
よくもまぁ、次から次にと…。
慰安婦問題から徴用工問題や軍艦島強制徴用…、更に、関東大震災での虐殺事件、果ては旭日旗問題や竹島問題等々。
何か一つの問題が、フェードアウトしそうになると、過去の資料を持ち出しては、大きな声を出して新たな問題を騒ぎ出す…。
又、それにメディアが飛びつき、過度な報道を繰り返し…。
今回も、そんな徴用工関係の事件?
「黄山玉埋(ファンサン・オンメ)鉱山118人犠牲鉱夫遺族会」の朴会長さんへ、このメディアが電話取材。
「旧暦7月16日の夜は、村の家々が明るかった。同じ日、同じ時刻に法事を行う家が17世帯にもなった。子どもの頃は『本当に奇妙だ』と思ったが、その理由はよく知らなかった」
と、朴会長は幼い自分を回顧しながら、下記コメント。
「口述採録をするために村を訪ねてきたある歴史学者の勧めで、10年あまり前から玉埋鉱山鉱夫の海難事件の『真相究明』に身を投じている」
この朴会長の祖父が、その犠牲者の一人だとのコト。
その祖父は、強制動員された済州から、海難事故を乗り越えて帰還したそうですが、30代後半で他界したそうで、その話を聞きながら育ったとのコト。
当初、祖父らは全羅南道海南郡黄山面玉洞里(ヘナムグン・ファンサンミョン・オクトンニ)と門内面龍岩里(ムンネミョン・ヨンアムニ)にまたがる玉埋山(オクメサン)にあった日本の浅田化学工業が経営する玉埋鉱山で、ミョウバン石の採掘に強制徴用されていたそうな…。
まっ、ここで言う「強制徴用」は、戦後に付けられた修飾語であり、当時は高給優遇の募集工だったと思われます。
そうして、この鉱山には、祖父が住んでいた地域から、500~1200人あまりが強制徴用されていたそうな?
てか、人数に何故に、そんな開きが…?
強制徴用されたのなら、明確な記録が残って居るでしょうに…?
住人が勝手に応募したので、正確な人数把握が出来ていなくて、「多く言っとけ」てな感じなのでしょう?
まっ、そもそも、田舎の山奥のこの地域に、どれだけの人が住んでいたのかは分かりませんけどね?
実際、前述の自分の過去を回顧しながら、「17世帯」と口にしていますよね…?
17世帯で500~1200人…って、有り得んでしょう?
まっ、祖父が住んでいた地域は、更に小さな部落だっただけかも知れませんが…?
そうして、日本の戦況が苦しくなると、半島の労働者の多くは済州島に集められ、済州島を半島の防衛最前線としたそうで、朴会長は、下記コメント。
「玉埋鉱山の労働者を含む全国の多くの鉱夫が、日本が本土死守の砦にしようとしていた済州に改めて強制動員された」
日本の本土死守に、何で済州島を砦に?
連合国も、日本を攻めるのに、済州島なんて要らんでしょう?
現に、沖縄や硫黄島辺りから攻め込み、東京が最終目的なんですから…。
話をこの朴会長の祖父に戻しまして…。
祖父の仲間300人程は、1944年3月に、3回に分けて済州島に連行。
そこで、軍施設の建設作業を強いられたそうな?
「長時間労働に苦しめられ、牛のエサのような飯を食わされ、下着だけを着て幕舎もなく木の枝を積んで作られた場所で生活」
聞くも涙、語るも涙の物語です。
ところが、翌年に終戦を迎えると、当然、隣国人は日本から開放。
8月23日に日本人3名(恐らく武器の携帯は無し?)を含んだ250人の隣国人が、35トンの木造船で半島へ帰還。
まぁ、ここでも、イジメられていた隣国人250人 VS イジメていた日本人3人が乗った船で、暴動が起きなかってのも不思議ですよね?
銃を持って監視していた軍艦島では、暴動が起きたって言うのに…。
乗った船は小さな木造船なので、これだけ多くの人数で、沈まないか不安の中の航海だったそうです。
そんな中でも、鬼畜な日本人に対し「降りろ!」と叫ぶ隣国人は居なかったんですね…。
と、あと少しと言う所で、エンジンが故障。
更に、火災も発生。
※其の弐に続く
Posted at 2023/10/11 06:59:04 | |
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韓国 | 日記