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ritsukiyo2のブログ一覧

2021年04月19日 イイね!

実父葬儀・・・告別式

実父葬儀・・・告別式※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。

昨日のお通夜も快晴でした。
告別式も快晴です。




納棺の儀です。

実父の身支度品。

棺に納めました。
これで旅立ちます。

実父の行衣と杖も棺に入れて貰いました。

使い込んで短くなった杖、これで良いのかな?

それと、多数の御朱印帳。
幾つあったのか覚えていません。

お花で棺が一杯に。
じいちゃん・・・。
ここでも涙を抑えられず、泣きました・・・。

家長として、弔問頂いた方々にお礼を申し上げます。

火葬場に向かいます。

霊柩車は白のクラウン。
これは実母が黒い霊柩車は嫌という理由から。

実母は自分の葬儀の時はピンクが良いと言ってましたw


火葬して。

骨になってしまった実父・・。


火葬場から菩提寺に戻り、初七日法要を執り行いました。

やっと自宅に戻って来た実父。
実父自身で入院手続きしてから、僅か一週間の出来事でした。

おかえりなさい。
私らを育ててくれて、ありがとうございました。
Posted at 2023/04/15 22:30:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 家事 | 日記
2021年04月18日 イイね!

実父葬儀・・・お通夜

実父葬儀・・・お通夜※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。

コロナパンデミック渦の葬儀となりました。
町内会にはコロナ感染予防で葬儀参列を遠慮して貰う旨の通知を出して頂いたが。

それでも天満宮や神社関係、菩提寺と商店街で付き合いのあった方々等、200名程の弔問者に見守られるお通夜になりました。
私の勤務先の上司も弔問に来て頂き、感謝の念に堪えません。

私と伯母と考えて作った実父のプロフィール原稿を読んで頂きました。
その話を聞いた従妹が号泣して・・・
周囲からも泣き出す方々の嗚咽が聴こえてきました。

葬儀社の方から、今年2021年が始まって最も多い弔問者数と言われた。
コロナパンデミックがなければ、その倍ぐらいになっていたかも?

国会議員の小倉将信議員、今では小倉こども政策担当相も実父に会いに来てくれた。

これも実父の人柄、人脈の多さを感じる一幕でありました。

副住職は泣きながらお経をあげている・・。
その姿を見てるとまた泣けてきました・・・。


身内や懇意にして頂いた方々が弔問に来て頂けて、実父も喜んでいると思います。



実父が30年使い込んだ杖、行衣。

これも一緒に送ります。
Posted at 2023/04/14 21:55:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 家事 | 日記
2021年04月15日 イイね!

実父急逝(その3)

実父急逝(その3)※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。


2021/4/15 AM5:20に当直医の死亡診断。

「5時20分、ご臨終です。この度はご愁傷様でございます。」と当直医の言葉を聞き。

実母と妹はベッドの上に泣き崩れる・・。

私は涙ながらも。
咄嗟に実父の手を取って「じいちゃん、ありがとう!ありがとう!」と連呼していた。

実父とは世代間格差(ジェネレーションギャップ)で言い合いになったり、考え方の相違で行き違う事も多々ありましたが。
ここまで、私と妹を育ててくれた事に感謝していた事が咄嗟の言葉に出ていました。



死亡診断書の作成、受領する迄の時間で、私服への着替えと手荷物をまとめる。

看護師さんと実母、妹、嫁の4人で実父を病院の館内着から私服に着替えさせた。
体格が大きい実父ではなかったが、慣れていないだけに着替えさせるのが大変でした。

私は実父の頭部を持ち支えていました。
実父の頭部、こんなに重かったのか?
先程迄、意思があった人とは思えなかった。

着替え終えると、陽差しが病室に入って来た。
この時点で朝6時半ぐらいだったと思う。

看護師さんと実母が実父に化粧を施していた。


私は親族である近所の叔父と伯母、四国の叔母に「実父の最後を看取ったよ」と連絡。
スマホのスピーカー越しににワッ!と泣き崩れた叔母の声を聞いて、また涙が出て泣いた。

菩提寺に実父が亡くなった事を連絡して、葬儀社の手配をお願いした。

生前の実父が仕事をしていた時から繋がりのある葬儀社にお願いするつもりだったので。
慌てることも無く、菩提寺にその旨を伝え、霊柩車を病院まで回送して貰う事に。
しかし、急な出来事かつ早朝で菩提寺に遺体を受け入れる準備が出来ていないので。
一時的に葬儀社の遺体安置所に安置させて貰いました。

その場で葬儀日時、火葬場の予約を取り。
死亡診断書の提出、献花の種類、棺、霊柩車の手配等々。
葬儀費用の概算見積もりまで。

あっという間に決めてきた。
この時点で、実父が亡くなってから僅か3時間半しか経っていない(;゚Д゚)

悲しんでいる余裕はなかった(;゚Д゚)



