
後編です。
まずお決まりですが、前置きを。
※廃墟探索について
廃墟の探索には常に危険が伴いますし、意図ぜず事件(遺体発見、浮浪者による傷害事件等)に巻き込まれる事があります。無断で他人の敷地及び建物内に侵入する事は違法行為に当たります。よって管理人Sapphireは廃墟探索を推奨しません。
また、建物等の破壊/盗難や関係者及び近隣住民への迷惑を防止するため該当物件の位置や立ち入り交渉に付いて一切お答え出来ません。
以下写真、物語は全てフィクションです。?
※ブログ上の写真をクリックするとフォト蔵に飛ぶので、そこから元サイズの写真を見る事が出来ます。
幻の駅と熊ノ平変電所探訪(後編)

はじまり、はじまり。
…
目の前には錆びたシャッターが。
既にここから誰か入ったのだろうか...中途半端に開いていた。
とりあえず、今回はここから中へお邪魔する事に。
お邪魔しますー。
シャッターの下をモタモタとくぐっていると急にシャッターが落ちて体が挟まれる妄想が頭を過ぎったので、三脚・カメラを抱えながら特撮ヒーローばりに素早くくぐった。
…常人の思考ではない事は承知(笑
テレビの見過ぎだろうか...
今はテレビは殆ど見ていない。
内部で初めて目にした光景。
高い天井、大きな採光窓、自走式天井クレーン、謎の機械…
古い機械油と埃の匂い。
正に自分のイメージ通り。
やばい、撮りたい物が沢山ある。
…時計を見る。
タイムリミットまで残り30分弱。
車で待つ相方からの呼び出しはまだ無いがここに居られる時間は確実に減ってゆく…急がねば。
何しろ、結婚式場の下見の前に来たもので...(爆
まずはこれ。ここの顔的存在。
自走式天井クレーンと言ったが、正確にはクラブトロリ式天井クレーンと云うらしい。
・最大能力:5t
・佐藤工業富山工場製
・昭和37年製造
・x、y、z軸共に手動
昭和37年=1962年って...
一応私も昭和生まれですが、昭和37年と聞いてもピンと来ないので
wikiからキーワードを適当に選んでみました↓
ベトナム戦争初期
サリドマイド薬害
戦後初の国産旅客機YS-11が完成
王さん一本足打法
マリリン・モンロー怪死
キューバ危機終了
テレビ(白黒)、洗濯機、冷蔵庫⇒「三種の神器」
全日本女子バレー⇒「東洋の魔女」
黒四ダム完成、ケネディ暗殺の前年
高度成長期真っ只中ってやつですね。
昭和で好きな時代の一つ。
この時代の「団地」とかも好きです。。これまたマニアックですが。
…探索を続ける
蓄電池制御盤
殆どの器機が撤去されていた中、寂しく佇んでいる。
そのアナログな制御盤

計器のフルスケール(最大目盛)からして、この施設全体のバックアップになる程の能力は無さそう。
その針が動くことはもう無い。
担架
担架はお国の決めごと─労働安全衛生法に定める規則により、「重傷者を生ずるおそれのある作業場」に設置が義務付けられている。
工業関連の資格書にはよく労災への戒めとして災害事例が載せられている事が多い。興味からつい読んでしまうが、爆死、感電、落下、窒息、切断、圧死etc...工業系の労災はどれも悲惨だ。
某ヲタ自動車の下で働いていた時も耳にしたな...不思議とニュースにはならなかったけど。
そんなことを考えながらうろうろしていると…
あ、、、し、死体??
やってしまった。
廃墟で遺体発見。。。

なんて。
赤いシャツ、青いズボン、頭はやかん?、土管の腕
股間と思わしき箇所には。。。

誰がこんなコトを。crazy...
廃墟に狂気はつき物。
でも、実際の暗さの下で↓を遠くから見た時はちょっと身構えた。
本当に人が倒れてる、と。
因みに、他の写真が明るいのは露出上げたり、感度上げて頑張っているからなのです。
では気を取り直して。
ここは備品も壁も、全てが古い。

備品は殆ど残っていない。
今の時代、2色塗りされた壁も珍しい。
そのペンキの色褪せ方、剥がれ具合。

…ヒツトル、ヒットル?
消火器表示も剥がれる。

廃墟にしか無い色が沢山。
撮ってて思うのは、自分は何事もツメが甘い。

写真もそう^^;
何と無くテーマを持って撮ってみるも、中途半端。。

まぁ、これから回数重ねて上手くなれれば。
廃墟にはそんな上達の為の素材が沢山。
時間も忘れて。一人、没頭できる。
き電制御盤と2号整流器盤
何の機械かな。
アナログなシーケンサやタイマーリレー等で構成されている感じ。
どんな人がこれを操作していたのだろう。

その人たちは今は何をしてるのかな。。。
DC-DCコンバーター

直流電源から別の電圧の直流電源を得る為の装置。
電子工作をするときにあると重宝する。
「電灯横川」

R.S.T.の表示がある。交流らしい。
架線ではなく、線路上の電灯や信号設備向けの送電設備かな?
驚いた事に、ゲストブックが置かれていた。

ノートには○○視察団という名前。自治的?な組織が置いたようだ。
丁寧な事にボールペンまで置かれている。
色々な人が訪れ、その思いを綴っていた。
他にも妙に頑張ってる書き込みが色々あった。
F**KING DEATH METAL …こういうの嫌いじゃない。

