「技術の日産」と、その復興。
それを目指して日産自動車は、二つのミッドシップスポーツカープロジェクトを立案する。
そのうち一つは、「2+2シーターのミッドシップ車」。そしてもう一つこそがミッドシップレイアウト+4WDシステムを組み合わせた「MID4」であった。
スカイラインシリーズの生みの親である桜井眞一郎技師主導の元、MID4の製作は進められ、様々な苦心と苦難の中、MID4の試作車が完成した。それが後に「MID4-Ⅰ」と呼ばれることになるクルマであった。
~『MID4-Ⅰ』の登場~
1985年(昭和60年)9月。ドイツはフランクフルトで行われたモーターショー。そこで発表されたMID4は、コンセプトカーと呼ぶにはあまりにも完成されており、いつ販売されてもおかしくないようなクルマであった。
実際、MID4は報道陣から多大な注目を浴びることとなり「いつ発売になるのか」「値段はどれぐらいか」「ラリーにも投入されるのか」、などと言った質問が日産関係者に多数投げかけれらた。
そのMID4の主要還元は、下記のようなものであった。
全長×全幅×全高:4,150mm×1,770mm×1,200mm
ホイールベース:2,435mm
ホイールトレッド前/後:1,470mm×1,540mm
重量:1,230kg
重量配分 前/後:40/60
エンジン:VG30E型(横置き)
エンジン形式:水冷式 60度V6 NAエンジン
排気量:2960cc
ボア×ストローク:87mm×83mm
圧縮比:10:1
燃料供給:電子制御燃料噴射
最大出力:230ps(6000rpm)
最大トルク28.5kg/m(4000rpm)
冷却系:フロントマウント式ラジエーター
ステアリング:ラック&ピニオン式 パワーステアリング搭載 HICAS
変速機:5速MT(ブルーバード・マキシマ用)
クラッチ:シングルディスク
駆動方式:フルタイム4WD(ファーガソン式センターデフ搭載)
サスペンション(フロント):独立マクファーソン・ストラット
サスペンション(リア):独立超ワイドスペース・ダイアゴナルAアーム
ブレーキ:前後ベンチレーテッド・ディスク
タイヤ:前後205/60VR15
↑MID4の第一次試作車。ライトがリトラクタブルでないモデルの珍しい画像。
当初は31型フェアレディZと同じパラレルライズアップ式であったライトはリトラクタブル式に変更。
ボディ外板をFRPで作られたことにより、そのボディサイズ+4WDマシンでありながらも1,230kgという軽量を実現(参考:SW20型MR2、GC8型インプレッサが1,260kgです)。
15インチに60扁平タイヤや、このボディサイズながらもストラット式サスペンションの採用など、時代を感じさせる部分も所々もあるが、モーターショーに登場したMID4は間違いなく、「和製スーパーカー」の様相を呈していた。
ただし、このMID4は、あくまでも新技術の探求と、次世代の開発者育成を目的として作られたクルマであった。そしてまた、日産自動車本社は「絶対にMID4を走らせるな」と厳しく命令を下していたのである。
しかしながら、ドイツ・日産が独断で、「いい宣伝になる」として、このMID4をヨーロッパ数カ国で走行させてしまったのである。
見た目は市販車レベルの完成度を誇っていても、結局は試作車。いくらMID4と言えども、うまく走るはずはなく、ようやく日本に戻された時には、MID4のチューニングの命令が下されたと言う。
※参考までに。トヨタが開発中のミッドシップレイアウト+4WDシステムの「MR-Sハイブリッド」。MR2、MR-Sと20年に渡りミッドシップを作り続け、そしてまた、グループB仕様MR2=「222D」でミッドシップ4WDの開発も経験のあったトヨタですら、MR-Sハイブリッドの走行試験には、すでに7年の歳月を費やしています。いくら「技術の日産」とは言え、たった1年か2年で市販に耐え得る走行性能を実現するのには難しかったのでしょう。
MID4のチューンは、元・プリンスワークスドライバーの古平勝に一任されることとなり、サスペンションを中心にMID4は手直しが施され、見違える程に「走り」は改善されたと言う。
後に栃木のテストコースで行われた比較走行試験では、ポルシェ911、アウディ・クワトロクーペ、プジョー205、メルセデスベンツ190E・コスワースチューンなどとの比較が行われた。
その中にあってもMID4は「よく曲がる」クルマであり、その「走り」は、ポルシェ911とよく似ていたと言う。
※不思議な話。MRと言うよりRR、と散々酷評されるトヨタのMR2(SW20)も、古いポルシェ911と良く似たドライブフィールであると称されています……
そして同年。年の暮れも近くなる中、日産自動車は追浜のテストコースにて報道陣を集め、MID4の試乗会を行った。その際におけるMID4というクルマについて、「カーグラフィック」1985年12月号は下記のように綴っている。
