
20世紀を代表する小説のひとつに
「失われた時を求めて」
という題名の小説があります。(注:邦題)
原作者は知りません。
内容は、同性愛を扱ったようなものだったかな・・・(汗)
もちろん、今回のブログの内容とは、全く関係ないものですが。
東北関東大震災からほぼ1周間の
「失われた時」を遡ってみました。
長文、お付き合い下さいm(_ _)m
2011年3月11日14時46分ごろ、M9.0という日本の観測史上最大の地震が発生しました。
写真のスコアボードの止まった時間が、まさにその時刻でした。
私は、泊まり明けでしたので2階のベッドの上で横になって昼寝をしようとしていた時でした。
家が小さく「ミシッ」と言ったかと思うと、ゆっくり小刻みに揺れ出しました。
揺れ方から、震源地が遠いのはすぐわかりました。
「すぐに収まるだろう」
多分、皆さんそう思われたはずです。
ところが・・・本震の波が到達すると、揺れは収まるどころか一層激しさを増してきました。
テレビが倒れそうだったので、慌てて押さえに行きました。
すると、本棚はひっくり返るし、パソコンラックはずれてモニターが落下しかかるわ、とても凄まじい状況になってきました。
以前、起震車という地震を体験することのできる車に乗ったことがあるのですが、今回の揺れはその時に体験した「関東大震災」の揺れと同じようなものでした。
すぐに大声で
「関東大震災級の揺れだから、早く逃げな!」
と、1階にいる家族に向かって叫びました。
表へ出ると、ウチと同じように近所の人も飛び出してきました。
隣の家の瓦が落下して来るので、小学校の前の広場へ避難しました。
しばらく30分から1時間程度して、やっと余震の回数が減ったので家の中の被害状況を確認しました。
水槽の水がこぼれて玄関が水浸しでした。
玄関正面の飾り棚に飾ってあったガラス製品が落下して割れ、はだしでは歩けない状態でした。
でも、食器棚の耐震ラッチはしっかりしており、食器は全く被害がありませんでした。
内壁は、至る所に亀裂が生じています。
これは、内側に貼られた耐火ボードに沿って壁紙がよれたものだとわかりましたが、そうでない、斜めに走っている亀裂は、残念ながらしたの耐火ボードごと割れていました。
階段の手すりを支える柱が、折れてはいないもののひびが入っていました。
それからすぐ作業着に着替えて会社へ非常呼集です。
自転車で出発して、会社へついたのは夜中でした。
とりあえず、会社の食堂でテレビをつけて情報収集すると、震源地は宮城県沖で津波によって壊滅的な被害が出ているようす。
その夜は、会社の体育館に泊まりましたが、夜中の3時にすぐに宮城県への応援派遣が決まりました。
つづく

Posted at 2011/03/17 17:44:26 | |
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