
長らくお待たせしました。先日予告した廃墟ブログです。
まずお決まりですが、前置きを。
※廃墟探索について
廃墟の探索には常に危険が伴いますし、意図ぜず事件(遺体発見、浮浪者による傷害事件等)に巻き込まれる事があります。無断で他人の敷地及び建物内に侵入する事は違法行為に当たります。よって管理人Sapphireは廃墟探索を推奨しません。
また、建物等の破壊/盗難や関係者及び近隣住民への迷惑を防止するため該当物件の位置や立ち入り交渉に付いて一切お答え出来ません。
以下写真、物語は全てフィクションです。?
ブログ上の写真をクリックするとフォト蔵に飛ぶので、そこから元サイズの写真を見る事が出来ます。
一応フォト蔵には後編分の写真もアップされていますが、見る/見ないは自由です。
長ったらしい文章イラネーヨな方はそちらからどうぞ/
ホントに今回、長いので^^;
幻の駅と熊ノ平変電所探訪(前編)

はじまり、はじまり。
─旧国道から碓氷(うすい)の峠に入り、軽井沢側から車を進める。
国道沿いには所々に旧信越本線の面影が。幻の地は近い。

4月上旬。早朝でも峠を覆う凍結や雪も無くノーマルタイヤで訪れる事が出来た。
17号隧道

貫禄─ここ一帯のトンネルの殆どが開通から1世紀を超える。
その内部。

レンガ作りは思ったより丈夫なようだ。
吹き抜けてくる風を浴びて
天城トンネルを思い出した。懐かしい。あのヤンキー達は今も元気にしてるかな?
一旦目的の地を通り過ぎ、旧信越本線のめがね橋(碓氷第三橋梁)へ車を進める。
去年一人で見た景色を、今回一緒の彼女(現相方)に見せる為。
遊歩道があり、橋の上へ上れるようになっている。

ここは
去年、山ヒルに噛まれまくった場所。
山を越えて熊ノ平に向かうなんて今思うとあまりに無知無謀で、馬鹿だったと思う。
橋の上は遊歩道として一般公開されている。

写真奥に見えるのは松井田方面へと向かう5号隧道(トンネル)
熊ノ平へつながる、6号隧道入り口
去年より遥かにバリケードが薄くなり、内部に遊歩道も整備されている模様。
ここ旧信越本線周辺は地元観光の見所「アプトの道」としての整備が進められていて、旧信越本線の線路撤去と歩道の設置が進められている。
こうしてめがね橋から6号隧道をくぐって熊野平へ簡単に行き来できる様になる日もそう遠くは無さそうだ。

…熊ノ平の幻が解ける日も近い。
それにしても、去年気にしてここを通らなかった理由の一つ、内壁剥落なんて杞憂だった様だ。よく考えるとレンガ造りはコンクリート違い、剥落する危険性は低い様な気がする。
前回の失敗を踏まえ、今回はこの6号隧道すら通らない最短ルートを某社の衛星写真から調べたので、そちらから向かう事にした。
めがね橋を離れ、熊ノ平への近道へと向かう。
…途中割愛…
とある地点へ。
─車を走らせる事数分。
熊ノ平変電所が見える。
白いモルタルが朝日を浴びて怪しく輝いていた。

今回は、前回の失敗を踏まえ雑草が枯れる冬(初春)限定のアプローチで熊ノ平へ。
道なき道とはいえ、国道から数十メートル上るだけで目的の地に辿り着く事が出来るので、去年断念したルートよりは1000倍は洗練されている。
車内でお留守番の彼女に何かあれば車のセキュリティが鳴り、すぐに自分が駆けつけられる距離。安心して行けるのが良い。
観光地化...それはこの場所の産業遺跡としての保存と同時に廃墟としての終わりを意味する。
誰でも来れる場所であると言うことは、安全な場所で無ければならない。
よって什器や架線設備が撤去され窓は鉄板で封鎖されるかもしれない。
…只のコンクリートの箱になる...
当時の残り香と隔絶された空間が成すタイムスリップしたかの様な錯覚が廃墟の魅力かな…
今回はどうしてそれが失われる前に見に来たかった。
そうこう廃墟の魅力について一人妄想
ハァハァwしながら峠を上る途中、碍子(がいし)の破片を発見。

1934?年製と思われる。変電所のかけら。
製造名がかすれてて読めないが、ロゴマークはカドに井の字。
web上から製造元に関することは分からなかった。
ただ、代わりに世の中に碍子コレクターが存在することを発見。
コレクターの世界は広い。
中腹まで上る。枯れた蔓や枝でも意外と障害になった。
夏に上るのは無理だろう。夏はヒル以外にマムシも出るらしい。
正攻法ではないけれど、車を降りて数分で熊ノ平に到着...
そこで始めて出会ったもの。タイトル写真にあった鉄塔がお出迎え。

架線は撤去されており、手持ち無沙汰な様子。
枯れた蔓をわずかに纏いながらじっと立っていた。
やや寂しい姿だが、これでも当時は変電所にその電源を供給する重要な役目を担っていたものとだと思われる。
かすかな錆色とシンメトリーなトラス構造が成す機能美が素敵♪
鉄塔も色々あって面白いんですよね´Д`;)
ご対面。
熊ノ平変電所を間近に見る。
相変わらず、白いモルタルがまぶしい。