深夜早朝から駆け付けた私達はまだ朝食も取っていなかったので。
菩提寺に戻る途中、コメダ珈琲店に寄って朝食を取り。
この後はどうなるのかを相談。


8時半頃、菩提寺に到着。
住職、副住職と実母は会った途端に大泣きして、釣られて私も泣き出した。

菩提寺の応接室で今後の葬儀の打ち合わせ。
既に戒名が出来ていた。
一生忘れない戒名でした。
戒名料は菩提寺に貢献した実父の功績を考慮して折衝した。

現世は死んでなおもお金がかかるんだよ・・・。┐(´д`)┌ヤレヤレ

葬儀は住職と副住職の2名で執り行ってくれる事に。
2名の僧侶での葬儀、実父の菩提寺への貢献した証です。

実父が菩提寺に到着したのは4/16の夕方でした。

やっと戻ってきたね!じいちゃん。


<関連記事>
実父急逝(その2)→
Posted at 2023/04/14 01:28:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 家事 | 日記
2021年04月15日 イイね!

実父急逝(その2)

実父急逝(その2)※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。
FB記事より転記しました。

事の始めは。

2021/3/30、妹が実父母と伯母と一緒に近所と横浜は里山公園まで桜を観に連れ出した時でした。
いつもの様に歩く元気がなく、ベンチに座って休んでいた実父だったそうです。

その頃から、息苦しさが顕著になり。
市民病院で検査しようとすると、コロナパンデミック(茶番劇)で4月の中旬にならないと検査出来ないと言われ。

そこまで待てないと言って。

実家のかかりつけの医院の紹介で、2021/4/8に小田急相模原にある国立病院機構 相模原病院で検査する事になりました。

2021/4/8に実父が誤嚥性肺炎の疑いがあるとの事で、入院手続き書類を自分で取ってきました。
本来ならば、即入院というレベルでした。

「菩提寺や天満宮関係者に入院説明と引き継ぎをしないと」という責任感から。
入院準備するので、一旦(自宅に)帰ると言って聞かなかったそうです。

「PCR検査をその病院で実施し、陰性証明を取らないと帰宅許可が出せない」と言われて、その場でPCR検査して。
検査結果は陰性で、朝から病院に行ってから4時間後に電車とバスを使って自宅に戻ってきた実父。

駅から実家の距離は徒歩7分弱ですが、呼吸が荒い為に辛かったでしょう。
何度も休みながら自宅を目指したそうです。
途中の知り合いのお酒屋(天満宮総代)の所で休ませもらい。
実家の4階までの階段を休みながら、上がってきたそうです。

私ら親族は余りに急な話で、驚きと心配が入り混じった事を思い出してます。

当時は得体の知れないコロナパンデミック真っ盛りで、どこもかしこもPCR検査している悪夢の世界でした。

2021/4/9に半休を取り、ノアで実父を実母と一緒に病院まで送りました。
病院まで送る道中というか。
ノアの後部席に乗るだけでも、息切れする実父。
車内の実父の息遣いの荒さ、それは尋常なものではなかった。

これまでに心房細動で2回カテーテルアブレーション手術を行った実父ですが。
「今回のこれはヤバイんじゃないか!?」と直感。

コロナ感染で病院は大混乱している中での入院手続き。
ナント、外のベンチで書類を書きましたよ。

入院手続き待ちの間、何気に記念に撮った写真。

これが実父の生前最後の写真になるとは、その時は思いもしませんでした。

入院手続き終了後、病室に入るのですが。

プレハブで作られた仮設受け入れ棟入口で実母と私は止められて、病室まで付き添えませんでした。
実父はストレッチャーに載せられて、上からビニールカーテンを被せられて。

まるで出来の悪いドラマ、映画を観ている様でした。

実父との連絡はどうしたかというと。
携帯電話の使用が許可されていたので、不自由はなかった。
実母や妹、私も何度も電話しました。
実父はガラケー携帯世代でショートメッセージの使い方は知らずでしたが、メッセージは見る事は出来たそうです。

私が実父に送ったSMS。

これが最期のメッセージになってしまいました。

2021/4/11の奥多摩ミーティングに参加している最中、覚えのない?携帯電話から着信があり、無視していたら。

後日(4/14)に病院に行った際、実父に「日曜日、何で電話でなかったのよ?」と言われて、初めてあの電話は実父からだったという事に気付いた(;゚Д゚)。
実父の携帯番号だったにも拘らず、実父と表示されず 何故だ?(。´・ω・)?

