再び琵琶湖周辺を攻めます。
今回はまず
佐和山城。
この城は石田三成の居城で有名です。
「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」とまで言われた佐和山城。以前から行ってみたいと思っていた城址です。
ここは山城で、ふもとにある駐車場から20分程度かけて山登りしなければなりません。
道中はこんな感じ。

時間はさほどかからないとは言え、決してハイキングではなく「登山」でした(^_^;)
遺構はあまりきれいに整備されているとは言えず、案内看板も最小限しか設置されていません。
二の丸、西の丸を経て、本丸へ。
そこからは彦根城を臨むことができます。
さらには伊吹山。
三成はここに5層の天守を築いたという説も残っています。
二の丸、三の丸、西の丸は決して広いとは言えず、多くの将兵を滞留させるだけのスペースがあったとは思われませんでした。
ということは、この城が「過ぎたるもの」とされたのは、堅固さではなく天守の豪壮さ故だったのかもしれません。
城から降りて、次に近江八幡市へ移動。
「
ラ コリーナ近江八幡」という施設に立ち寄ります。
こちらは「たねやグループ」が和菓子とバームクーヘンの店を出しています。
建物と敷地はこんなにきれい。
いかにも女の子受けしそうな感じです。
事実、施設内には女性がたくさんいて、おっさん一人旅の私は明らかに浮いてました(^^ゞ
そこで食したのがこちら↓

生どらです。
激うまです。
そしてお次は
八幡山城。
近江八幡城とも言われます。
こちらの城も山城ですが、山頂付近までロープウェイがあります。
山のふもとにはこんなお堀が。
八幡堀と言われるもので、戦時は防御機能、平時は海運機能を果たし、琵琶湖と城をつなぎます。こうした機能があったからこその「近江商人」ということでもあるのでしょう。当時の城主・
羽柴秀次の先見の明と言うべきですね。
こちらの城は台風などの被害により、当時の遺構がほとんど残っていません。
城主・秀次も秀吉に切腹させられており、その後、城は破却されてしまったため、わずか10年の命でした。

天守跡とされる場所からはこんな景色が臨めます。
佐和山城もそうでしたが、琵琶湖周辺は平地に田畑が広がっており、その一部にぽつんぽつんと小高い山があるという地形。
つまりその山に城を作れば、攻め手の様子も一望に出来ますし、城下町も広く作ることができます。
さらには近江国自体が東国から京に攻め上るための関所のような位置にあるため、交通の要衝であったという点も見逃せません。
琵琶湖東岸に城が多いというのは、こうした背景があるからかもしれませんね。
ちなみに近江八幡市街はこんな感じ。
こうした建物がまちづくりにも一役買っているといったところでしょうか。
今回はあまり時間が取れませんでしたが、ぶらぶらと歩きまわるのも楽しいかもしれないと思わせてくれる、そんな日帰り旅行でした♪
Posted at 2017/12/29 21:10:03 | |
城めぐり | 旅行/地域