1986年に登場したA70型スープラ。
最後のマイナーチェンジにあたり、70型スープラの開発主査の役目は、都築功に引き継がれることとなった。
都築は愛知県刈谷市出身、名古屋大学大学院修士課程修了、専門は空力学。トヨタでは、トランスミッションの設計部に所属。初代セリカ開発時、後に日本初ガルウィング=セラの開発主査となる金子幹雄と共に、日本初の5速マニュアルトランスミッションを設計する。
日本初のミッドシップ車である初代MR2の駆動系開発も担当した他、MR2のラリーカー「222D」の開発責任者も務めていた。最後の70型マイチェンにて都築は、排気量を落としながらも、国産最小排気量での最強馬力である2500cc・280psを達成。「JZA70」を世に送り出すことになる。
最後の70型の開発をの傍で、都築は次期スープラの開発に取り掛かることになる――
~主査構想~
手塩にかけたグループ B仕様MR2=222Dの開発中止によってクサっていたという都築は、その悔しさをスープラにぶつけることになる。次期スープラの開発は、現行の70型の改良と並行して「主査構想」と呼ばれるコンセプト作りから始まった。
『3Lターボで最高出力は300ps。最高速度は300km/h。重厚長大ではない、できるだけシンプルなメカニズム。安全性を高める為にハイテクを惜しみなく投入し、快適性も犠牲にしないこと。そして動力性能・運動性能はもちろん、燃費・安全性などの全てにおいてナンバー1を狙う』
主査構想は、実に20ページ以上の大ボリュームにも及んだという。目指したものは、「スポーツカー」。スポーツカーの条件として、都築は次のようなポイントを挙げている。
・個性的で非凡なスタイルを持っていること
・「走る・曲がる・止まる」、圧倒的な運動性能を持っていること
・抜群の運動性能をカバーする為の高い安全性を持っていること
・省資源性を確保していること
・快適性を確保していること
「苦痛を伴わなくては操縦できないことが、スポーツカーの要件ではない。省資源・省燃費においても、やはり乗る人が罪の意識を感じるのはよくない」
都築は、初代MR2、2代目MR2、MR2のラリーカー開発に携わっていた。MR2のラリーカー仕様は、トヨタ初のフルタイム4WDシステム(後に日本車初のWRCドライバーズタイトルを獲得するST165型セリカGT-Fourに実装される)のテストベースともなった。これらの中で、都築はスポーツカーの考え方を叩き込まれたという。
ニュースープラにおいて、スポーツカーの絶対条件として、まずは高い動力性能と高速安定性を与える。さらには、直進安定性とは本来相反する要素である、自在な旋回性能とハンドリング。高い動力性能の代償となるはずの環境性能と快適性をも実現させようというのだ。
これらの途方もない構想に、社内からも異論と疑問の声が出た。それは、「スポーツカー」であることについてである。「トヨタはスポーツカーを作らない」、これは当時のトヨタ内外における常識と呼べるものであった。
確かに、スープラの兄弟車であるソアラとの差異化を図るため、スープラ(70・80)においてはスポーティな方向へと振ることが決定されていた。だが、70型はリアルスポーツをコンセプトとしながらも、「あくまでグランドツーリング」と呼称されるにとどまっていた。
「日本一加速力のあるスポーツカー」をコンセプトとしたSW20型MR2ですら、トヨタはスポーツカーと大々的に呼称することはなく、スペシャリティカーであることを前面に押し出していた。大ヒット車種となったAE86型レビン/トレノ、日本初のMRである初代MR2に至っては「スポーティカー」である。
ましてや当時は、安全性や燃費の問題などが社会問題となりつつあった頃である。そんな中で、日本自動車界のリーディングカンパニーであるトヨタが、そのような「スポーツカー」を作ることは、果たして許されることなのか――!?
「私としてはスポーツカー。スープラは、フェアレディZやGT-R、GTOなどより後からデビューするのだから、動力性能や運動性能がナンバー1であるのは当然で、燃費でも安全性でもナンバー1。つまり全て100点を狙えば企画がもらえると考えた」
「動力性能・運動性能などの『パフォーマンス』と省資源性・快適性などの『優しさ』は、相反するものではないかと言われたが、技術があれば高いレベルで融合できるのではないかというのが私の考えだ。そう言うクルマをあえてスポーツカーと名付けた。スペシャルティカーではなくてね」
……かくして、新型スープラの企画は承認されることになる。「スポーツ・オブ・トヨタ」、スポーツカーを作ることを敢えて避けてきたトヨタが提唱するスポーツカーのあり方。
「スポーツカーとは何であるのか? スポーツカーとはどういうものであるのか? スポーツカーはどうあるべきか?」。トヨタ2000GT以来、あらゆる自社のクルマをスポーツカーと呼ぶことを許さなかったトヨタ。
遂に、「スポーツカー」の封印が解かれる時が来たのである……
(第08回に続く……。今回はリハビリ、あんまり長文書く気が起きないや)
参考文献:
省略。第3回までのを参照して下さい。
関連リンク:
「スープラの系譜」 第01回 ~スープラの系譜~
「スープラの系譜」 第02回 ~ソアラとスープラ~
「スープラの系譜」 第03回 ~70型のパッケージング~
「スープラの系譜」 第04回 ~トヨタ2000GT、そしてスープラ~
「スープラの系譜」 第05回 ~“トヨタ3000GT” A70型スープラ誕生~
「スープラの系譜」 第06回 ~「JZA」 70から80へ~
・
トヨタ博物館 都築功スープラ開発主査講演会!
※おまけ
昨年の2月19日に行われたスープラ発売20周年記念の講演会にて、都築先生と撮って貰った一枚。色々と貴重な話もお聞かせ頂きました。霧島の質問を気に入って下さったのか、何故か肩まで組んで下さった……(汗) えるすさん、シャッターサンクスです。ちなみに都築先生の現在のマイカーはプリウスとのこと。
ブログ一覧 |
スープラの系譜 | 日記
Posted at
2012/02/06 12:22:10