
まずは身内じゃないと夜間訪問が不可能なエリアへ。
叔父がレースで使ってた車両のレプリカがS800・・・・
S800の販売時展示車両がトヨタより浮谷家へ寄贈だった車両だったかは間接的に聞いてるだけなので確かではないが憶測では?
叔父の東次郎が他界し悲しんでる家族へトヨタ側がプレゼントした話を聞いてたので確信性は無いです。
あの当時の事を知ってる式場さんに他数名はもう居ないし・・・・
真相を知ってる人は存在してないんじゃないか?
さて・・・船橋サーキット・・・後にバブル期はザウススキー場に成ってその後は何かの造形物に成ってるがもう出向いてないので解かりません。
さて99年の夏場だったか・・・・・
8月だったか9月だったか夜に成れば暑さが和らぎ風が有れば涼しかった記憶が残る。
そんな日の夕方訪問し夕食をごちそうに成って帰宅前に撮影した記憶画像がこれだったかな?
S800はレースで使われた車両と違い市販車ベースのレプリカで中身で言えば?
外装のボディの厚みが市販車で1.2mmに対しレースに使われた方は0.8mm・・・・
鉄製ですのでかなりの軽量化を施されボディ塗装は今みたいなスプレーや静電気蒸着じゃなく全て刷毛塗・・・・
GT1の白い文字まで刷毛塗だったね・・・・・直に素手で触れたし細かい凸凹だったので。
そして・・・あの当時装着されてたタイヤとホイールは鉄下駄だったけど?
ここのS800はアルミホイールでした。
誰だったかマツダだったか13インチ純正ホイールがピッタリ収まっててしか聞いてなかったんだが誰だったか定かではない。
実を言えば今現在閉鎖に成って解体してるメガウェブにてレストアされたS800が奏功した小さなサーキットが観覧車の真下にありまして・・・・
今から20年近く前イベントで色んな車が走りました場所でS800オーナーズクラブのメンバーの方が提供してくれたホイールセットで走行したのを見ました。
あの当時のタイヤって扁平が70や80が主流でして今みたいに扁平が30とか40なんて存在して無かったし。
昭和40年代の車では考えられなかったのだ。
そしてロータスエラン・・・・
分身熊が屋根に載ってるけど?
こちらはまだ当時のままでS800同様に保管されたままブレーキ系統は完全に固着してる。
それだけ長い年月置かれたまま・・・・・言い換えれば400GT2x2も同じ場所に放置されてました。
微かな記憶だけど400GT2x2のドアを開ける時のキーがドコソコのカギと同じで簡単に鍵屋で複製が可能じゃんって程板鍵のキーだったんだ。
ドアキーとトランクにイグニッションキーが別だったかは記憶に?
今所有してるCAGIVAのキーセットも3種類だった80年代の車両も・・・・何故か共通してる。
キーロックと何かしてドアノブを引いたら軽く開いて閉めると重圧感のあるドアだったしか。
滅多にドアを開ける事が無い朝江さんたちは自動車免許取得して無いしそもそも動かせないので・・・・。
この撮影した時おかぁちゃま健在だった記憶が微かに残ってます。
あっ思い出した・・・まだTOJI'S CLUBが有った当時だから8月の第1土曜日・・・
市川・松戸・三郷の花火大会と重なって帰宅困難だったしか・・・・。
20年以上前なので記憶が多少違ってるかも知れないな?
今は無き無限ホンダの取締役とは従弟宅が初対面で確かではないが内密的な会話がちらほら喋る社長だったしか記憶に残ってない。
要はおだてればの話・・・・これ内緒ですよって無理かw
きゃははは(T(エ)T)ノ_彡☆ばんばん!
Posted at 2022/11/19 15:32:13 | |
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