
※其の壱からの続き
丁度、日本の警備艇が近くに居たので、海に投げ出された人々を順次救助。
ところが、水難者が隣国人であることが判明すると、警備艇は救助を打ち切り、現場を離脱。
「警備艇(軍艦)は事故にあった人たちが朝鮮人だという話を聞いて、生きている人たちをそのまま置いて行ってしまった。果ては、船に乗ってこようとする鉱夫たちを突き落としてしまったという」
と、祖父の生前の話を伝授。
運よく流されていた木材に捕まった、祖父は、そのまま半島に流れ着いたモノの、その時の怪我で3年半後に他界したそうな?
ちなみに、この事故で118人が死亡し、名簿が残って居るのは75人。
生存者は67人。
ん、乗船時の250人と数が合いませんが…?
てか、警備艇でしょう?
「救助(収容)できなかった」が正しいのでは?
更に、流木に捕まって、岸に辿り着いたくらいの距離なら、他にも漁船とか救助船が来て、多くの水難者は助かったのでは?
恐らく、「日本の警備艇が救助しなかった」部分が、反日感情で誇張されているのでしょうね?
まっ、無条件降伏した直後の日本が、隣国でだったにしろ、警備艇(軍艦)を乗り回していたってのも不思議な話ですが…?
そうして、生存者は前述の「遺族会」を設立。
隣国政府への慰労金支給などの団体交渉を行っているようです。
ところが、政府は、「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」(2007年12月)を盾に、この被害者団体は、国内徴用として支給対象外として回答を拒否しているとか?
2012年には、真相究明調査所が政府から提出されたようですが、浅田化学工業は当時の名簿提出を拒否?
「浅田化学の後身である日本企業に6~7年ほど前から鉱夫の名簿をくれと言っているが、まったく回答がない」
まぁ、拒否というより、「無い」のでしょうね?
下手に「無い」と回答するより、対隣国ですので、スルーの方が無難ですし…。
てか、浅田化学工業でググって見ましたが、該当するような企業を確認できず…。
それらしき営業品目の会社も有りましたが、社員数60名と言う事で、少し違うような…?
この記事でも、現在の社名は記されておらず、『後身企業』と有りますので、社名が変わっているのかも?
てか、そのような戦前を清算した企業に、当時の社員名簿を要求してもねぇ…?
で、この団体、御多分に漏れず、2017年に地域住人の有志に寄り寄付金を募り、「玉埋鉱山118人犠牲鉱夫追悼碑」と言う記念碑を建立しているとのコト。
「追悼碑を建てる前日に夢を見た。黒い服を着て帽子をかぶった方が追悼碑のオブジェのところに立って、ありがとうと言うんだよ。あの方たちの恨みが少し晴れたことを願うばかりだ。郡民が本当にありがたいし誇らしい」
「玉埋鉱山にまつわる悲劇を記録としてきちんと残してこそ、子孫が同じ痛みを味わわずに済むと思う」
と、朴会長は、この記念碑建立に当時の想いを馳せたとのコト。
又、悲劇は、海難事故で有り、鉱山では無いと思うのですが、何故かこの鉱山を自然・文化遺産として遺す運動もしているとのコト。
てか、鉱山を掘ったのは日本企業でしょうに…何で、隣国の自然・文化遺産なの?
――玉埋山中腹の鉱物倉庫は、韓国ナショナルトラストによって2017年の「今年の必ず守るべき自然・文化遺産」に選ばれた。
玉洞里の海辺にある高さ10メートル、幅30メートルほどのコンクリートの構造物などは、日帝収奪の歴史的証拠だ。
海南郡は2019年に鉱物倉庫や鉱山などに登録文化財の指定を受け、歴史教育の空間として利用しようとしたが、一部が学校法人朝鮮大学の所有であったため実現していない――
として、未だ、実現には至っていないようです。
これに対し、朴会長は、下記コメント。
「日帝強占期の痛みと平和を伝える空間となることを願うばかり」
アイゴ―…。
反日の為なら、形振り構わず、労力を惜しまず…。
このような話や団体は、隣国には数多有るのでしょうね?
まっ、無くても作り出すでしょうが…?
おしまい
Posted at 2023/10/12 07:15:11 | |
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韓国 | 日記