雨と霧の中で残念でしたが幻想的な松山城攻城だった前回ブログ
松山自動車で愛媛県を脱出し高松自動車道経由で香川県へ戻ります。
途中小腹が減ったのでSAで「じゃこカツライスバーガー」なるものを購入。
美味しかったけど火傷する程熱かった😡そしてちょいちょい見かける蛇口からミカンジュース。
次の現存天守の『丸亀城』に向かいます。豊臣秀吉に信任された生駒親正によって慶長2(1597)年、讃岐の本城である高松城の支城として亀山に築城が開始される。
元和元年(1615)廃城~寛永20(1643)年再建~万治3(1660)年天守完成。高さ15mと日本一小さい天守。
大手門近くの駐車場に停め石垣の上の天守が迎えます。雨の中攻城開始です。
大手二の門を潜ると四方を囲まれた防御と戦略上に理由でつくられた桝形があり右に折れると大手一の門があります。門の上に櫓を備えた二階建ての櫓門と呼ばれる構造。
整備(観光化)された道を進みます。キャラクターも当時の城主である京極氏と名産の骨付き鳥が😏


高石垣(三の丸北石垣)高さ20m以上あり、隅角部は算木積と呼ばれ、長方形の大きな石を角石に用い、大面と小面を交互に組み合わせ小面の角石の横には角脇石を配している。
石垣下部は緩く、上にいくほど急な勾配となり「扇の勾配」と呼ばれ丸亀城の特徴です。



三の丸は二の丸・本丸を鉢巻き状に取り巻く曲輪(くるわ)です。天守方面へ
二の丸五番櫓跡
二の丸跡はたくさんの桜の木がありました。ここから天守はもうすぐです。
天守の全貌。三層三階櫓で本瓦葺、高さ15m。一階には雨風に強い下見板張りが施され。二階の唐破風。三階の入母屋破風・千鳥破風の装飾。

かつて天守の北側は三の丸から二の丸に上る裏口通路であったため、防御を固めるため石落としあ矢や鉄砲で攻撃するために開けられた△や□の狭間が設けられています。趣ある天井を見て階段を上ります。
漆喰が厚く塗られ、鉄砲の弾丸が貫通しないよう防御力を高めた太鼓壁。
四隅に建てられた隅柱には添柱が建てられ、地震など生じる水平方向の歪み防止有効な燧梁(ひうちばり)がかけられています。

最上階の3階は天守の中でも最も狭い空間。しかしなんか落ち着きます。
梁が素晴らしい🤩昭和の解体修理をした際南東隅の壁の中から祈祷札が発見され、そこには万治3(1660)年の年号が墨書きされていました。




堪能して下ります。珍しい色の紫陽花が綺麗に咲いていました😲

攻城で腹も減ったので讃岐うどんを食べ金刀比羅さんに向かいます。
ご覧いただきありがとうございます🙇
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Posted at
2025/06/26 07:38:22