
昨日、待ちに待った小包が届きまして。
差出人は、お世話になっている正岡貞雄先生。言わずと知れた「ベストカーガイド」創刊責任者にして「ベストモータリング」創刊責任者を務められたお方でいらっしゃいます。
霧島の「ベスモの、ガンさんのニュルアタックを見たことが無い」との発言に驚いた正岡先生が、「すぐ送ります、必見です」と、当時の編集長が直々に送って下さったわけでございます。ありがたやありがたや……(汗)
ビデオマガジン「ベストモータリング」では、90年代初頭より、NSX・GT-Rと言った国産最速クラスのマシンをドイツ・ニュルブルクリンクサーキットに持ち込んでテスト&アタックを敢行しており、その模様を収録したのがこのビデオ。
「世界で誰よりもニュルブルクリンクを走り込んだ男」とも言われる黒沢元治によるニュルアタックは、ベスモファンの間では語り草となっているのでございます。2000年代に入ってから、ガンさんが02NSX-Rで叩き出した7分56秒733のラップタイムは伝説ですね。
さて。早速、封を開けてみる。経年劣化と日焼けによって色の褪せが見受けられるパッケージ。それもそのはず、裏面には1991年10月発行と書かれている。まさしく20年の年月を超えて今に残された歴史的遺産である。
パッケージを開くと、一枚の付箋に何やら書かれている。
「腰を抜かさないように! 局長」
ボールペンで綴られた流麗なメッセージ。何とも心憎い演出ではないか。達筆過ぎて読めなかったとか言うのは、自分が平成育ちである証左である(嘘
いつもならばビデオは14インチの小型ブラウン管テレビで観賞するのであるが、今回は地デジ化に備えて購入した「世界の亀山ブランド」に役だって貰う。あ、ウチの家、今テレビ映りませんので(爆)
今となってはビデオデッキすら珍しい存在らしい。クルマ好きの知人たちにベスモのビデオを貸そうとしても、「ビデオデッキが無い」と遠慮されてしまうことが多い。ちょっと寂しい。
そんなこんなで、急に降りだした豪雨を疎ましく思いながらも、ベスモの再生を開始した――
~ベストモータリングVIDEO SPECIAL VOL.21 『黒沢元治のスーパードライビング』 ~
「世界最速の座をかけて…… ベストモータリングが誇るニュルブルクリンクテストの全貌を特別編集!!」
「最強のアタック in ニュルブルクリンク」
「ニュルブルクリンク」。ドイツ北西部・ラインラントに位置する「ニュルブルク城」を取り囲む形で建設されたサーキットである。
そのオールドコースとも呼ばれる北コース=「ノルドシュトライフェ」。全長20km以上。170にも及ぶコーナー、そのほとんどがブラインド。高低差は300メートル、路面のアップダウン、荒れとうねりは世界最高。
ジャンピングスポットを飛んでからのコーナー進入。石畳が敷かれた強バンクコーナー・“カルッセル(大逆転の意)”、非常に狭いエスケープゾーンなど世界に例を見ないコースレイアウトを有している。
コースの中に3つの街があると言う、巨大なサーキット。その発祥は1927年(日本歴では昭和2年)。世界恐慌直前の時代、村興しや雇用対策の一環として建設が開始され、作業員も失業者を集めて行われたと言う。
当時は現代のような重機もなく、全て手作業で建設が行われた。舗装の下には1m四方の天然石が基盤として埋め込まれており、その不揃いの基盤は凄まじいまでに路面の凹凸=アンジュレーションを引き起こし、そこを走るマシンには始終異なる「入力」がもたらされる。
「1m走ると路面が違う」「右と左のタイヤで路面が違う」。黒沢元治はそう語る。ニュルを走ることでマシンの受ける負荷は想像を絶するものであり、その一周は通常走行の2000kmにも相当すると言う。
完走するには非常に強い剛性と耐久性が要求され、並のクルマならば一周する間もなくバラバラに分解してしまうとまで言われている。
実際、ホンダがNSX開発におけるテストコースを検索するにあたり、黒沢元治の提唱によってレジェンドをノルドシュトライフェで走らせた所、ボディの曲げ剛性が足りず、走行中にサイドのウィンドウが大きな音を立てて外れてしまったと言う。
あまりにリスキー過ぎてフォーミュラレースの開催が行われなくなったと言うロードコンディション。その苛酷さから、ボディやサスペンションを煮詰めるにはこれ以上無いと言うサーキットであり。古くから世界中の自動車メーカーによって自動車開発の「聖地」としての歴史が紡がれてきた。それはもちろん日本車にとっても同様である。
そんなニュルブルクリンクも、1980年代の時点ではまだ無名も同然だった。そのパイオニア的存在となったのは、黒沢元治とタイヤメーカーのブリヂストンである。
1984年、当時のニュルブルクは田舎の村で人口はたったの300人。サーキットもたまにポルシェがテストをする程度であったと言う。(※当時、トヨタは既にMR2等でテストを行っていた!)
