
皆さんこんばんは~( ̄▽ ̄)
歴史上のミステリーとか、謎な事っていろいろありますよね。
後世になってそれが明らかになることもあります。
それを知ってもなお、変えられないものはありますが、やはりアメ○カは信用のおけない国だと今更ながら思いました。
【ヤルタ密約】チャーチルの署名は不本意だった…「米ソが頭越しで決定した」「合意後に昼食会で知らされた」
ロンドン=岡部伸】旧ソ連とロシアが北方四島領有の根拠としてきた「ヤルタ密約」について、英国のチャーチル首相が「米ソ首脳が頭越しで決定した。両国との結束を乱したくなかった」と、不本意ながら署名したことを示唆する個人書簡が英国立公文書館で見つかった。
チャーチル首相が密約の有効性に疑問を抱いていたことをうかがわせる。
書簡(PREM11/432)は1953年2月22日付で、チャーチル首相からイーデン外相に宛てたもの。
この中でチャーチル首相はヤルタ密約について、ルーズベルト米大統領とソ連のスターリン首相が「直接取り決めた」とし、「全ての事項がすでに(米ソで)合意された後に昼食会で知らされた」「私たちは(取り決めに)全く参加しなかった」と主張。英国の頭越しに米ソ間で結ばれたと強調している。
一方で、密約に署名した45年2月の時点では、連合国は欧州ではヒトラーのドイツとの戦いで最終局面を迎え、対日戦線でも結論が見通せなかったため、米ソ両国との「結束を乱したくなかった」と述べ、融和を優先したと釈明している。
イーデン外相はこの2日前の53年2月20日付でチャーチル首相宛てに書簡を送っており、今回見つかった首相の書簡はこれに対する返信と位置づけられる。
外相の書簡は、アイゼンハワー米大統領が53年2月の演説などを通じ、共産主義による民衆の「奴隷化」を招く秘密協定は全て破棄する方針を打ち出したことを伝えている。これを受けて出された書簡でチャーチル首相は、「ヤルタで起きたことは詳(つまび)らかにすべきだ」との見解を示している。
チャーチル首相は、「米国務長官だったステティニアス氏ですら、(密約に関して)相談されなかった」との見方を書簡に記しており、大戦中のルーズベルト米大統領が独断でスターリン首相の要求に応じたと考えていることを示している。
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■ヤルタ密約 1945(昭和20)年2月4日から11日まで、クリミア半島ヤルタで米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相による連合国3カ国首脳会談が開かれた。ルーズベルト大統領はソ連による千島列島と南樺太の領有権を認めることを条件に、スターリン首相に日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。会談では、ドイツ降伏後2カ月または3カ月でソ連が対日参戦することが秘密協定としてまとめられた。また、国際連合創設を協議し、ドイツと中・東欧での米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定。東西冷戦幕開けのきっかけにもなった。
こういう史実があるからこそ、握手の裏で短剣を握る様な国は信用してはいけないのだと思います。
未来は、決してこういうことがないようにクギを刺さなければ、今度は日本は中国に売られてしまうでしょう。
これからの両国関係が発展していくように祈るばかりです(;一_一)
Posted at 2017/01/08 20:19:28 | |
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