自分にとっては大事な内容ですが...
いまさらだし、長いし、
興味ない方は遠慮なく黙殺してくださいm(._.)m
最近の自分の変化。
他人に趣味を聞かれたときには躊躇なく
「クルマのレースやってます」
そう言えるようになりました。
レース経験は茂木での耐久に限られるし大した戦績も残せていません。
でも4年間8回のレースを経て、
今の自分ならトップには程遠くてもアマチュア草レースではまあまあのレベル。
そんな気がしています。
今年の12耐は終始自信を持ってドライブすることができました。
その気になればずっと速いタイムで走れるという確信のもと、
クルマを削らず安定したタイムを重ね次のドライバーに渡すことに専念。
全てに余裕ができたのです。
数年前は街乗りしかしなかった私にとって、これは奇跡に近いこと!
2008年夏
わけもわからず勢いでCCJを立ち上げ
2008年秋
ぽるふりさん企画Crazy Run群サイにてほぼ人生初となるスポーツ走行。
井尻プロの同乗走行を経験。
2008年冬
そのまま流れに任せてFSWショートコースを初走行

この頃まだ、自分にとってモータースポーツは夢物語の別世界でした
なにしろ精一杯の背伸びでやっとケイマンに乗っていたのです。
ブレーキパッドの交換だけでヒーヒーでした。
でも徐々にスポーツカーの楽しさに魅かれてました
そんなとき、
未だに何故誘ってもらえたのかわかりませんが縁あって
国際サーキットのデビュー走行が雨の耐久レース!?
2009年春の3耐

MG-FオーナーKinmeさんのまたとないご厚意に甘え走ってしまったものの、
1スティントに4度もスピンする騒ぎ(苦笑)
自分がサーキットでレースなんて最初で最後のことだと思ってました。

ただレースを続けることは無理にしても
モータースポーツの楽しさをもう少しだけ知ってみたい。
だから当時の自分にできる精一杯のことと思い、

アニョキングさんに誘ってもらったカートレースでコツコツお勉強!
だけのつもりが、
縁は更に繋がり、
2009年夏の12耐
みん友SHIBAJUNさん率いるJ's のレースにサポート参戦
のつもりが...
なりゆきで...
人生2度目のドライバー参戦!(爆)
子供の頃から憧れたサーキットにどんどん魅了されていく自分がいました。
そうこうする内にBBさんの名刺を見てひらめき、
自分もアマチュアレーシングドライバーを名乗れるようになりたい!
2010年の正月ブログで大それた宣言をしてしまうのでした。
ただ、私のような普通のサラリーマンにできることは知れてます。
はっきり言ってケイマンでサーキット走行する余裕はない。
つまりレースするためのクルマすら無いのです。
チューニングやセッティングのことなんてサッパリわからん。
限られたお金と時間の中でレースカーを手に入れ、
ドラテク・知識・経験を身に着ける方法は?
あまりに大それた目標に途方に暮れる中、
またまたSHIBAJUNさんのご厚意に甘え
2010年春の3耐
J’sでちゃっかり人生3度目のレース
そうそうこの夏、アマとして耐久レースをトコトンやるとどんな感じかもお勉強させてもらいました。
スーパー耐久ピット観戦!
2010年夏
4度目のレース12耐ではJ’s感動の初完走!!!
そしてこのレース直前、
SHIBAJUNさんからの運命のメールで私の世界は一変するのでした。
「もし良かったらボクのNAを買ってくれないですか?」
SHIBAJUNさんが丹念に仕上げ、既にレースできる状態のクルマ。
望んだところでまず無い話でした。
有志を募ってレーシングチームを作れば少ない負担で一気に学べる!
チャンスを逃したくない一心
背伸びしまくりで新生J’s Racing耐久チームを立ち上げたのでした。
ただしチームで割り勘とは言っても、
せいぜい1年くらいしかサラリーマンの財布はもたないかも?
なんとかして1年後の12耐で満足な結果(シングル)を残したい!
以来クルマのこと、ドラテクのこと、レースのこと、いろいろ勉強しました。
FSWでもちょくちょく練習やデータ取り。
そして初戦
2010年冬の3耐
新生J’s初参戦で総合15位
この時点で既に5度目のレース。
私自身、もうスピンを心配するレベルではなくなっていましたが、
正直チームリーダーとして恥ずかしい走りはできないという気負いがあった。
だからこの頃の私はまだタイム至上主義でした。
その後FSWや袖森の練習でタイムを伸ばし続けました。
なんとか結果を出したいと、
殆ど私のわがままでエンジンオーバーホールまで行い
レーシングドライバーとしてのカタチも押さえ、
震災のドタバタもありあっという間に勝負の時は来ました。
しかし...
世の中そんな甘くありません。
2011年夏の12耐
なんとチームリーダーの私がイエロー追い越しの悪夢...
ラップタイムは立派でしたが順位は残念な総合16位。
これではとてもレーサーなんて名乗れません。
ただ冷静に振り返れば、
ペナルティー無しでもあれ以上はクルマがもたなかった。
結局、J’sにはまだシングル完走できる実力は無かったのです。
これがタイム至上主義から離れるきっかけになりました。
まだまだ学ぶべきこと、やるべきことがある。
そう感じ、なんとかあと一年頑張ろうと決心したのでした。
それ以降の私は12時間きっちり走りきるための仕組み作りに集中。
FSWに練習に行ってもやることと言ったら耐久走りと燃費データ取りでした(笑)
2012年春の3耐
総合12位フィニッシュ
もっとイケイケでやればポジションを上げられるのはわかってましたが、
はっきり言ってこのレースも12耐を見据えた練習でしかありませんでした。
チーム全員、レヴ縛りと耐久走りの修業!
ということで、もはや3時間を完走しても大きな感動はありませんでした(笑)
そしてとうとう迎えた勝負の時。
2012年夏の12耐
装備的にも万全を期し挑んだレース、
229ラップ総合21位。
チームの順位は諸々のトラブルで揮いませんでしたが...
ようやく全てのスティントでほぼ思い通りの走りができました。
昨年とは全く違う自分。
ようやくレーサーになれたと実感しました。
しかしそれと同時に
目標を失ってしまいました。
継続は力なりといいますが...
来年シングルを取りに行ったところで自分がやるべきことは大して変わらない。
こうしてブログに整理してみて再認識したのですが、
自分がJ’sでやりたかったことは既に達成してしまったのだと思います。
それじゃこれから先、何を目指すのか?
趣味の話だし、そんな気張って考えなくて良いのかもしれません。
でも自分は仕事も趣味もやるなら一生懸命やりたい。
そういう性分なのです。
だからどうしても仕切り直しが必要でした。
幸か不幸か、今の私にはもっと時間と情熱を注ぐべきことがあります。
それらを中途半端に終わらせるわけにはいかない。
だから
J’s耐久チームを解散しようと思います。
モータースポーツは生涯の趣味として考えていきたいのですが、
まだまだ長い人生。
一旦クールダウンします。
J’sに関わった全ての皆様に感謝します。
本当にありがとうございました。
P.S.
J’sロドスタ売ります。
そのままレースできる完成度の高いクルマです。
興味のある方は連絡をください。
