2013年04月26日
一年に数回の投稿ペースで、今日は三回目。これって、今日のあとは、数年後の投稿を意味するのだろうか。。。
まぁ、どうなるかは別として、表題の話です。
いちにいさん、三日前ですね。生まれて初めて気絶というのを経験しました。
具体的には、下記の通りです。
4月の10日頃、ダンボール箱を開けていました。ハサミを使ってなのだけど、そのハサミの歯の部分を大きく広げて、ナイフのように使ってガムテープの部分を切ろうとしてたんです。
これが、マズかった。
とにかくその時とても眠くて、かなりぼーっとした状態でやってました。
気がつくと、自分の中指第一関節と爪との間をノコギリのようにして前後に切ってんですよねw
その状態になって、初めて気がついたっw
血がやたら出るんだけど、テッシュで強く巻いたら簡単に止まった。
で、このあとの処置も良かったので、また油断をしてしまったんだな。
その三日後、一体どういうタイミングでそうなってしまうのか、神のイタズラか、洗濯機が壊れてしまったんです。
止血完璧、事後処置完璧との油断から、その手を使って、三丁目の夕日の時代よろしくマニュアル洗濯しちゃったんです。
傷口はもう完全にふさがっていると愚かな確信をしているから、ヘイキヘイキ。
で、その後腫れて来ても、すぐ引くだろうぐらいのウカツさ。
腫れ方が卑猥で(写真撮影禁止の形)、自分で面白がってたんだけど、数日放っておくと、痛くて痛くて、これ壊死しかけてんのかって感じになってしまった。痛みに鈍いから、相当ヤバくならないと自分ではわからないのです。
家族に言われて、病院へ。直ぐに切開手術をすることに。ここで事件は起きた。
実は俺、16歳の時に首の付け根にある顎下腺の全摘出の手術をやっているのだけど、その時にこの16歳の少年である俺は、先生に「見れる状態になったら起こして見せてね」と頼む始末。先生も気軽に「いいよ」ってことで、手術中に自分の取り出したばかりの内蔵を見た経験があったんです。
だから、今回も椅子に座って目の前で展開される自分の手術を見てたんです。先生は、見ない方がいいよ、と忠告してくれたんだけど、平気だからと先の経験を説明して、見てました。
実際全然平気だったんだけど、手術が思っていたよりも長いんだな。そのうち気分が悪くなってきて、なんと人生初の気絶をしてしまった。
隣で血圧を読む看護師が最後に、67-47です、と言っているのが聞こえた最後。自分の中での最後の言葉は、「みんなさようなら〜」だったと思う。
気がついたら、床に寝てるw 冷たいんだこれが。
でもね、気絶って、気持ちいいよっwww ホントこれは良いものだと思った。
こんなことがなければ、気絶なんて経験することなかったと思うから、「人生万事塞翁が馬」という言葉を思い出したよ。
これも偶然だけど、16歳の時漢文で習ったものだ。
指切りて〜、人生初の〜、失神を〜、気持ちよすぎて〜、塞翁が馬かなぁ〜
一句できたな。 名句だ!
PS
「風が吹くと桶屋が儲かる」と同じだ。「ダンボールを開けると、気絶ができる」。
Posted at 2013/04/26 00:59:11 | |
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2013年04月25日
えーと、表題の通りなんですが、
「4色型色覚」って聞いたことございますか?
一般の人間の色覚って、RGBの3色型とされてます。白黒は、また話が複雑になりますので、興味を持たれた方はぜひ調べて見てくださいね。色の三原色。光の三原色、もついでにお調べ下さい。頭がうにになっていきますよw
ピンは、子供の頃からどうも色の見え方がみんなと違うらしいと思うことが良くありました。自分自身の右目と左目は見える色が違うのです。当時は両眼2.0ありました。また、左右の目が取り入れている光に量も違うらしいことに気がついていました。2.0の視力でも、左右の目で物の見え方の明るさが違っていたのです。
自分でさえ左右で見え方が違うのだから、他人同士が同じ色を見ているなんて信じませんでした。ましてや、人種が違う虹彩の差が、感じる色に影響しないなんて根底から信じていませんでした。
http://matome.naver.jp/odai/2134037291497843801
このサイト一読下さい。面白いと思います。
さて、ここからが考えて頂きたいことです。
人間は主に、外界からの情報を目で得ていると言われています。割合については諸説ありますが、70%が光(視覚情報)、音(聴覚)が20%、他の10%臭覚他です。
ピンは、ずっと思っていたことがあります。例えば愛犬の世界観は、どうなんだろう?
