
EGシビックを思い出す1週間。
今日のEG4の現役時代の写真は、秋の早朝の一コマです。
何年前だったか、EG4の第2期現役時代に、まだ夜の明けない暗い時間に起きて、日本海方面へ仕事で出かけたときの撮影。
山を幾つも越えて抜け道で走ったのですが、
途中でトイレに寄った山奥の休憩所で何気に撮った1枚です。
朝日に暖められた冷たい山間部の田畑から水蒸気が上ってました。
当時、廃車から復活して仕事専従で月に2,000キロペースで。
廃車にされてからゴミ集積場となっていてメンテもしていなかった状態。
応急的に直して車検取っただけの一般的に言えばボロボロ。
なのに過酷な業務運用に文句も言わずに故障もせずに走ってました。
仕事メインだった第2期時代はドライブで乗ることがほとんどなかったので
遠くへ行くのはこういう出張のときだけ。
だけどその出張が半端でなかったので結局第1期時代のような思い出は沢山。
このシビック、第1期の現役時代には数々の朝がありました。
先のブログでも書いたように、
当時は今の時代で言うパワハラ王国。
反逆軍として先輩と2人だけは逆らってましたが、
毎日のように叱責される上司を見るのはとても辛かった。
仕事は全く楽しくなく平日の朝は憂鬱なものでした。
独身だったので家は寮。
休日に寮にいてもつまらない。
なので金曜に仕事が終わると山へドライブ。
走り屋ではないですよ。
そして夜中に帰ると土曜の昼まで寝る。
朝昼兼用の食事を済ませ、軽くシャワーを浴び、
洗濯などやることをやって昼過ぎにシビックに乗る。
洗面具や念のための着がえ、その他携行品を積んで。
行き先は関東各所。
ある日は榛名、ある日は日光、ある日は軽井沢、・・・
毎週土日は300~500キロの遠征でした。
途中で友達に会う。
当時は32スカイライン、13シルビア、RX7FD、EG、などなど。
一見走り屋集団。
各地へ連ねてドライブ、観光し、行き当たりバッタリの夕食。
そして夜は山で車止めて終了時間未定の大歓談会。
雪降る冬の夜でも何でもあり。
クリスマスの夜には売れ残ったクリスマスケーキを買占め・・・
深夜遅くにそれぞれ自分たちの街へ帰って行きます。
また来週~
みんな異常なまでの行動範囲でした。
別れた後は俺とシビックの世界。
さすがに深夜限界で寝床を探します。
ある週は首都高速PA。
ある週は東名高速PA。
ある週は道の駅。
駐車場所を確保したら持参した洗面具を持って洗面所へ。
トイレを済ませたら今夜のベッドはシビックの助手席です。
朝までのしばしの仮眠。
夜が明けると朝日と通過する車の音で目が覚めます。
雨の日でも晴れの日でも何故かいい朝。
起きたらシビックを降りて前から眺めながら伸びをして・・・
運転再開。
来た道を帰るのはつまらないので寄り道して帰ります。
長い日曜日。
寮に戻るのは夕方。
24時間以上週末はシビックと暮らしました。
一般に言えば虚しい彼女なしの独身生活ねww
でもそんな週末がいちばんゆったりできたんですね。
あれから10年以上。
ああいう職場環境は最低だ。
悪い例を体験した自分は、楽しい仕事の仕方を追求してきました。
それもあのEG4から感じたこともあり・・・。
第20話
今は車と朝を迎えることもほとんど無くなりましたが
好きな車といい朝を迎えることは今でも可能です。
それより大きく変わったこと。
平日の朝が憂鬱な朝でなくなったこと。
あのシビックのエンジンを掛けて運転再開!って朝と
同じような朝が迎えられるようになったこと。
何も飾れないポンコツEG4に見た
「ありのままの姿」
くだらないことを考えて飾ろうとするのでなく
どうでもいい使命感で生きようとするのでなく
そのままの自分で遺体・・・じゃない、いたい。
ただそれだけ。
それだけで今の自分があるんです。
大げさかもしれないけどホントなんですね。
絶対にEG4よりもFD2のほうが良いはず。
だけどEG4はFD2を超えられない存在なのは
これだからなんでしょう。
Posted at 2013/10/25 21:00:19 | |
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