7月で17℃と寒い程の美ヶ原高原の絶景を堪能した前回ブログ、途中行きと同じく霧の中を通り下界に下りると気温は27℃😲諏訪湖畔まで来ました。
街中の狭い道路を通り「高島城」横の駐車場に停めます。然程広くないので休日は直ぐ満車でしょうね🤔
民家の直ぐ横にあります。公園も併設してあるので散歩で利用される方が多く見受けられました。駐車場から見上げると天守が😎
車を降りると眼の前に石垣の間から入る事が出来ますが折角だからお濠側から回って見ます。でも石垣を通りたかったので一度通ってから戻りました😅
入口から入ると階段があり上ると駐車場が見えます。トイレのネーミングも『浮城手水庵』とはしゃれてます。
お濠と橋と天守閣を望みます、良いです。ゆるキャン△聖地のひとつです。 三枚目は隅櫓と武者溜まりです。
橋を渡りると築城当時は冠木門(柱の上部に一本貫を通した簡単なもの)だったそうですが絵図には楼門や高麗門のような屋根付きであったそうです。名前のみ残ったようです。1970年に天守とともに復元されました。
310円払って入城です。「高島城」は築城当時周りに湖水と湿地に囲まれ諏訪湖中に浮ぶ様に見えとから「浮城」と呼ばれました。
本丸には三層三階の望楼型天守が建てられましたが、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きだったことも、高島城の大きな特徴です。
湖畔の軟弱地盤で重い瓦が使えなかったからとか、寒冷地である諏訪では瓦は凍み割れてしまうからとか言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。天守からは諏訪湖や街並みが見えます。
城内は展示室になっています。諏訪支配を復活させた諏訪頼忠は武田氏滅亡後に徳川家康に帰順。その後国替えに武蔵国奈良梨・羽生・蛭川(現埼玉県)へ、のちに上野国惣社(現群馬県)に移されました。
代わって諏訪の領主となったのが、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉で諏訪湖畔の高島を城地と定めて天正20年(文禄元禄)頃から築城にとりかかり、慶長3年に完成されたと考えられます。
諏訪地域の山城がこんなにあるのでビックリ😲現在は殆どが😔山林です😔
「三の丸御殿裏門」と「石集配湯枡」 城内の三の丸浴場に、引湯のため木樋を継ぎ、集湯・配湯をした石桝。
諏訪護国神社にお参りして御朱印を頂こうとしましたが開いてません。呼鈴を押すも反応なし・・・諦めました😓 拝殿横の神楽殿、その前には御柱祭の柱が祀られてます。後から確認したら開所は10:00からのようでした・・・
程よく汗💦をかいたので重要文化財の温泉片倉館に続く・・・ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2023/07/14 07:11:35 | |
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日帰りドライブ | 日記