犬は一般に2色視覚と言われています。そして、耳がメチャ良いです。臭覚なんて、比べ様がありません。
同じ景色を持つ空間を見て、その脳に描いている景色はかなり異なるのではないだろうか?ということをずっと思っていました。今も思っています。
匂いでつかむ三次元空間、です。こうもりなんて、ほぼ音です。人間はコウモリが見ているものを理解しようとしてそれをモニターに写して、「これがコウモリの見ている世界」なんて紹介していますが、脳の構造が異なり、聴覚というセンサーを通して得た情報の処理の仕方が人間の脳と異なるだろうことを仮定したら、そんな風に見えているなんて可能性は相当低いと思った方が正しそうです。
さて、するとです、目の前にある空間が現実に存在するとして、あなたの見ている世界は(または見えていると思っている世界は)実は本当はまったく異なる空間かもしれないという事実というか、可能性に突き当たります。
例えば、シャコの見ている世界。シャコは、人間が持っている光に対する3色型センサーをはるかに凌駕する11色型とも12色型とも言われる原色センサーを持ち、赤外線から紫外線だけでなく、偏光まで捉えていることが分かってきています。しかも曲偏光までも。(ピンは、あるレストランでおごって頂いたシャコのフランス料理がもう一度食べたいですw 自分では行けません(泣))
シャコがそれだけの光のセンサーから集めた情報を高度に処理し空間認識を出来る脳を持っていると仮定したら、同じ空間を人間と同時に見て、同じ様に見えているはずがありません。
これは、逃げないで真面目に考えていくと、ある意味、その延長線上にかなり怖い思いを浮かばせます。
俺が見ているこの世界、、、というか見ていると思っているこの世界、、、、っていうか見ていると思い込んでいるこの世界、、、、うっというか見ていると思い込んでいたこの世界は、、、、実は本当は全然違う姿なのではないのか??
すんごく怖くなってきませんか?
まぁ、怖がってもしょうがないんですけどねっっw
これを今度は逆に考えていくと、「だいたい本当に、空間なんてあるのか?」まぁ実在しているだろうセンサーを信じるとして、本当に三次元構造なのか?
人間は「 時間センサー」持っているから、実際は既に四次元だということもありますが、本当にそれだけなのか?本当にそうなのか?もっと違うのではないのか?見えていないだけで、脳が処理できていないだけで、今活用しているセンサーだけでも、脳の処理の仕方が違えば、違う世界に見えるのではないのか?
(数学者は、すでに最低でも十数次元ありそうだと証明しています。正しいかどうかは知りません)
まぁ、いろいろ発展させて考えて見てください。
PS
それ以前にセンサー自体がいい加減で、この空間らしいものは本当に存在するのか?? とかまで、想像を発展する人も出てくるでしょう。
こう進んでいくと、精神世界に入ってきますね。
PS2
奥さんやご主人、彼氏や彼女、本当は??(爆) おぉ怖ぇーーーー(滝汗)
PS3
ブラックマターの存在はご存知だと思います。科学者が認めているものです。人間には、人間にわかる高度なセンサーを駆使しても、その存在がつかめない物質が宇宙の3分の2を占めているというものです。
同空間に存在している3分の2が見えたら、この空間は実際はどうなのでしょうか? さらに細かいものなのか? それとも相殺しあって実在しない方向へ近づくのか? それとも密度の濃いパラレルワールド?
SFは、SFじゃないのかもしれません?
