別名「白鷺城」と呼ばれ日本初の世界文化遺産に選ばれた「姫路城」
2023年には登録30周年を迎えました。一度も落城や災害に見舞われる事なく日本にある現存天守12城の内の1城という凄いお城。
更に石垣や堀以外の殆どの建物が木造建築で配置や構造・装飾の美しさは世界屈指と評される。日本独自の城郭構造が残存している姫路城
入城口で料金(大人1000円)を支払い攻城開始。広い城内には見所が盛り沢山で事前予習が必要。
「菱の門」城内最大の門で片側だけ石垣の乗る珍しい安土桃山様式🤔 門名の由来とされる正面の冠木に飾られた「花菱」花びらを菱形に組合せた模様。
「いの門」約7m幅で脇戸付き慶長期頃(1596~1615)の古い様式で冠木を本柱2本に直接載せた旧式の高麗門。
「ろの門」約9m幅で「いの門」同様の脇戸付きの高麗門。
「将軍坂」
正式名称ではなくTVの「暴れん坊将軍」で江戸城として撮影で使われた事から呼ばれる。姫路城と江戸城が色と構造がそっくりだったといわれる。
但し改修工事の為全貌が見れず残念😓「ろの門」を通過した敵を狭間から狙い撃ち。通過した敵は此処で対峙する。更に天守閣がすぐそこだと錯覚させる様に造られています。
将軍坂を突き当りを90°左に曲がった先の幅約8mの門、突き当りが狭いスペースで身動きが取り辛い。更に進むと石垣が出張って行き止まりと思わせる。門は改修工事で足場が組まれて全貌見れず😩
「はの門」から次の「にの門」へ石垣の土壁沿いに進み突き当りをヘアピンカーブのように進む事で敵の攻撃力を削ぐ仕掛けだそうです🤔
「東方下土塀」をUターンで進むと天守に背を向けた先にあり、敵兵を惑わせる難解な門、天井が低く内部で右に曲がっている構造。槍を持った兵士は通り抜けが困難、更に櫓門の天井からの攻撃が可能。
「ほの門」
天守閣を目の前にした「ほの門」石垣の土塀の下の一部を切り取ったした埋門は現存。門自体は鉄門で片開きの鉄扉一枚で敵来襲時に直ぐに閉められる様になっていて耐火装備も備えている、さらに入口から真直ぐに急な石段。
石垣の上には油壁で粘土や砂利を何層にも重ねて造った土壁で、防弾・防矢性を備え秀吉時代のものとされている。
「姥が石」
「ほの門」をくぐって右手秀吉が築城の際、石不足で困っているのを餅屋の老婆が聞きつけ石臼を差し出したとされる石。確かに石臼の半分のよう🤔
大天守の前まで通じる、水の一門から六門まである。いずれも防備のため人がすれ違いにくい小さな門。
「水の門」を抜けると大天守ですが見所が多いので別途アップする予定。
「備前門」
本丸出口にある備前丸を守る為の門。石不足の為石垣の角には古墳から運び出された石棺を利用したと云われる。
「帯の櫓」「りの門」
「備前門」の南東に位置する入母屋破風を備えたコの字型の「帯の櫓」井戸や「腹切丸跡」があるが実際はそうではなく捏造らしい。正しくは「井戸曲輪」
画像奥が「りの門」秀吉の義弟、木下家時代のものと伝わる。



「お菊井戸」
「りの門」をくぐると二の丸に「お菊井戸」女中のお菊が家宝の皿一枚を紛失した罪を着せられ、井戸で殺された播州皿屋敷怪談。お菊が皿を数える声が聞こえるという井戸がある😱
15m~20mと結構深いです。逸話であって史実ではない・・・らしい
「ぬの門」
二重の櫓門で全国で現存するのは姫路城だけと云われる・・・がピンボケ😢
抜けると人の顔のような「鏡石」眉・目・鼻別名「人面石」とも云われ呪術的な意味で積まれたとも・・・
「るの門」
「ぬの門」を出て左手にある急な階段。別名「穴門」目立たないので隠し門で敵に悟られないように出撃で奇襲、撤収に利用したかも・・・更に崩せる様になっている😲
「るの門」を出て左手にある石垣で、真直ぐカットした稜線がある。右が秀吉時代、左が池田時代に積まれたもので時代の違いがわかる。
「三国堀」で見学ルートのゴールとなります。堀と石垣と大天守を背景にした撮影スポットです。けっこうヘロヘロです😅
次回は大天守編を予定しております。ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2024/10/26 07:09:06 | |
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