ドイツでは、メーカー指定のタイヤ(ブランド・サイズ)を履いていなければ保険金が降りない。それ程までに、タイヤと言うものはドイツ車にとって重要な部品として認識されているのである。そして、それがスポーツカーならば尚更である。
そんな厳格かつ熾烈なドイツの自動車環境において、ポルシェが純正で装着するタイヤへの採用を目指して黒沢元治とブリヂストンはニュルブルクリンクへと乗りこんだのであるが、本題とは離れるので省略する。その辺りは「Xa CAR」、2011年8月号に詳しいので、そちらを参照されたい。
敷居の高いイメージもあるニュルブルクリンクであるが、地元では普通の「有料道路」扱いで、一周13マルク(後に14ユーロ、現在は22ユーロらしい) でどこの誰でも走ることが出来る。
むろん速度は無制限。スポーツカーやバイクはもちろんのこと、観光バスからキャンピングカーまでが入り混じって走行するのである。しかしそれでも、皆のマナーが良い為に、驚くほどに事故が少ないと言う。
「ニュルを走れたら、世界のどんな道でも走れる」。そんなニュルブルクリンクに、ベストモータリングは「GT-R」「NSX」「ポルシェ911ターボ」を持ち込んだのである。
~Attack 00. introduction~
コースの紹介も兼ねて、黒沢元治はポルシェ911ターボに一人の人物を乗せて走行を開始した。ナビシートに座る人物は正岡貞雄。当時のベストモータリング編集長である。
序盤のS字コーナー区間、「Hocheichen」を抜け、シュヴァルツのポルシェはニュルの深奥へと向かって行く。丘陵地帯を開発して造られたニュルブルクリンクは、筑波サーキットとも富士スピードウェイとも鈴鹿サーキットとも全く異なる。
先の見えない上り下り、連続するブラインドコーナー。そして、路面の凹凸……アンジュレーションが凄まじさが、インカーカメラからでも嫌という程に「視えて」しまう。
それはサーキットと言うよりも、ワイディングである。しかも、そこを時速100km超のスピードで駆け抜けてゆくのだ。
緊張の様子を隠せない正岡編集長。むろん、正岡編集長とて単なる素人では無い。45歳にしてA級ライセンスを取得し、富士スピードウェイからマカオまで、多くのレース経験を積んだ「業界最速の走り屋」の一人である。
初めは言葉数の少なかった正岡も、「Aremberg」「Exmuhle」「Karussell」と駆けぬけてゆく中、次第に興奮気味に喋り出す。
ゴール直前のニュル最長のストレート。ポルシェターボの速度は250……260……時速270km/hに到達した。
そして、目の前には超高速コーナーが迫る!