「簡単な結論。誰もが容易に安全に、ひとかどの運転が出来てしまうフールプルーフなGTである。エンジンは大排気量の余裕とノンターボの自然さを兼ね揃える」
「4WDメカニズムは、この出力とトルクをよく調教して活用している。基本的にはレールに乗ったような高速コーナリングが出来るけれども、積極的にやる気になれば、どういう姿勢にももちこえる二面性もあって、大いに乗り甲斐はある。」
「ただ設計者の方では『ドライバーのウデのふるいようのない、どうやってもスラリと走れてしまう水準まで追求したい』のだとか」
「いずれにしても、今から貯金だけは始めておいた方がいいかもしれません」
……と言ったように。MID4はパンチのある加速や過激でシビアな操作性などのマニアックさを可能な限り排し、「何も努力しなくてもプロと同じぐらい上手に速く走れてしまう」という桜井眞一郎技師の方針通りに味付けのなされたクルマであった。
↑追浜における試乗会のMID4・リアビュー
ただ、このMID4の数少ない非難点としては、デザインの問題があった。デザインを担当した前澤義雄氏は、「クルマは面白いがデザインがねぇ……」と散々聞かされ、開発時から困難のあったデザインとボディ成形についてはある程度の覚悟はしていたものの、「言い訳の出来ない悔しさはなかった」と後に語る。
そしてまたその試乗会においても、フランクフルトのモーターショーでなされたのと同様の質問が数多くぶつけれたという。
これについて、桜井眞一郎技師は、
「売る気ではじめたんじゃなかったんですが、報道関係の皆さんのほうで、発売時期とか値段とか、どんんどん早手回しに考えてくださってるようなので、こちらもそのうち、引っ込みがつかなくなるかもしれませんねぇ……」
と語った。
そして実際。その水面下では、さらなるMID4の性能の向上と、市販化に向けての改良とが進められていたのである……
(第4回に続く、と信じたい……ていうかそろそろ終わらせたい……)
参考文献:
・「ベストカー」号数不明(グループS仕様AWとMID4の記事について)/三推社
・「driver」1985年10月20日号/八重洲出版
・「CG CAR GRAFFIC」1985年12月号/二玄社
・「CG CAR GRAFFIC」1987年12月号/二玄社
・「モーターファン別冊 illustrated Volume32 特集 ミッドシップ 理論と現実」/三栄書房
参考サイト:
・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/
その他。MID4の歴史に関連する(かもしれない)霧島のブログ:
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備忘録 11 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その1 ~はじめに~
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備忘録 12 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その2 ~トヨタ・222D 第1回~
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備忘録 13 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その3 ~トヨタ・222D 第2回~
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備忘録 14 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その4 ~トヨタ・222D 第3回~
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備忘録 15 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その5 ~トヨタ・222D 第4回(終)~
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備忘録 16 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その6 ~日産・MID4 第1回~
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備忘録 17 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その7 ~日産・MID4 第2回~