど残されています。
家族の私たちにはその価値が分からず、錆びさせてしまったり痛ませてしまったりしてしまうと思いますので、使えそうなものがあるようでしたら是非持っていってもらいたいです。
多分、可能な限りは家に置いておくとは思いますが、最終的には捨ててしまうと思いますから、本当に遠慮なく持ちにいらしてください。
こちらでよっぽど思い入れがあるもの以外は、基本的には差し上げたいと思っています。
あとは…兄が週末を中心によく楽しんでいたオンラインゲーム、ラグナロクオンラインやウィザードリーオンラインの方にもご挨拶をと思っていますが…こちらにキャラ名を載せるのはさすがに憚られるので、別の場にて報告してきます。
なんだかとりとめもない内容になってしまいました。
できる限りパソコンは付けっぱなしにしておくつもりですが、それもいつ切れるか分かりませんし、ブログのログインがいつ切れるかも分かりません。
だから今回が最後の書き込みになるかもしれません。
何度お礼を言っても言葉は尽きませんが、本当に、いろいろと兄や私たち家族を気に掛けてくださいまして、まことにありがとうございました。
Posted at 2012/04/11 19:24:32 | |
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2012年04月03日
夜の誤爆王を知る方々へ。
初めまして、夜の誤爆王の弟です。
突然で驚かれるかもしれませんが、夜の誤爆王は、先ほど亡くなりました。
平成24年4月2日 23時ごろ、2階の寝室から降りてきたらしい兄は、階段を降りたところで一方の手で胸を押さえ、一方の手は柱にという状態で、大きな声を出して苦しみ始めました。
「胸が痛い!助けてくれ~!」
その尋常でない声に驚いて、様子を見にいきました。
「救急車呼んで」
「AED持ってきて、心筋梗塞かもしれない」
と、苦しみながらも比較的冷静に言う兄に、父が救急に通報、母が近くの福祉施設からAEDを借りに走りました。
私は、玄関先で立つ兄の体を気遣い、「横になるか?」と声をかけると、兄は「動けない…」と答えました。
玄関先の廊下の床に毛布を敷き、そこなら横になれるかと言うと、そこに横になり、苦しみ方は落ち着いたかに見えました。
「胸…胸押して・・・」と兄が言うので、私が手のひらでそっと兄の胸を押すと、「いかん…ブラックアウトしそう」と言いました。
そこから急に、兄の意識が曖昧になったようだったので、私は必死に声を掛け続けました。
AEDが到着し、母がAEDの音声ガイドに従ってパッドを貼り付けました。
『電気ショックの必要はありません。引き続き心臓マッサージと・・・』
私が心臓マッサージをして、父が人工呼吸をして、その時間は非常に短く感じました。
すぐに救急車が到着しました。
救急隊員に、いくつか質問されたと思います。「前にもこういうことあった?」「飲んでる薬とかある?」
搬送に付き添ったのは両親で、私は家で連絡を待つことにしました。
12時半過ぎごろ、病院の父から、兄が亡くなった旨の連絡がありました。
バイクも車も好きな兄でした。
私から見ると、ビカビカ光る車は滑稽でしたが、本人はとても楽しそうに、毎日のように整備の苦労や自慢話をしていました。
夜の誤爆王と、その車を愛してくださった皆様、本当にありがとうございました。
本人の手による書き込みではなくて恐縮ですが、このブログを見る限り、とても楽しんでいたんだなぁということが伝わってきます。
夜の誤爆王のリアルを知る方、最後のお別れに来てあげてください。
こちらはもう、私や家族はチェックすることはできませんので返事を返すことはできません。
兄の趣味に付き合っていただきまして、まことにありがとうございました。
Posted at 2012/04/03 02:55:10 | |
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