
※2022/9/6にアカウント毎削除されてしまったので、再投稿します。
FB記事より転記しました。
事の始めは。
2021/3/30、妹が実父母と伯母と一緒に近所と横浜は里山公園まで桜を観に連れ出した時でした。
いつもの様に歩く元気がなく、ベンチに座って休んでいた実父だったそうです。
その頃から、息苦しさが顕著になり。
市民病院で検査しようとすると、コロナパンデミック(茶番劇)で4月の中旬にならないと検査出来ないと言われ。
そこまで待てないと言って。
実家のかかりつけの医院の紹介で、2021/4/8に小田急相模原にある国立病院機構 相模原病院で検査する事になりました。
2021/4/8に実父が誤嚥性肺炎の疑いがあるとの事で、入院手続き書類を自分で取ってきました。
本来ならば、即入院というレベルでした。
「菩提寺や天満宮関係者に入院説明と引き継ぎをしないと」という責任感から。
入院準備するので、一旦(自宅に)帰ると言って聞かなかったそうです。
「PCR検査をその病院で実施し、陰性証明を取らないと帰宅許可が出せない」と言われて、その場でPCR検査して。
検査結果は陰性で、朝から病院に行ってから4時間後に電車とバスを使って自宅に戻ってきた実父。
駅から実家の距離は徒歩7分弱ですが、呼吸が荒い為に辛かったでしょう。
何度も休みながら自宅を目指したそうです。
途中の知り合いのお酒屋(天満宮総代)の所で休ませもらい。
実家の4階までの階段を休みながら、上がってきたそうです。
私ら親族は余りに急な話で、驚きと心配が入り混じった事を思い出してます。
当時は得体の知れないコロナパンデミック真っ盛りで、どこもかしこもPCR検査している悪夢の世界でした。
2021/4/9に半休を取り、ノアで実父を実母と一緒に病院まで送りました。
病院まで送る道中というか。
ノアの後部席に乗るだけでも、息切れする実父。
車内の実父の息遣いの荒さ、それは尋常なものではなかった。
これまでに心房細動で2回カテーテルアブレーション手術を行った実父ですが。
「今回のこれはヤバイんじゃないか!?」と直感。
コロナ感染で病院は大混乱している中での入院手続き。
ナント、外のベンチで書類を書きましたよ。
入院手続き待ちの間、何気に記念に撮った写真。

これが実父の生前最後の写真になるとは、その時は思いもしませんでした。
入院手続き終了後、病室に入るのですが。
プレハブで作られた仮設受け入れ棟入口で実母と私は止められて、病室まで付き添えませんでした。
実父はストレッチャーに載せられて、上からビニールカーテンを被せられて。
まるで出来の悪いドラマ、映画を観ている様でした。
実父との連絡はどうしたかというと。
携帯電話の使用が許可されていたので、不自由はなかった。
実母や妹、私も何度も電話しました。
実父はガラケー携帯世代でショートメッセージの使い方は知らずでしたが、メッセージは見る事は出来たそうです。
私が実父に送ったSMS。

これが最期のメッセージになってしまいました。
2021/4/11の奥多摩ミーティングに参加している最中、覚えのない?携帯電話から着信があり、無視していたら。
後日(4/14)に病院に行った際、実父に「日曜日、何で電話でなかったのよ?」と言われて、初めてあの電話は実父からだったという事に気付いた(;゚Д゚)。
実父の携帯番号だったにも拘らず、実父と表示されず 何故だ?(。´・ω・)?
今思えば。
これは実父がもう長くない、寿命を感じて。「自身に何かあったら、後の事は頼む」と言いたかった様に思えてならない。
表には出さない寡黙な性格の実父でしたので、間違いないと思う・・・。
2021/4/14の午後に実父が入院した病院の主治医と面談予定。
実母と一緒に面談する予定で、午後から半休申請していましたが。
4/14朝、出勤始業前にスマホが鳴り。
実父の入院先の担当医から。
「(実父の体調が優れないので、)今すぐに来てください。親族の方々で来れる方が居られるならば、一緒に今すぐに来てください。」との事でした。
上司にこの旨を報告して、全休扱いにしてもらい。
実母、妹と近くに住む伯母に連絡して実家に集合。
妹経由で出勤していた義弟、甥っ子1号にも連絡。
日大三高の野球部寮に居る甥っ子2号も実家に戻り、ノアとアイの2台で病院に向かう。
途中の小田急相模原駅で甥っ子1号を拾って、病院に駆けつける。
(嫁は仕事で抜けられず)
朝9時過ぎに親族総出で病室に着くと。
酸素吸入器をした父がケロッとした表情でベッドにいる。
「
昨夜はもうダメかと思ったよ。」という実父。
駆けつけた私達は元気?に話しかけてくる実父に安心した様子。
今思えば。
私も実母もみんなして、その言葉を重く受けとめていなかった。
元気そうな表情で話をする実父を見て、みんな安堵したせいでしょう。
その実父の言葉、昨夜4/13の夜にヤバイ状態になったという事に誰一人気付かなかった・・・。
高校野球はどうなったとか、甥っ子らと笑いながら話をする実父。
実母や伯母、妹と話している実父を見ている内に。
「もしかしたら、携帯酸素ボンベを使用する事で退院出来るのでは?」と思って。
その後の主治医との面談に親族総出で臨んだのですが。
そこで宣言されたのが「間質性肺炎 突発性肺線維症(急性増悪)」。
最悪の結果でした。

