2013年03月02日
珍しくまじめな話です。
2月24日に、トルコ航空の機長オルハン・スヨルジュ氏が87歳で亡くなりました。その事を、一週間近く経つ先ほど知りました。しかも小さなネットニュースで。本来ならば、TVや新聞で大きく報道されてしかるべきです。
若い人は当時の事をご存じなく、信じられないかも知れませんが、以下に書く事は事実です。(私の若干の記憶違い等はあるかも知れませんが)
時は1985年。イラクのフセイン大統領が、「今から48時間の猶予の後、イラン上空を飛ぶ航空機は全て撃墜する」と宣言しました。当然民間機も例外ではありません。当時イランにいた外国人は脱出するため、テヘラン空港へ殺到します。当然各国は自国民を救うべく、続々と飛行機をテヘランに向かわせました。が、日本は動きません。一応政府はJALに邦人救助を要請したのですが、キッパリと断られたのです。曰く、「機材や乗員の安全が確保出来ない。」という理由でした。つまり、JALはイラクにいる日本人全員を見捨てたのです。そういう会社です。
#JALが倒産した時、ようやく天罰が下ったと思いました。
日本政府は他国にも救援を求めますが、当然各国も自国の対応で精一杯。しかも、いつ撃墜されるかも分からないギリギリの状況です。他国民の事など構っていられません。しかも、「何故自国民の救援を自国で行わないのか?」と聞かれても、まともに返答すら出来ません。そりゃそうでしょう。「我が国の航空会社は、危険な所には行かないから、代わりに行って欲しい。」なんて、普通の常識があれば他国に言える筈もありません。(笑)
#この辺りの経緯、後の答弁で色々言い訳してた気がしますが、本当に言い訳です。
JALが駄目なら自衛隊をと思うかも知れませんが、当時は自衛隊の海外派遣が禁じられていました。邦人救出のため、超法規的処置で対応すれば良いと思うのですが、無能な日本政は責任追及されるのが嫌なので、それが出来ません。だから、外国にお願いするしかないのです。当然、そんなお願いを諸外国が聞くはずもありません。
そんな時、トルコに駐在するある商社とイラン駐在大使が、トルコ政府に救援を依頼しました。どの国も断る危険な状況の中、唯一トルコ政府だけが「何故自国で救わないのか」という当然の事も聞かず、トルコ航空機をテヘランに向かわせて、在留邦人全員を救ってくれました。無差別攻撃期限の1時間程前の事です。そのために多くのトルコ人が陸路で脱出する事となりましたが、トルコ国内では日本を優先した事に対する異議は出ていません。世界で3カ国しかない、何かと異常な行動する反日国とはえらい違いです。
2月24日に亡くなったのは、その時の機長です。ひょっとすると、機長はトルコ政府の要請で飛んだだけじゃんと思う人がいるかも知れません。確かにそうですが、この頃はいつ撃墜されてもおかしくないほど情勢が逼迫しており、クルーは全て志願者で構成されていました。話を聞いた場にいた人全員が、志願したといいます。大切な事だから繰り返しますが、JALは邦人救援の政府要請を華麗に「だが断るっ!」キッパリ断っています。まるで岸部露伴。(笑)
そんな大恩人とも言える方が逝去されたのに、日本のマスコミは一週間も無視してるとは、さすがとしか言えません。本来ならば、即日TV、新聞、ラジオ、ネットニュース等、あらゆる媒体で伝えるべきでしょう。そういやはやぶさ帰還の時も、当日に国内で報道及び中継したところは一つもなかったなぁ。
100年ほど前の話ですが、エルトゥールル号というトルコの軍艦が日本からの帰りに嵐で難破した際、小さな漁村の人達が救出に当たりました。貧しい村で食料も乏しく、救助した人達の食料として、卵を産むための鶏まで料理したと言います。これはトルコの教科書にも載っており、100年経った今でも大多数のトルコ人が知っており、その恩返しのために自国民より日本人を優先してくれたのです。なお、日本人を救援してくれた機長の祖父は、その時に助けられた一人でした。
余談ですが、何故トルコ政府が日本人を助けてくれたのか、当時の政府は分からなかったそうです。(笑)
それに比べ、たった30年近く前の大恩を、一体どのくらいの日本人が覚えているでしょうか。当時私は未成年でしたが、日本政府やJALの対応が実に不思議でした。後日にトルコの恩返しを知った時は、衝撃でした。私は今晩の夕食前、子供達にこの話をして黙祷し、決して忘れる事なく次の世代に伝えようと思っています。
Posted at 2013/03/02 17:02:25 | |
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