「これ全開で行くんですか!? うわあああああああっ!」
絶叫する正岡。
……しかし、その走りですらも黒沢にとっては本気の全開ドライブなどではなかったのである。
~Attack 01. NISSAN BNR32 SKYLIINE GT-R~
1989年9月12日。満を持して登場した「スカイラインGT-R」をベストモータリングはドイツへ持ち込み、テスト&アタックを行った。(※おそらく「BMビデオスペシャルVOL.6 THE 疾る! スカイラインGT-R 」の時の映像である。)
GT-Rは、260km/hスケールのメーターを付けてのチャレンジである。
280psを発揮する2600cc直列6気筒ツインターボエンジン・「RB26DETT」と、高度な電子制御4WDシステム・「アテーサET-S」で武装したR32型GT-R。その加速力は国産随一のものであり、スタート直後から140、160、180km/hとスピードは留まる所を知らない。
ニュルの長閑な光景と、黒沢元治のゆったりしたステア操作に騙されて、まるで80km/hでゆっくりと走行しているように錯覚するが、実際のスピードはその2倍3倍。少しでも長いストレートがあれば、200kmを軽く超えてくる。
ニュル最長のストレートでは250km/hをマーク。さらにそこからわずか数秒後には120km/hまで減速してゴール手前のコーナーへと突っ込んでゆくのだ。
ラップタイムは8分22秒38。GT-R神話、完全復活。16年の時を経て蘇ったスカイラインGT-Rは当時、量産車最速であったポルシェのラップタイムを見事破ってみせたのである。
~Attack 02. NA1 NSX~
1990年に登場したNSX。NSXとは「New Sportscar X」の略であり、フォーミュラレースの最高峰であるF1において名を馳せていたホンダが造り上げたフラッグシップ・リアルスポーツカーである。
シャシーはホンダ・「レジェンド」をベースに。他に例を見ないアルミモノコックボディ。そして、ミッドシップレイアウトにマウントされるエンジン。ホンダ自慢のVTECによって、3000cc水冷V型6気筒DOHC24バルブの『C30A』は自然吸気ながらも280psを叩き出す。
NSXの登場。それは紛れも無く誰もが待ち望んだ国産スーパースポーツ――“スーパーカー”の誕生だった……
黒沢元治も開発に深く関わったNSX。その左ハンドル&2~4速がクロスしたヨーロッパ仕様を用いてテストが行われた。(。(※おそらく「BMビデオスペシャルVOL.15 THE 疾る! HONDA NSX」の時の映像。)
GT-Rのようなハイパワーターボでは絶対に出せない、ノーマルアスピレーション特有の甲高いエキゾーストを響かせながらNSXは走る。
回転は常に6000rpm以上をキープ、レッドゾーンにあたることも珍しくはない。
悪路における走行安定性においては、4WDのGT-Rに比べて絶対的に不利なはずのMRであるにも関わらず、NSXは2WDとは思えない走りを見せた。
「路面がちょっと濡れてるなぁ……」と零しながらも、速度は100kmを軽く超えている。ただ、ニュル最長のストレートでは7000回転からが伸びない。NAだから伸び辛いのか、安定性の問題から踏めないのかは不明である。
きちんと確認は出来なかったが、ストレートでは3台中で一番遅かったのではないかと思われる。
しかしそれでも、NSXが叩き出したタイムは8分16秒15。GT-Rのタイムを6秒差で破り、国産最速の座に輝いたのである。
~Attack 03. 964 Porsche 911 turbo~
そして、NSXによるアタックから1年が経過した1991年9月20日。91年のモデルチェンジでさらなるパワーを手に入れたポルシェターボを持ち込んで、世界最速の座を掛けたアタックが敢行されたのである。
速い――!
GT-RやNSXと比較して、明らかに「速い」のである。いや、スピードそのものは変わらないのかもしれない。しかしポルシェターボの加速感は、他の2台と比べて圧倒的なのである。
それもそのはず。ポルシェターボの3300cc空冷式水平対向6気筒SOHCターボエンジン・『M30』は最大馬力320ps、最大トルクは45.9kgにも及んでいるのだ。 「280ps/36.0kg」のGT-R、「280ps/30.0kg」のNSXとは段違いの出力である。
しかも、それだけのパワーユニットを、トラクションにおいて非常に有利となるRRレイアウトにマウントしているのだ。
その加速力はまさに暴力的。どこからでもどのようなシチュエーションからでも、画面の奥へ奥へと突進してゆく……!
