姫路城の要塞の様な城郭から大天守にたどり着くまで当時であれば幾つ命があってもたりないと感じた城郭編
城郭の堪能してようやく大天守内に入ります😤外から5階建てに見えますが、内部の造りは地上6階・地下1階の7階構成になっています。
白鷺城と云われる大天守は太平洋戦争中、敵の標的にならないように黒い網で覆われた事があり、2度の大空襲に遭いながら戦火を免れた。更に米軍の焼夷弾攻撃を受けたが偶然不発弾だったことが近年判明😱
見上げると大迫力の大天守が🤩先ずは入城あるあるで入口で靴を脱ぎビニールに入れます。
1階は天井が高く屋根を支える為の梁に丸みを帯びた肘木が並ぶ。職人がどこに使うかを刻んだ「刻み番付」がある🤔
「六葉釘隠し」長押などに出ている釘の頭部を隠す為の6枚の葉をデザインし葉と葉の間には猪目とよばれるハート型の隙間ができます。
「石落し」1階隅の3か所にあり石垣に来た敵に石を落したり射撃の設備。
「二重の扉」天守への出入り口4ヶ所のうち2ヶ所は1階にあり、外側と内側の扉の二重の防御が施されている。閂をかけると進入不可能。
2階は天守入口に架かる入母屋破風の屋根裏空間。「武具掛け」武器倉庫の役割もあった。「破風の間」は敵と対峙する屋根裏部屋だった。
3階は姫路城を貫通する2本の大柱。東大柱と西大柱。当時から地震の横の力で建物が押しつぶされるのを防ぎ強度を高めるために筋交が使われていた😲
「武者隠し」
建物四隅に伏兵を配置する空間で、内部には狭間が設けられています。



4階「石打棚」床から一段高い場所に設けられる。高い位置の窓から敵を攻撃るす土台で東西南北に配される。
5階の姫路城を貫通する「西大柱」昭和の大修理で鉄板で補強。「千鳥破風」は屋根裏部屋。明かり採りの窓からの風が気持ちいい😏
6階 「刑部神社」姫山の地主神。近代になって天守内で祀られるようになった。江戸時代はとの二門と三門の間の小高い場所に鎮座していました。
お詣りしましたので降ります。
宮本武蔵が名前を隠し足軽奉公をしていた頃、天守に妖怪がでる噂が出て武蔵が退治し姫路城の守り神、刑部明神が現れ妖怪が恐れをなして逃げていった事を伝え、褒美として白木の箱に入った郷義弘の名刀が与えられた。
昭和の大修理の際に軸組構造模型が1/20で作成。この配置や構造・装飾の美しさは世界屈指と評される。
大天守から備前丸(本丸)に続く階段からの大天守と西小天守と乾小天守
備前丸(本丸)の広場からの大天守おススメ撮影スポット。昭和の大修理から45年後「平成の修理」と呼ばれた保存修理工事は約5年掛かり、総工費がなんと約24億円😱
本丸から「ぬの門」「るの門」を経由して「三国堀」の撮影スポットで、水面に映る石垣と塀がいい🤩「白漆喰総塗籠の壁」火災に強い石灰を使った白漆喰の壁。城を大きく見せる効果ある。
「菱の門」を出る手前に西の丸へ向う階段があります。その先に「百間廊下」入口。由来は廊下が百間(約180m)以上長いことからとの事。
千姫(徳川家康の孫、2代将軍秀忠の娘)に仕えた侍女たちが住んでいたところ、終点には千姫の化粧料(持参金)で築かれたと云われる櫓、化粧櫓がある拝観料200円が別途必要。
千姫は本多忠刻と再婚し、西の丸で過ごした日々が人生で一番幸せな時期だったと云われている。だが夫と息子を若いうちに亡くして最後は尼となった😔
天守閣編終了。青空にそびえる姫路城をしっかり目に焼き付けました😤
このあと帰郷編に続きます。
ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2024/10/27 07:09:34 | |
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