原因は不明。
病院の酸素量MAX10L/H?を使い切っており、これ以上の酸素量を増やせない。
「ステロイド薬をパルス投与しても効果がない」
CT検査の画像を見ると、左右の肺が真っ白になっていた。
(機能していない部位が白い)
それでも、体調は今が一番良い状態。(蠟燭が消える前の状態と同じという意味で捉えた。)
「その様な理由で、親族で来れる方を急いでお呼びした次第です」と。
その場から逃げ出したい。
面談前に抱いた期待が、打ち消されました。
「奇跡」が起きる事を祈る事しか出来ませんでした。
病室から出る際に実父が言った言葉。
「
今生の別れじゃないから、また明日な!」
でした。
これが、最後の実父の言葉になるとは思いませんでした。
実母と妹は、病院から帰宅した後もその日の夜に電話で実父と話していた。
妹曰く、実父がこう話していたそうです。
「〇子か?〇子がそこにいるのか?」(四国にいる実父の妹の事)
妹「〇子叔母さんじゃないよ。〇子伯母さんはここにいないよ」
実父「ああ。そうか、俺おかしいのかな?意識が朦朧しているのかな・・。」と電話で言っていたそうです。
幻聴が聴こえたらしい。
ステロイド剤投与の影響でしょう。
その夜、嫁から半年前に急逝した義母の件もあって、「スマホを枕元に置いておいた方が良いかも?」と助言。
私も何か嫌な予感がして、枕元にスマホを置いておいたのです。
すると、4/15の朝方2時半頃にスマホが鳴動、入院先の病院からでした。
「実父が危険な状態(危篤)なので、今すぐに来てください。
状況が状況なので、(コロナ入室制限云々は無視してという意図)直接病棟まで来れる方を連れて、早くお越しください」
実母、妹に連絡して。
嫁と私の4名で病院に入ったのが深夜3時20分頃でした。
その時点では実父の意識があり、頷いて誰が来たかも理解出来た実父。
心拍数も遅い、血中酸素濃度が40%台と低い。
こんな数値、見た事ない。
嫁は前職の経験から、実父の容体を見て。
この先の予想が容易だったと後日話してくれた。
対処療法は既にない。
ただ時間が過ぎていくだけ。
祈るしかない。
奇跡が起きる事を祈るしかない。
妹は状況が呑み込めずに、「まさか、これって「看取り」ですか?」と付き添いの看護師に訊いている。
私は実父の左手を取り、目を合わせる。
手が冷たくなっている。
徐々に心拍数が下がり、血中酸素濃度の数値が下がっていく。
実母と嫁は実父の手足をさすり、少しでも温めようとしている。
妹は何とかして目を開けさせようと、実父が大好きな甥っ子2号が通う日大三高野球部の応援歌をスマホから聞かせて、「頑張って!」と。
それでも。
無常に時間だけが過ぎていく。
2021/4/15 5時02分、心拍数も止まり、血圧は見た事無い数値に上昇。
実父の目が閉じていく。
瞳孔が開いた様子。
実父が逝く瞬間を私が看取りました。(死亡診断書では5時20分に死亡確認)