
かれこれ8月の第1土曜日が毎年恒例だった集会。
もう閉会にって知る人はもう少ないだろう。
クマさんが参加したのは2001年に初めて顔をだしたのだ。
その前はゲリラ訪問して帰宅が夜・・・・・
通常の方ではまず無理だろう。
そしてこんなヤツが親族だって信用されてない。
クマパパの話では?
クマさんの祖父の姉が嫁いだ先が浮谷家だそうだ。
花嫁道具を船に積んで嫁ぎ先まで泣きながら嫁いだそうです。
結構1世紀以上前の話になってしまう。
何故1世紀以上前なのか?
それは2001年当時の春先祖母が100歳を過ぎた頃他界して今生きてれば120歳くらいに成ってる。
それに祖父は10歳ほど年上で姉貴はもっと年上だったそうです。
なので祖母の話を聞いた範囲では大正時代よりも前の明治時代らしいです。
うすら覚えでの会話の中で困ったのは記録が残ってない。
明治の後期に墨田川が氾濫し多くの死者が出て迂回する河を建設するにあたって祖父の邸宅が工事予定のエリアに入ってる関係で今の墨田区と葛飾区へ二分して区画整理を。
その土地が今も残ってたら・・・・・数100億円規模だろうが?
世の中はうまく出来てて年を追うごとに減っていく。
葛飾区は細田・奥戸付近に四ツ木から上のJRの常磐線付近辺りまでの土地が有ったと?
大正の半ばに二分してるのであの荒川放水路に成ってしまった土地は国が買い上げて当時の金額で・・・・手取りが200円。
そこから180円で隅田村に郵便局を作って行政指導が入りそれから質屋に・・・・・
祖父が他界してから大谷石で造られた質蔵が40年ほど前に都内に3か所しか無かったとしか聞いてない。
今取り壊されて存在はしない・・・・今残ってればクマが・・・・・
詳しいデータが質札しか無いので帳簿すら70年代のオイルショックの時にすべて処分したらしいのだ。
そうだ・・・・隅田村・・・・・東京府東京市当時の墨田?
祖父の親父と地主の有志5人で造ったのが今の墨田区の起源。
クマさんから見れば解らない事ばかりだし?
多分だ墨田区の資料館に記録が有ればだ・・・・出てくるだろうな。
それから隅田七福神の多門寺・・・・・
昭和11年吉日に今の本堂が建てられたのだが棟上げ式に使われた小槌がクマ宅の棚に放置されてる。
もしかしたらだ・・・・・今の多門寺のオーナーに見せたら速攻で奪われるだろう!
それにまだいろいろと資料が有るのだが?
墨田区へ寄贈した方が良いかな?
さて・・・・・東次郎クラブの再建?
これ姉の朝江さん次第だな・・・・・2005年で閉会にしちゃったんだし・・・・。
随分とクラブ員が流出して来なくなったんだ・・・・・・
教会も一時は稼働できない程衰退してたが救世者が来てから再建したがクラブはもう再起はしないだろう。
画像はDPEから複写の画像なので鮮明に見える様で実は1/4切りサイズの大きな写真からの画像に成る。
顔には黒い線が入ってるが気にしないでください。
それと真ん中に分身熊とクマさんが?
2年ほど前から修繕中の黒とパステルグリーンのモタードで熊って解ってしまうのだ・・・・・
( ̄(エ) ̄|||) どよ~ん
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Posted at
2020/04/15 21:46:08