もちろん自分は足跡を残さない。
連絡先を書いた彼らは何を期待しているのだろう。
例外なくお友達になれそうな気がするが、やめておく。
明るい部屋
外から見たときに大きな煙突がついていた場所。
ディーゼル発電機か暖房設備でも置かれていたのかな。
真っ暗な部屋
上の部屋とつながっているらしい。
フラッシュを焚くとそこは只の空虚だった。
目が慣れてきた。
朽ち始めたシャッターから光が差している。
奥の部屋まで壁をブチ抜いて通路を増設した跡があるが、暗すぎて探索する気にならなかった。
2階へ。

採光窓から射す朝日とクレーンの大きな歯車のシルエットが良い画になっていた。
2階にも変電装置があった。
暗いし、昔見た火葬場の裏側にそっくりであまり見る気がしなかった。
「出入り禁止」の向こう側には・・・
黒い小部屋が。幸い何も入っていなかった。

ここは気味が悪くて何の設備だったのかも観察していない。
3階への廊下。
今回、撮ろうと思って良く取れた写真はこれくらい。
素敵。でもやっぱり納得がいかない。
3階へ。
本当は逆光で黒く見える階段と眩しい窓枠、光る手摺を写したかったけど、あーだこーだやっても上手くいかなかった。
光のコントラスト。奥行き。

奥側の色が違って始めて気が付いた。
奥の壁の色が違うのは増築によるものの様だ。
過去の写真と見比べると増築された事が良く分かる。
(写真:1950年の災害の時のもの)
建物が長くなったのが下の写真と比べてかるでしょうか。
2階の部屋内部に戻る
先程の壁の裏側はガス室の一角が連想されて厭だった。
何故かガス室を連想してしまった。
8月の終戦特番みたいなのもので見たのが記憶のどこかにあったのかな。
祖父は先の大戦で海軍航空隊の志願兵でパイロットだったそうな。
詳しく聞く前に逝ってしまいましたが、当時若かった(17歳!!)ので実際は戦闘機の移送などの後方任務メインで空戦経験は無かったそうです。
しかし、制空権の無い大戦末期では内地でも敵艦載機に出くわしたり、特攻隊へ召集される可能性もあったと思うと。。
生還してくれてありがとう。
しかし自分と来たら...ジイちゃん、ごめん(汗
そんな挿話の後で申し訳ないのですが...?
おや?ティュシュが??

ここでも、何かが...?
いや、私じゃないので。念の為(笑
だから、そもそも、その発想は無いな。
きっとここで鼻づまりを一気に解消した人が居たに違いない。
この辺杉だらけだし。花粉とか?うん。
またつまらんものを撮ってしまったorz
ジィちゃんほんとゴメン、これが空の漢の孫です。でも、おかけ様で今日本は本当に平和です。
そして…蔓。この茶色モジャモジャ。

ここは地上から結構離れているはずだが…
植物の持つ生命力が却って気持ち悪く感じた。
これだけ蔓延
(はびこ)る植物がいると日本に冬があって良かったと思う。
3階の壁には。
「消 NO.6.8.」

こんな味のある消火器表示を見たのは初めて。
これもステキデザイン。
さ、そろそろ時間だ。戻ろう。
また...来れるかな?
誰もいないホーム。外は眩しい。
他にも色々あったけど、時間が足らなかった。
線路は続くよどこまでも。

この地もまた、永遠であって欲しい。
最後に振り返る。

さようなら。熊ノ平。
**おまけ**
家に帰った後に写真を見てビビった一枚。
写真を撮ったときは気が付かなかった。
小さな機械室と思われる鉄の扉の裏には怪しいステッカーと薄気味悪いステンシル...

おいおいおい...勘弁してくれ、、新興宗教の集会場かここは...
この山奥の廃墟の、小さくて黒い小部屋の中で一体...
儀式…まさか、修行と称した監禁、リンチ、、
ネガティブな考えばかりがよぎる。
が、ここは人気の無い廃墟。十分ありえなくも無い。
まずい物を見てしまった。。
とりあえず、ググらねば...
…ヒットしたのはある廃墟フリークの集団でした。
全く、そこまでやるか...
にしても胡散臭いネーミングにセンスありすぎなステンシル。本当に狂信・カルト的な新興宗教かと思った。。
冗談ではなく、廃墟に狂気はつき物。廃墟にはノスタルジックで甘美な世界と、裏腹、人間の負の業を垣間見る事もある。
実はこれを見たときが一番ゾッとした。深夜の天城トンネルより怖かった。なにせ、幽霊とか、そんな曖昧なものより何より人の業が一番怖いので。
総括

冬開けの一番いい時期に、しかも、熊ノ平が遊歩道化される前の絶妙なタイミングに来れて良かった。時間をくれた相方に感謝。
死体もどき、新興宗教タグ、
あとティッシュ(謎…ここには色々あった。
成熟した空間、色合い、全てが最高でした。
撮影はD5000に初期付属の
AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR
にワイドコンバーターアタッチメント NH-WM75 で撮影。
貧乏構成なだけに画質そのものや周辺光量/樽型収差が...
やっぱりちゃんとした広角レンズが欲しい。
新しいレンズが欲しくなったら初心者は卒業かな?
廃墟探索の後は予定通りウエディングの下見と試食。

廃墟の後のコース料理は格別♪
今は無きてぃてぃと彼女と軽井沢をぶらぶら。
コイツのお陰で結婚できました。
お泊りは三笠ホテルで。

...嘘。ここはお断りします
( ゚ω゚ )(因みに重要文化財で、営業していません。)
廃墟では無いけど、泊まったら絶対一人でトイレに行けないホテル。
でも純粋に、建築として素敵な場所でした。
次回のネタでしょうか。
それでは。