今思えば。
これは実父がもう長くない、寿命を感じて。「自身に何かあったら、後の事は頼む」と言いたかった様に思えてならない。
表には出さない寡黙な性格の実父でしたので、間違いないと思う・・・。


2021/4/14の午後に実父が入院した病院の主治医と面談予定。
実母と一緒に面談する予定で、午後から半休申請していましたが。

4/14朝、出勤始業前にスマホが鳴り。
実父の入院先の担当医から。
「(実父の体調が優れないので、)今すぐに来てください。親族の方々で来れる方が居られるならば、一緒に今すぐに来てください。」との事でした。

上司にこの旨を報告して、全休扱いにしてもらい。
実母、妹と近くに住む伯母に連絡して実家に集合。
妹経由で出勤していた義弟、甥っ子1号にも連絡。
日大三高の野球部寮に居る甥っ子2号も実家に戻り、ノアとアイの2台で病院に向かう。
途中の小田急相模原駅で甥っ子1号を拾って、病院に駆けつける。
(嫁は仕事で抜けられず)

朝9時過ぎに親族総出で病室に着くと。

酸素吸入器をした父がケロッとした表情でベッドにいる。

昨夜はもうダメかと思ったよ。」という実父。
駆けつけた私達は元気?に話しかけてくる実父に安心した様子。

今思えば。
私も実母もみんなして、その言葉を重く受けとめていなかった。

元気そうな表情で話をする実父を見て、みんな安堵したせいでしょう。
その実父の言葉、昨夜4/13の夜にヤバイ状態になったという事に誰一人気付かなかった・・・。

高校野球はどうなったとか、甥っ子らと笑いながら話をする実父。

実母や伯母、妹と話している実父を見ている内に。

「もしかしたら、携帯酸素ボンベを使用する事で退院出来るのでは?」と思って。
その後の主治医との面談に親族総出で臨んだのですが。

そこで宣言されたのが「間質性肺炎 突発性肺線維症(急性増悪)」。
最悪の結果でした。

原因は不明。

病院の酸素量MAX10L/H?を使い切っており、これ以上の酸素量を増やせない。
「ステロイド薬をパルス投与しても効果がない」
CT検査の画像を見ると、左右の肺が真っ白になっていた。
(機能していない部位が白い)

それでも、体調は今が一番良い状態。(蠟燭が消える前の状態と同じという意味で捉えた。)

「その様な理由で、親族で来れる方を急いでお呼びした次第です」と。

その場から逃げ出したい。
面談前に抱いた期待が、打ち消されました。
「奇跡」が起きる事を祈る事しか出来ませんでした。


病室から出る際に実父が言った言葉。

今生の別れじゃないから、また明日な!

でした。

これが、最後の実父の言葉になるとは思いませんでした。

実母と妹は、病院から帰宅した後もその日の夜に電話で実父と話していた。

妹曰く、実父がこう話していたそうです。
「〇子か?〇子がそこにいるのか?」(四国にいる実父の妹の事)
妹「〇子叔母さんじゃないよ。〇子伯母さんはここにいないよ」
実父「ああ。そうか、俺おかしいのかな?意識が朦朧しているのかな・・。」と電話で言っていたそうです。
幻聴が聴こえたらしい。
ステロイド剤投与の影響でしょう。

その夜、嫁から半年前に急逝した義母の件もあって、「スマホを枕元に置いておいた方が良いかも?」と助言。
私も何か嫌な予感がして、枕元にスマホを置いておいたのです。

すると、4/15の朝方2時半頃にスマホが鳴動、入院先の病院からでした。

「実父が危険な状態(危篤)なので、今すぐに来てください。
状況が状況なので、(コロナ入室制限云々は無視してという意図)直接病棟まで来れる方を連れて、早くお越しください」

実母、妹に連絡して。
嫁と私の4名で病院に入ったのが深夜3時20分頃でした。
その時点では実父の意識があり、頷いて誰が来たかも理解出来た実父。
心拍数も遅い、血中酸素濃度が40%台と低い。
こんな数値、見た事ない。

嫁は前職の経験から、実父の容体を見て。
この先の予想が容易だったと後日話してくれた。

対処療法は既にない。
ただ時間が過ぎていくだけ。

祈るしかない。
奇跡が起きる事を祈るしかない。

妹は状況が呑み込めずに、「まさか、これって「看取り」ですか?」と付き添いの看護師に訊いている。

私は実父の左手を取り、目を合わせる。
手が冷たくなっている。
徐々に心拍数が下がり、血中酸素濃度の数値が下がっていく。

実母と嫁は実父の手足をさすり、少しでも温めようとしている。

妹は何とかして目を開けさせようと、実父が大好きな甥っ子2号が通う日大三高野球部の応援歌をスマホから聞かせて、「頑張って!」と。


それでも。
無常に時間だけが過ぎていく。


2021/4/15 5時02分、心拍数も止まり、血圧は見た事無い数値に上昇。
実父の目が閉じていく。
瞳孔が開いた様子。
実父が逝く瞬間を私が看取りました。(死亡診断書では5時20分に死亡確認)
Posted at 2023/04/13 00:45:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 家事 | 日記
2021年04月15日 イイね!

実父急逝

実父急逝※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。
FB記事より転記しました。


何もかもが急でした。
皆様には父が大変お世話になりました。



⚾️日大三高校歌、Chance Themaを聴きながら4/15の朝、旅立ちました。

今日からの二日間の葬儀を親族代表として、残された責務を務めて参ります。




じいちゃん、ありがとう!
私達の誇りです。
Posted at 2023/04/11 23:11:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 家事 | 日記

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