それでも、私は中国を実在しないSFの世界の産物と信じたいです! 同空間に存在しているのは、たぶん夢です。たぶん私たちのセンサーの誤報です。
Posted at 2013/04/25 23:03:21 | |
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2013年04月25日
まずは、ほとんど更新しなくなった今もお友達登録をそにままにして下さっている皆様へのお礼を。
また、来ない間にご登録そのものが無くなってしまったお友達登録をして頂いていた皆様には、すみませんでした。
不思議とファン登録をして頂いている皆様には、どなたなのかは存じ上げませんが、車の話がほとんど無いにもかかわらず興味を持っていただいてありがとうございます。
それでは、またまた表題の通りです。ミンカラとはまったく関係ない世界についてw
最近は、日本でも精神世界というか、スピリチュアルという表現を使うか、哲学的な話とカテゴライズするか、宗教的と呼ぶか、心理学的と理解するのか、その他云々なのかは別とし、自分の実存の証明やその他「お前キチガイか?ついに狂ったのか?」と言われるかもしれない領域の話し合いが多くあるようですね。顔の見えないネット社会の陰湿さの側面には大反対の私も、ネット社会が比較的この手の話し合いをオープンにした功績は結構認めます。面と向かって話し合ったら友達なくしちゃうような話も、ある意味健康的に話せる世界が提供されたわけですから。
そんな中、そろそろ二年近くも前になるのかな、もっと前かもしれないな。ちょっとした経緯で手に入れることになった本があります。表題の本です。日本語で私の手元に来た本で、日本から来た友人が500ページ近くある重い本を二冊持って来てくれましたうちの一つでした。
色々な理由からそれから文字通り一度も開くことなく、今日初めて開いたのです。
序文、目次と読み進め、序章とあるページの一行目まで読み始めて、その一行でやめました。不愉快になる程に素晴らしい訳であろうことが、直感的に私の心を刺してきた為です。
だから、今現在それ以上まだ読んでいないです。ここまで読んで、「うーんこれは原文をそのまま読んだ方が良いのか?」とも思ったのですが、たぶんこのままきっと日本語で読むだろうと思います。
とにかく今回は普通気にならない訳者がとても気になりました。失礼な話ですが、私は著者を気にしたり訳者を気にしたりすることは、ほとんどないのです。本も曲も内容を覚えても、著者や作曲者を覚えないことがほとんのです。それほど失礼な私です。しかし今回は別です。
巻末へ飛ぶと、柴田裕之氏が訳者です。訳文としての衝撃的な句読点の使い方。学生時代にTOTOのアフリカのスティーヴルカサーの演奏を聞いた時にあまりの名演奏に不機嫌になったのを思い出しました。
とにかくこのまま読み進んでは、著者であるジュリアン ジェインズ氏 Julian Jaynesの書かれた内容にもきっと大きく影響されてしまうことでしょう。実際「20世紀最大の論議を呼んだ」と帯にあるとおり、元々ものすごい内容です。「人間の意識は3000年前までなかった」と言うことを証明して行く内容のと聞いています。理由があって、本書の存在を長く知っていながら実際には手を出さなかったし、手にいれた後も読むことはなかったものです。
心とは実際はどこから来るものなのか? 動物としてどのような過程で発生しえたのか? 心と思考は一致するものなのか? だいたい心とは何か? 皆様は、「意識」「潜在意識」「無意識」これらの言葉の定義の違いはご存知でしょうか?