黒沢のステア操作も、他の2台とは明らかに異なり忙しない舵角修正を要求されている。しかし、「扱いにくい」とされるポルシェターボを黒沢は見事にてなづけてみせた。
高速コーナーでは、リアヘビーの重量配分からくるヨーモーメントが、リアを外へ外へと持って行こうとする。RRはリアがブレイクしてからスピンに至るまでの過程が非常に早いのだ。映像からでも振り子のようにリアが振られる姿が見てとれる。
だが黒沢は、グリップさせることすらも難しいであろうコースを、後輪をわずかにスライドさせる程度ので抑え込みながら、プロスキーヤーのシュプールのようにタイヤ痕を描いてブラインドの奥へと消えてゆく……
リアタイヤを縁石に乗せてしまった時ですら何事もなかったかのように、繊細、どこまでも繊細な修正で最低限のロスに留めてしまうのである。それも軽く時速100kmを超えるハイスピードでだ。
ただ、ポルシェ911はタイトコーナーを苦手とするようで、強バンクコーナー「カルッセル」のコーナリングスピードにおいて、他の2台に比較して若干の遅れを見せた。
だがポルシェは、その世界最高のストッピングパワーとトラクションを武器に、何処からでも鋭く止まって見せ、どこからでも鋭く立ち上がって見せた。
そして最後のストレートでは、290km/hを達成。ストレート途中において工事中であることからスピードダウンを余儀なくされながらも8分8秒73のタイムを弾き出し、国産最速の2台を完膚なきまでに叩きのめして量産車世界最速の座に返り咲いたのである……
「クルマの本性を全て曝け出すニュルブルクリンク。今回、比較したGT-R・NSXはポルシェにタイム的には敗れたが、その動力性能・ハンドリングは既に肩を並べるレベルまで達していることが分かった」
「ポルシェを破る日本車、その日はもうそこまで来ている。量産車世界最速を掛けたチャレンジは、これからがさらに熱くなる……!」
……あのスーパーアタックから、20年の時が過ぎた。
MR2、スープラ、アルテッツァ、レクサスLFA。インプレッサ、ヴィヴィオRX-R。ランサーエボリューション。NSX、NSX-R、S2000。スカイラインGT-R、GT-R……
20年の間に、ニュルを駆け抜けた日本製スポーツカーは数え切れない。
2011年には、世界で最も過酷な耐久レースとされる「ニュルブルクリンク24時間」に、トヨタ・レクサスLFAとスバル・WRXが参戦。LFAは見事に完走を遂げ、WRXはクラス優勝まで果たした。
今やニュルを知らない自動車メーカー、クルマ好きは探す方が難しい。しかしその反面、「ニュルブルクリンクのラップタイムこそが全て」などと考えるメーカー・ユーザーが現れて来たのもまた確かな事実である。
「スポーツカーは後輪駆動のNAでこそ。四駆やターボは速く走る為だけのものだから好きではない」
ニュルブルクリンクの開拓者・黒沢元治は常々語っている。
黒沢元治のドライビングの真髄は、クルマを速く走らせることだけではない。「クルマ」と「道」を楽しむことにこそあるのである。
ニュルと闘うのではなく、ニュルを味わい楽しむ。あれだけの路面変化と路面からの入力を全て把握し、「路面とクルマ」と一体化出来たなら、ニュルに勝る楽しい「道」は世界中の何処を探しても見つからないだろう。
そして、4本のタイヤを通じて「道」を楽しむには、後輪駆動のNAであることが必須である。そう黒沢元治は伝えたいのではないだろうか。
黒沢元治が富士グランドチャンピオンレースで戦っていた頃、黒沢のチームでメカニックを務めていた一人の男がいた。その人物の名は成瀬弘。後にトヨタのマスタードライバーとなり、「マイスター・オブ・ニュルブルクリンク」と世界中から賞賛されることになる男である。
成瀬弘は生前、次のようなことを述べていたと言う。
『今までのMR2(※SW20型のこと)はね、僕はストラットサスペンションの持ち主としては世界一だと今でも思っています。ハンドリング、ステアリング、乗り心地と、ニュルのコースで乗ってもヨーロッパの道でもそれらのバランスでは極めてよく出来ているクルマですね。
ターボはね、やっぱり足が負けてるとこがある。認めるよ。でもNAだったら本当に世界最高だってば。一緒にニュルを走ったポルシェも『なんでこんな安いクルマがこんなに走るんだ』って感動してたから』
……余談であるが、SW20型MR2とポルシェ911はドライブフィールがよく似ていると言われる。そこに、どこか黒沢元治とポルシェ911の組み合わせ。そしてニュルアタックを透かして見ることは出来ないだろうか?
MR2は、路面の環境変化をダイレクトに受けるクルマの一台である。そして、MR2をパートナーとして選んだ者ならば、ステアリングを通じて日々のドライブの中にも路面のアンジュレーションを味わい、楽しむことを無意識のうちに知っているであろう。
単に絶対的な走行安定性や絶対的な加速力。絶対的な操安性があることが、必ずしもクルマの楽しさに繋がるとは限らない。
「クルマ」と「道」と「人」が限りなく一つになる一体感。それこそが、日本車に欠けていると言われて久しい「クルマの味」なのであり。そしてニュルブルクリンクが、ポルシェが、MR2が、黒沢元治が、成瀬弘が、ベストモータリングが“日本”に教えてくれたことなのではないだろうか――?
創造、限りなく。
日本車とニュルブルクリンクの対話は、まだ始まったばかりだ。