
3月12日
会社の災害派遣隊に決まった私は、何を隠そう防災士である。
しかし、防災士と言うのは、紙の上で取った資格のこと。
実際の地震災害現場へ行くのは、これが初めてです。
会社に置いてある着替えと使い捨てカイロを小さなリュックに詰め、寝袋は何と夏用?
営業車に資材を積んで会社の自家給で満タンにし、予備のタンクにも燃料を詰めて会社の人に見送られながら出発。
でも、一般道はものすごい渋滞。
集合場所のHパーキング(SAだっけ?)まで集合時間を少しオーバーして到着すると、既にJ隊を始めとし、K察、S防、S道局などが並んでいました。
会社の現場責任者から
「隊列を組んで6時に出発します」
という話を聞き、食料と水分を買います。
明るくなって、出発。
災害派遣隊優先の東北道を使い、一路宮城県某市へ。
高速は、50キロ規制が敷かれておりました。
なぜなら、福島県から道路に地割れや段差が発生し、とてもマトモに走れないからです。
福島以北は停電している様子で、PA、SAは、全て自販機さえ使えませんでした。
給油所は、手動でポンプを動かし、給油していました。
東京から500kmを走り宮城県某市に到着したのは、10時間後でした。
そこは、津波の上に火災が発生して、まるで爆撃された後のようでした。
街の様子を見に行きたくても、県道から市街地には瓦礫が散乱して車が入ることが出来ません。
車を降りて、徒歩で向かいます。
長靴が無いと、津波の後の泥水で歩くことさえままなりません。
自動車は、逆さまになったり、重なったりして「引っかかっている」状態です。
30mもある鋼鉄の船が、押し上げられて市街地に横になっています。
湾の方まで約1km、港周辺の様子は建物は土台を残してきれいに流されていました。
ここに住んでいた方、多分全員が・・・(泣)
私のつたない文章では、その全てを伝えることが出来ませんが、実際の災害は本当に恐ろしいものだということが良くわかりました。
つづく

Posted at 2011/03/18 05:36:12 | |
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