そして、同時にこの場所の辛い過去と対面する事になる。
↑写真左下に小さな、赤い鳥居が見えるだろうか?
『熊ノ平殉難』

この看板と母子像、そして祠。
早朝の朝日の中周囲は明るいが、木々に囲まれたこの場所のみが暗く静かで何か異質の気配を放っていた。
これを写真に収めた瞬間、その重たい空気に背筋が緊張し息が詰まるような感じがしてすぐに立ち去りたくなったが、何故かここから背を向ける事が出来なかった。
その間1・2分、木々だけが音も無くなびいていた様な気がする。
とても不思議な感じがした。
意を決して祠の碑文を読んでみる。
碑文は撮らなかったので以下思い出しとwebから補完。
─
かつてこの地には熊ノ平駅と鉄道官舎があり鉄道職員やその家族が居住していましたが、1950年(昭和25年)の6月9日に大量の降雨が引き金となって起きた大規模な土砂崩れに駅舎や官舎が飲み込まれ、前日に起きた土砂崩れの復旧に当たっていた職員と官舎にいた家族を含む50名の命が失われた。
そして、後の捜索で押し潰された官舎から乳飲み子とそれを抱く母親の遺体が発見され、この母子像が建立されるに至る。─
今は誰も訪れないこの地。静かな慰霊の碑。
御霊に手を合わせ、探索を再開。
めがね橋と熊ノ平の間には5本のトンネルがあり、これはめがね橋側につながる10号隧道を写したもの。
ここ一帯は4月末でもまだ冷たい風を感じる。

熊ノ平は線路/架線共に健在。
一人線路の上を歩きシャッターを切りながら映画スタンドバイミーの主題歌を鼻歌で♪
幻の駅─熊ノ平駅。

どこが駅??と、思われるかもしれないが線路の両脇に野ざらしのホームがあるのがお分かりになるでしょうか?駅舎は既に撤去されています。
変電所北東側を写す。

やっと、ここに来れた。夢に見た場所。
山奥かつ到達難易度のあるマイナーな場所だけあって保存状態は良好。
夏は山ヒル地獄、冬は降雪のこの地に絶妙なタイミングで来れて良かった。
断路設備

変電所からの電力がここを通して架線へと供給される。
感電注意。

どうやら当時は1.5KVの高電圧がかかっていた様子。
余談だが生身の人間が高圧部に触れ感電するとどうなるのか・・・青白い光と共に「ブォォン!」と音がして煙が上がり、漫画のように黒焦げになるらしい。
以前勤めいていた会社のちょっとアウトローな先輩が若い頃大手ゼネコン○島の仕事をしていた時高電圧電線の感電事故を目にして、仕事中にそんな話ばっかり聞かせてくれたのを思い出した。
高電圧区域も今はウェルカム状態。
これは手動開閉器かな?
木の棒でも差し込んで人力で機能させる様な構造に見える。
断路機。
機械が好きだから、こういったものが数多く残されているのは嬉しい。

残念ながら鉄道関係は趣味の範囲外なので詳しい事は分からないが、
左奥にある空気タンクと左手前にあるエアアクチュエータらしき物体、架線の方に伸びるロッドからすると圧縮空気で作動し架線と変電所の接続を開放する装置の様だ。
高岳製作所のエンブレムが付けられている。
1979年4月製造─この地に存在する物としては比較的新しい。
断路機の空気タンク。
ということは、ここのどこかにコンプレッサー室もあるのかな。

通常はコンプレッサー側に空気タンクが備えられているので、機械側にタンクは要らないが、これだけの容量のタンクが別途存在するのは非常時の動作を保障する為だろう。
断路器の奥には古びた扉が。

窓は完全に割られているが、反対側に重い鉄板が立て掛けてあって開ける事は出来なかった。
取りあえず中を覗き込む。
中はやや荒らされている様子。
天井の劣化して剥がれ出したペンキを見て興奮を抑える事が出来ない(汗
先ほどのドアのノブ。
当時はそんな意図は無かっただろうけど、今からするとこれはヴィンテージ品。
鍵穴ですら時代を物語る。
SURGE CURRENT RECORDER
衝撃電流を記録する装置?
サージキラーかと思ったが”RECORDER”って…用途が分からなかった。
施設西側

こちらも窓ガラスなどの大きな損壊は無い。
日が当たらないので白く輝く南東側とは反対にカビが外壁を黒く見せている。
昔の施設は大きな採光窓と高い天井、重厚なコンクリート作りが良い。建築としての見応えも十分。
外には外部変電設備もあった。
変電設備のすぐ近くにまで木が生えている事からも相当の間使われていないことが伺える。

この年代の変圧器となると
PCBが使用されている可能性があり、相当の間放置いた為漏出のリスクもある。時間も無いので近寄る事は無かった。
今回の出入り口。
モルタルの剥がれ方、シャッターの錆具合、埃で曇った窓、枯れた枝…
これぞ廃墟。

では、お邪魔します。
…
To Be Continued.