2010年06月19日
初稿:2009-1-19
1991年当時、中免で乗れるバイクで人気のあったのは・・・・・
NSR250Rを筆頭のレプリカ系、TZRやVFRも人気だっだけどレプリカではNSRが一番だったかな。次にスティードをはじめとしたアメリカン、ビラーゴやレブルが続いていたかな。
後はゼファーのネイキッド系、R1-Zはスポーツ系かな、SRは当時そんなに人気が無かった気がする。
そこで、次の愛車を何にするかだったんですが正直買う金を稼ぐのに必死で、本命はありませんでした。
あえて言うならCBR400RRやFZR400RRが欲しかったんですが溜めた30万じゃ全然届きません。当時はまだ中古バイクの通販は流行ってなくて(田舎ですから)都会から安い中古車を買うというのは現実味ありませんでした。(急いでいたのもあったし)
例によって赤男爵やら車で1時間の範囲内のバイク屋をめぐろうとしたんですが・・・・・・。
最初に寄ったバイク屋でどんなバイクを探してますか?と店員に聞かれ中古バイクコーナーに無いのを知りつつ、つい「GPZ400Rみたいなフルカウルツアラーがいいですね」とホントに気楽に応えたら「丁度、先日入庫したのが今倉庫にあるんですよ、みますか?」となった。
倉庫に行くと88年式の黒い3型のGPZ400Rが置いてあった。
下取りだか買取で引き取ったままで、これからきれいにして並べるところだったようです。
車検が後3ヶ月で切れるので前倒しで車検を取ってバッテリー&タイヤ前後新品交換で35万でどうだ!ということでした。・・・・・・・予算は30万、さてどうするか?車検証についてた自賠責の名義を見ると前オーナー女性らしい、ということはあまり手荒く乗られていたとは思えない、これは買いだろう!と思い、親に拝みまくって5万借金して買うことになりました。
ところが余りに入庫間もなかったので、整備&車検その他で納車には10日ほど掛かる事になったのです。当時、試験の関係で後3日で下宿に帰らなければならなかったので泣く泣く納車後、乗って下宿に帰るプランは頓挫したのです。
バイクはあるのに取りに帰れない、このムラムラした状況を打破する為に・・・・・・(以後続く)
Posted at 2010/06/19 19:41:53 | |
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2010年06月16日
初稿:2009-1-18
親が原付としては極めて高価なTZRを親が買ってくれた背景として、
1、中途半端に妥協したバイクを買い与えるといずれもっと大きなバイクを欲しがる。
2、危険なので50cc程度で満足していて欲しい。
3、ここで無理を聞くことで息子(私)も下手に出て大きなバイクへの乗換えを言い出さないだろう。
という読みがあったようです。実際TZRの盗難さえなければ大学生活をTZRとともに楽しく終え、就職とともに4輪に興味も移り2輪への興味も歳とともに薄れていった可能性は高いです。
親も盗難を機にバイクはやめておとなしくしてくれることを祈っていたようです。
ですが、まるでこうなることを予期していたかのように私はTZR50が盗難される直前に、実は中免(当時の呼称)を取っていたのです。
親に対する大義名分として「MTバイクの正規の教育を受ける意味で中免を取りたい」を掲げ、近所の教習所が2輪コースを始めたのをきっかけにちゃっかりと取得していたのです。
で、当然のごとく次なる愛車が必要と(欲しく)なり免許もあることだし250ccか400ccに乗ることを前提に親と交渉しました。
結局、購入資金を負担しないことを条件に許可が下りました。(つまりは自分で買えということ)
どのバイクを買うかは二の次として、購入代金を稼ぐ為バイト漬けの毎日が始まりました。
当時、1日1万を稼げるバイトは殆どなく予定の40万はなかなか貯まりませんでした。
年明けに帰省した時にはニューバイクが欲しかったので、年末年始無理して働き稼ぎ出した30万を握り締め実家近くのバイクの中古車屋めぐりをしました。
そこで、第3の愛車に出会うことになったのです。(以後続
Posted at 2010/06/16 21:38:45 | |
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2010年06月16日
初稿:2009-1-15
大学に入学したものの、下宿から大学までは約4.5キロ。
しかも最後の1キロは山登りというとんでもない立地でした。
入学当時バイク通学が許可制でOK!などとは露知らず、夏休みまでは自転車で通ってました。
メットINスクーターでも買って御気楽なバイク通学・・・・なんて考えてましたが、夏休みの自動車学校(4輪)で再会した幼馴染がRZ50を乗り回していたのに刺激を受け、「やっぱバイクはMTじゃ~」と方針を180度修正。
当初本命はNS50Fでした。NSR50はフルカウルでカッコよかったけどポケバイみたいに見えて却下(親も小さくてナンバーがつくとは思ってなかったようだった)でした。
親戚がヤマハのパートをしていたのでヤマハなら社員割で安く買えると言うので、DT50を勧められたりもしましたが、NS50F本命でいました、あのバイクを見るまでは。
下見で地元の中古バイク屋や赤男爵をめぐり歩くうち、でたばっかりのTZR50に一目ぼれ。
当時最も高価な50㏄だったので親は難色を示しましたが(遅くなった入学祝で買ってもらえることになっていた)結局は第2の愛車となりました。
しかし、当時の私はMTのバイクに乗ったことがなかった為、納車当日国道でエンストしまくる!などとんでもないデビューとなりました。
納車当日2~3キロ地元で走った後、次の日には家のライトエースに乗せ奈良の下宿までトランスポートされました。TZRとのバイク生活はその3にて
Posted at 2010/06/16 21:36:14 | |
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2010年06月16日
2度コピペした他のブログ移植(もちろん自分の)試みましたが、なぜか削除されるので1話づつ移植してきます。
初稿:2009-1-15
免許を初めて取ったのは大学入学直前の3月頭。当然原付免許で、身分証明書の代わりに取った免許でした。
ところが、免許があれば乗りたくのが人情というもの。親戚に乗っていないスクーターがあって、くれるというので親に貰ってきてもらいました。
そのスクーターがホンダのハミング。ただでくれると言うので期待はしていませんでしたが、案の状のオバサンスクーターでした。とはいえ初めて乗るエンジン付きの乗り物にサルのように乗りまくりました。50キロ程度しか出ず、隣町ぐらいまでしか出歩かなかったものの入学までの1月足らずに大分乗りました。期間的にはホントに短い間だったけれど初バイクということもあって印象に残るバイクでした。
ただ、当時の私はバイクにはまるで無知で2ストのハミングにオイル警告灯が点くたびに農機具用4ストオイルを継ぎ足していたのは笑い話を超えています。そのせいか、次に貰われていった別の親戚ではロクに走らないとの理由でまもなく廃棄されたそうです。ちょっと悲しい後日談でした。
後に出てくるモトコンポと同じ形式のエンジンを積んでおり、今でも残っていれば部品取りに重宝したことでしょう。今となっては少々因縁を感じるバイクでした。
っで、次のバイクは入学後、通学用のバイクとして活躍するのでした。
その2に続く。
Posted at 2010/06/16 21:34:32 | |
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