なんかくどい話になってきましたね。すみません。
ブログを移し、もう少し興味を持ってもらえるだろう、そしてもしかしたら今まで考えたこともなく驚かれるかもしれない内容を直ぐにご紹介しますね。
Posted at 2013/04/25 22:13:16 | |
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日記 その他 | 日記
2013年02月04日
お久しぶりです。大変ご無沙汰してしまいました。
久しぶりなので、すこしカタメ風に(笑)
ーーーーーーーーー
実のところ、ずっと通常よりさらに日々が忙しくなり、生活がコントロール不能になっていた。
忙しいと言っても、普通にイメージされるような忙しさではない。
私なりの特有な忙しさ、だ。 普通と確かに違う。 悩んできられるだけ贅沢な時間なのかとも思うけど、確かに忙しかった。
その頃、正直世間の日々のニュースにも辟易していた。
以前にもお話ししたが、オーストラリアのNHKにあたるテレビ局では、世界中のニュースを現地放映のままそのまま一日中流している。 基本、悲しいニュースばかりだ。 世界平和を望んでいる。 だから、辛くて見続けられない。 歳をとったな、と思った。 ほんの少し若い時は、見続けられた。 今は、辛い。 見ているだけなのに、TVに映っているだけなのに、つらい。 自分が何もできないから辛いのではないと思う。 そうかもしれないけど、そうじゃないと思う。 どちらかと言えば、なぜ人類はこんなこともやめられないのだろうと言う、そういう根本的な悲しさだ。
それで、一切のテレビやインターネットから、離れてしまった。 これは正確じゃないな。メールは、見た。 仕事があるから。しかたない。
年があけて、その間の出来事を一気に見た。 酷いものだった。 酷い(ひどい)? 酷い(むごい)と読んだほうがいい。そういう方が、正しい。 惨いだ。 世界は、悲惨すぎる。筆舌に尽くせるものではない。
人間とは、いったい何をしているものなのかと、思う。 魂の底から、そう、思う。
世界中は、未だに、国家という単位でものを考えている。 自国の発展、という尺度だ。 厳密には、経済的な発展という、尺度 = 単位、だ。かなり偉いとされている人物や政治家の方向性は、基本この単位だ。
未曾有の資産を既に有する個人、企業、グループ、その他なんでもかんでも、みなより資産を増やすことに基本その目的を集中している。 これも、そういう「単位」だ。 いったい、どこまで増やせば気が済むのか? なぜ、強者が、弱者を省みれないのか? なぜ、そこまで、無関心で居られるのか?
人間は、いつになれば、「単位」を克服できるのか? 愛し、愛される、これがどこまでも難しいのだろうか? 隣人を愛するだけでなく、隣人は愛される努力が出来るのか?
どうしようもない理由がある人以外は、受け身でいいのだろうか?行動しないのはなぜか?自分にも未だに問うてみる。
PS
自民が二度負け続けなければ本当には日本はかわらないと以前お話ししました。別に民主党が二度続く必要はなかったのだけど、自民党が二連敗はしなければいけなかった。とても長期的な意味で。でもそうはならなかったな。民主党がやってみせたこと、失敗も多かったけど、良いところも沢山あった。民主党が大敗する時期に解散をしたあの人の判断は、私は偉いと思う。歴史的な判断は、きっと刹那的な判断とは違うことだろう。
PS2
自民が復活するだけなら(名前として)、それはいい。反省が見えれば良い。バラマキ。イエスマンの日銀。独立性がない機関。どの機関の総帥でも総帥なら、正しく刺し違えて欲しいなら、と思う。
PS3
お金から離れた世界を作って欲しい、と日本には思っていた。「工業」先進国の経験した国家では世界のどこもまだたどり着けていない仕組み。これで、ほぼ無理になった。次のチャンスは、何十年後なのだろう?
Posted at 2013/02/04 20:56:44 | |
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がんばれ日本! | 日記
2012年02月05日
最近真面目な話しかしてないんで、初心に帰って、ホントはこんな検索しかしていない人なんだと。
とにかく、今年は、笑える年であるといいですねっ!
昨年あんまり笑い話とかしなかったと思うので、
彼女「え?姉のおっぱい揉んだ事あるの?」 男「中学時代に…」
をグーグルで検索すれば出てきます。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51150956.html
PS
これも知っている人は、ごめんなさい。
ただ、最後まで読んで、こりゃ新しいジャンルだと思ったねw
ここはあえて、「日本頑張れ!」のカテゴリーでご紹介っw
PS 2
すべらない話に、近い話があるけど、私的にはこちらに軍配!
Posted at 2012/02/05 21:24:18 | |
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がんばれ日本! | 日記